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龍の棲む池  作者: 清竜
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第四話

 目が覚めると、あやめはいつの間にか仰向けになっていた。明るかったはずの水面は暗く、沈む気持ちに追い討ちをかけてくる。この空間のどこかに光源があるのか、真の暗闇ではない。薄暗い空間に慣れた目で周囲を見回すと、

「目が覚めたか」

 驚くほど間近で龍神の声がした。

「ちょっ、なっ、あんた何処で寝てんのよ!!」

 龍神があやめのすぐそばで、添い寝するように横になっていた。光源のように見えたものは、かすかに届く月の光を浴びた長い銀髪だった。

「うるさい、騒ぐな。魚たちが驚く」

 耳元で静かに言われ、あやめはまだ何か言いたそうな口を閉ざした。何故か急に顔が熱くなって、袖で隠そうと腕を動かしたときに、自分に何か布がかけられていることに気がついた。

「何?」

「好きなのに着替えるといい」

 暗くてよくは見えないが、何枚もの着物がかけられているのが解る。

「どうしたの、こんなの」

「昔は嫁ぎ先で寂しい想いをしないようにと、舟に着物やら生活道具を一緒に乗せてたんだ。後から家族が池に沈めることもある」

 あやめが乗った舟には花嫁の他には何もなかった。龍神の言う昔がどのくらい昔の話かは解らないが、この儀式が本当に龍神に嫁ぐものだと信じられていた時代があったのだろう。今はもう、花嫁と言ってはいるが人身御供であると村の誰もが思っている。

「……みんな、大切にされてたのね」

 無造作にあやめにかけられている着物は、綿や麻のものの中に混じって、絹のものがあった。龍神の花嫁として捧げられ、二度と逢うことも叶わぬのに、あるいはだからこそ上等な着物を贈ったのだろうか。

 大切な娘を手放したくなどなかっただろう。だがあやめはそうではない。

「私は捨てられたのに」

 本来ならば姉の椿が花嫁となるはずだった。それなのに村長である父が、村人を欺いて花嫁をすり替えたのだ。

 捨てたという表現は正しくないかもしれない。父もあやめのことを憎く思っていた訳ではないのだ。ただ、あやめよりも椿の方が大事であったというだけで──。

「私、どうせここにいても雨、降らないんでしょ? だったらもう、一思いに死なせてよ。生きてても仕方ないし」

 夜の闇があやめの心を塞いでしまった。自由の利かぬ場所に一生閉じ込められて生きていかねばならないという、未来の苦痛が暗く重くのしかかってくる。塞いだ心でいつか村人を憎むようになるかもしれないという、まだ見ぬ心の闇が恐ろしくもある。

 村の慣習への憤りも、目の前の男に対する怒りも、自分の無力さを呪うことしかできない不甲斐なさの前に、とうとう潰えてしまった。

 冷たい池の水に溶けてしまいそうな声で呟くあやめに、龍神は興味なさそうにため息をついた。

「何故俺がお前を殺さねばならん。面倒くさい」

 そのまま目を閉じてしまった。すぐに規則正しい呼吸音が聞こえてくる。

(私なんか、どうでもいいか……)

 生きていようがいまいが龍神には関係なく、雨が降り注ぐこともない。村ではすでにあやめは帰らぬものとなっている。彼女の存在は、まったく何物にも影響を与えない、その程度のものなのだとため息をついた。

 水面を見上げれば、遙か遠くに揺らめく月が見える。あの水面にいた昼の頃には、憤りと悔しさで全身の血が煮えたぎっていたかのようだったのに、今はこの池の水よりも冷たくなってしまったかのようだ。

(私って、ちっぽけだな……)

 絶望と無気力に打ちのめされながら、あやめは静かに目を閉じた。

「……昔、俺も捨てられた」

 唐突な龍神の言葉に目を開くが、あやめのすぐそばで横になっている男は目を閉じたままで、だが静かに続けた。

「ガキの頃、こんなナリでな。母親は鬼の子を産んだと相当な仕打ちを受けたらしい。それでも五つかそこらまで育ててくれたことには感謝している。だがある飢饉の年──俺はどこかの山に捨てられた。

 やせっぽちのガキが冬の山ん中で何ができる。喉が渇いて川を探してるうちに雪が降ってきて、俺はそう時間もかけずに行き倒れた。死ぬとかまだ理解できてなかったんだろう、ただ腹が減って寒かった。それだけだ」

 感情を乗せることのない静かな声は、ただ淡々とあやめの耳に流れてくる。

「誰かに抱きかかえられて俺は目を覚ました。俺も自分の異形は自覚してたが、そいつは俺より上だった。足まで届くような金色の髪に、同じ目の色だ。その上、耳の上あたりにおかしな簪をつけてると思ったら、そいつが角だったんだ。

 解るか? ──俺を拾ったそいつこそがこの池の主の龍神だったんだ。

 そいつは酔狂なことに自分の左目を取り出して俺に食わせた。それで俺は人間から半龍になったって訳だ」

「……あんた、人間なの?」

「元はな。見てみろ」

 龍神が目を開くと、その双眸は暗闇であってさえ金色に輝いているのが解る。

「この左目が金龍の目だ。この目と一緒に龍の力の半分を得た」

「右目が金色なのは、どうして?」

「……ずいぶん前に、金龍が死んだ。そのときに預かった。人間の身体では寿命は永くなるが、龍の力をすべて受け継ぐことはできんらしい。だからいつか一生の道連れが欲しくなったら、そいつに食わせろということだ」

「その金龍って人がいなくなってから、あんたひとりぼっちなの」

 あやめの問いに、応えはない。

「……寂しい?」

「……別に」

 やや間をおいて、応えがあった。

「ここにいる限り、寒さも飢えもない。それだけだ」

 龍神は最後まで淡々と語り、そのまま沈黙した。

 あやめはしばらく話の先を待ってみたが、聞こえてきたのは龍神の静かな吐息だけだった。ふと見てみれば、金色の双眸は閉ざされている。ただ銀色の髪だけがやわらかくあやめを照らしていた。

(何でこんな話を聞かせたんだろう)

 うつらうつらとしながら、ぼんやりと考える。

(もしかして、励まそうとしてたのかな……)

 あやめの思考がまとまるよりも早く、睡魔は彼女の意識をさらっていった。


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