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龍の棲む池  作者: 清竜
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第一話

 輿に揺られながら、花嫁はぎりりと歯を食いしばった。それが怒りによるものなのか、涙を堪えているせいなのか、ついに彼女はわからないままだった。


 山深くにある村の歴史は古く、またもっとも近い集落でさえ山をふたつ越えたところにしかなく、交流も少ないために古くからのしきたりや言い伝えが多く残されている。

 その最たるものが龍神伝説だった。

 村から伸びる曲がりくねった獣道を進むと、村の三倍はあろうかという大きな池がある。かつて大旱魃に見舞われ、山々でさえ枯れ果てようとしたときに、雨を乞うて村の娘が自害した。すると娘を飲み込むかのように水が溢れ出し、瞬く間に池となった。そして池から金色に輝く龍が現れて、三日三晩雨を降らせたという。

 それからというもの干ばつは幾度もあったが、池は決して枯渇することも水が濁ることもなく、龍神が棲む池として祀られ、月に一度村長が龍神に感謝と祈りを捧げに池に赴く以外には、村人は近づくことはなかった。

 ただ──どうにもならない大旱魃のときだけは、村の娘を龍神への供物として捧げるために、村の男たちが池へとやってくる。

 こんなふうに、花嫁を乗せた輿を担ぎながら。


 龍神への供物という名の生贄は、一番美しい娘とされている。年頃の娘は四人いたが、村人の全員一致で村長の長女となった。身体が弱く家にこもりがちではあったが文句なしに美しく、何より村長には娘がふたりいた。村長の長女──椿はそれを名誉なことだと快諾した。

 貴重な水を使い身を清め、村の女たち総出でこしらえた白無垢に身を包んだ椿は寒気がするほど美しかった。今まさに家の前で待つ男たちに連れられようとする姉に、ひとつ年下の妹がしがみついて叫んだ。

「待ってお姉ちゃん! どうしてお姉ちゃんがこんな……!」

 妹あやめがまだ幼かった頃に母は他界している。あやめにとって椿は姉であり母であり、理想の女性像そのものであった。その姉が村のためにと連れ去られてしまう。村のために姉ひとりだけが犠牲にならねばならない。そんな理不尽を受け入れられるほど、あやめは寛大ではなかった。

「だめよあやめ。そんなことを言ってお姉ちゃんを困らせないで」

「でも……!」

「お姉ちゃんはね、龍神様のお嫁さんになるのよ。とてもすばらしいことなのだから、そんなふうに泣かないで」

「でも」

「お嫁に行っても、あやめのことは忘れないわ」

「……お姉ちゃん」

「白無垢が汚れてはいかん。あやめ、離れろ」

 姉妹の様子を見ていた父が、しがみついたまま椿を離そうとしないあやめを引き剥がした。

「椿、あやめ、急いで衣を交換するんだ。今すぐだ、急げ」

「……父様!?」

 何を言われたのか理解できないあやめだけが呆然としている。

「とにかく急げ! 他の者に知られてはならん、後はわしに任せろ」


 儀式の日、村の女たちは家から出てはならない。これは龍神が花嫁ではない他の娘に気をとられないようにするためであるらしい。もちろん花嫁の家族も例外ではなく、角隠しを目深に被り化粧を施されうつむいているのがあやめであって、家の中で泣き崩れているのが椿であったとしても、家の前でひれ伏している男たちは気づくはずもなかった。


 あやめは思うのだ。姉妹であってもやはり父は姉の方がかわいいのだと。母に似て美しい姉を手元に置いておきたいのだと。あやめは椿のようにしとやかではなく、おてんばでいつも走り回っていた。そのせいでよく日に焼けてそばかすもある。色白で絹のような肌をした姉とは大違いだった。

 よくいたずらをするせいで父にいつも叱られていた。その後でいつもこっそり甘い菓子をくれた椿が大好きだった。その姉を犠牲にするくらいならと思う気持ちがなかった訳ではない。

 ただ、こういう形で姉の身代わりになるというのが──あやめにとっては悲しかった。

 父の愛を疑う気持ちと、こんな風習に囚われている村への憤りと、二度と姉には会えないのだという悲しみとで、あやめは混乱していた。ただ溢れそうになる涙を必死に歯を食いしばって塞き止めるのが精一杯だった。


 やがて花嫁の行進は龍神の棲む池へとたどり着いた。輿の後ろに続いていた小さな舟が静かに岸辺に置かれると、あやめの怒りと悲しみと悔しさを包み隠したままの白無垢を穢さぬよう、そのすぐ横に輿が下ろされる。行進の先頭を歩いていた男がうつむいたままの花嫁の手を取り、舟へ移るよう促す。

「すまねえな、椿。わしらを救ってくれ」

 かすれた声が、震えていた。

 顔は見えないが、あやめと同じ年の娘がいる男のはずだ。

「お前の親父さんとあやめは、絶対にわしらが守るでの」

 後ろで、誰かのすすり泣く声が聞こえたような気がした。

 振り返ることも顔をあげることもできない花嫁は、ただ黙って小さく頷いて、促されるまま舟に移り、背筋を伸ばして正座した。

 ついにお互いの顔を合わせることもなく、舟は押され池の中心へとゆっくりと進んでいった。

 ここまで花嫁を運んできた男たちがすがるように泣いているのを背中で聞きながら、あやめはぎりりと歯を食いしばった。

 今泣かれているのは、椿であってあやめではない。

 ならば誰があやめとの別れを悲しんでくれるのだろう。

 池の中心近くまで進んだ舟の底に、冷たい水が流れ込んだ。意図的に舟底に開けられていた穴に、泥で栓をしてあったのだ。進水した舟はやがて栓が水を吸い、溶けて水が溢れ出す。


 怖さだったのだろうか。悲しさだったのだろうか。

 こらえきれずに流れ落ちた涙の雫を飲み込むように、龍神は花嫁をその腕に受け入れた。


 舟が完全に沈むまで気丈にも姿勢を崩さなかったあやめも、その冷たい水の中へと消えていった。


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