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配達人~奇跡を届ける少年~  作者: 禎祥
四通目 おまけの話
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5、子供を見つけた日の話

「奥様は、運ばれてきたときにはもう……」


 警察から連絡を貰って病院に駆け付けた俺が見たのは、既に冷たくなった妻だった。


「子供は?! 日菜子は臨月だったんです!」

「本庄さん、お腹の子も残念ながら……」



 お力になれず、申し訳ありません。

 そんな言葉が遠く感じる。医者の言っている言葉がわからない。

 いや、俺だって一応医者だ。内容は解る。認めたくないだけだ。



 目の前が真っ暗になった。何も聞こえない。聞きたくない。

 そんな俺に、勤務先の病院は半年の休暇をくれた。



 何かをする気力もなく。食欲もなく。果たして生きていると言えるのかと思えるほどの無気力な日々。

 事故が起きなければ、もうじき産まれるはずだった子供。そのエコー写真を眺めては涙を溢すだけの毎日。

 思い出されるのは、愛しい人の笑顔。


『男の子かぁ。じゃぁ、名前は克希で!』

『おいおい、俺には考えさせてくれないのか?』


 そんな風にじゃれ合いながら、元気に産まれておいでと祈った日々。

 それはもう二度と叶わない。



「ああ……ああああああああ!」


 どうして。

 何で。

 日菜子が、俺が何をしたというのか……。





 いくら神を恨んだところで、日菜子は戻ってくることはない。

 玄関に飾ってある幸せで泣いた記憶のある結婚式の写真。視界に日菜子が映るのも耐え切れずに、写真立てをそっと倒した。

 静かすぎる家はどこか薄暗くて。ぽっかり空いたその場所があまりにも寂しすぎて。

 ただ茫然としたまま過ごしていた俺を連れ出したのは、双子の兄の楓だった。



「たまには外の空気吸わないと。病気になっちまうぜ」

「うるさいな。放っておいてくれよ」


 煩わしいと。今は何もしていたくないと言っても楓は聞かず。

 強引に連れ回された。その行く先々に、日菜子との思い出があり。


 初めて出逢った公園。痴漢から助けた駅のホーム。恋人同士になって初めてのデートで行った無料で入れる岡の上の小さな動物園。取り留めのない話をしながら乗り続けた市内バス。誕生日プレゼントを選ぶのに何時間も迷った雑貨屋。プロポーズをした綺麗な夜景の見晴らし台。初めて一緒の夜を過ごした旅館。


 どこに行っても、日菜子の幻影がついて回る。もう君はどこにもいないというのに。


 

 狭い田舎だ。楓がその場所を知っていた、というより二人で行かなかった場所が少ないというだけ。

 気晴らしと言ってはあちこち連れ回されるうちに、古い家の前を通りかかった。



『……て』

「ん? 何か言ったか?」

「いや?」

『……助けて……お父さん』


 その声は、楓には聞こえていないようだった。だが、確かに助けてと聞こえた。


「あっ! おい、要?!」



 引き留める楓を無視してその家のチャイムを鳴らす。

 ――反応はない。

 玄関の郵便受けには入りきらないほどの新聞や郵便物。雨風に曝され続けたのか色褪せてボロボロになってしまっている。



「何やってるんだよ、要? 誰もいないって。空き家だろ? ここ」

「いや、確かに助けてって聞こえたんだ。それに……何か変な臭いしないか?」

「ああ、確かに下水臭いっていうか……って、おい、要! やめろって」


 制止する楓を振り切って庭に回る。

 カーテンの隙間から覗くと、子供が倒れているのが見えた。


「何だ? 人形か?」

「いや、人形が助けを求めるか、よっ」


 置石を剥がして思い切り窓に打ち付ける。


「やめろって要! 通報されるぞ!」

「むしろ呼べ! 救急車も!」


 割れたガラスから、刺激の強い臭いが漏れてきた。

 子供はピクリとも動かない。

 靴を脱ぐ間も惜しくてそのまま駆け寄る。


「大丈夫か? おいっ! しっかり!」


 抱き起こすとその異常な軽さにびっくりする。骨の浮いた手足、痩せこけた頬。カサカサに乾いた唇。

 うっすらと開いたその眼は何も見えていないようだった。

 わずかに動いたその細い手が、弱々しい力で俺の腕を掴む。

 知らず知らずのうちに涙が溢れ、子供の顔に滴った。

 

「……おか、えり……おとう、さん……」


 子供は擦れた声でそう言うと、また気を失ってしまったようだった。

 一体、この子に何が起きたというのか。この家の人間は、親はどこへ行ってしまったというのか。

 楓の呼んだ警察が来て、家の中の状況に唖然としていた。

 俺が子供を抱きしめたまま離さないものだから、駆け付けた救急隊員によって一緒に病院に運ばれる。



 たくさんのチューブに繋がれ、痛々しいほどに痩せこけた少年。何故か放っておけずに俺は彼の病室に通い続けた。

 警察から聞いたこの子の名前は、長嶋香月。生まれてくるはずだった子供と同じ音の名前。


 親はずいぶん前にこの子を置いて出ていったらしい。家の中に食べ物は何もなく、僅かに生米が数粒落ちていただけだったらしい。

 電気も水も止められるほど長い期間、この子は独りであの家で親の帰りを待っていたのだろうと。


 聞いた瞬間「俺が引き取ります」と言っていた。

 簡単に子供を捨てたこの子の親が許せなかった。俺の子供は生まれてくることができなかったのに。そんなに要らないなら俺にくれよ、と叫びたかった。



 昏々と眠り続ける少年の手を握り、名前を呼び続ける。

 施設に行くはずだった香月を、色々な伝手を使って俺の家で預かることを認めさせた。香月の両親が逮捕されても、香月は目を覚まさなかった。


 それでも、少しずつ血色がよくなってきた。頬も少しふっくらしてきた。

 俺は毎日香月に呼びかける。

 早く起きて。そしたら、一緒に楽しいことをたくさんしよう。行きたいところも全部行こう。

 何度でも言うよ。


「俺の家族になって。俺を君のお父さんにして」


 ああ、早く起きないかな。ちゃんと笑った顔が見たい。

 俺は君の為なら何だって頑張れる気がするんだ。


 

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