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配達人~奇跡を届ける少年~  作者: 禎祥
二通目 水没の町
25/64

7

「シロ、僕に何をして欲しいの?」

『……――……』


 シロが伝えてきたもの、それは言葉ではなくて映像や感情だった。



 お爺さんの記憶の中でも見えた木造の家。温かな光を浴びた畳の心地良い井草の香り。

 縁側で微笑む若かりし頃のお爺さんの、頭を撫でてくれる優しい手。

 それはとても懐かしくて、恋しくて、哀しい記憶。


「シロは何て言っているんだい?」

「……帰りたいって。お爺さんの家に」

「家って……さっき義夫さんの家にいたんじゃないのかい?」

「ん~……違う?」


 シロは幽霊だからか、こちらの会話がある程度わかるみたいだ。

 僕の言葉に違う、と言うように首を項垂れて左右に振っている。

 そしてもっとちゃんと読め、というように僕の膝に前足をかける。

 途端に流れ込む、シロが死んだ時の記憶。


「……っ!」

「香月っ?!」


 どうした、と呼ぶ要の声が遠くなる。

 そうして再び、映画を見ているような感覚が訪れる。

 それはシロの記憶らしいのだが完全な追体験というわけではなく、視点は自分であるのに五感全てが自分のものではないような、不思議な感覚。



 シロの記憶の最期の日。

 その日はいつもとどこか違っていて落ち着かなかった。

 皆どこか慌ただしく、僕には目もくれずに大急ぎで食事をかき込むと、部屋から次々と物を運び出していく。

 お気に入りの座布団も、爪を研いでは怒られたタンスも、大きな音に毎回驚かされる柱時計も。


『にー……(父ちゃん、何してるの?)』


『なーうん……(母ちゃん、僕の座布団どこに持ってくの?)』


 追いかけて話しかけても追い払われるばかりで、応えてくれる人はいない。

 どんどん物が無くなっていくのを、僕は不安に思いながら眺めていることしかできなくて。

 いつもニコニコしている義夫が怖い顔で捕まえようとするから、怒られるのかと思って逃げてしまった。


『放っておけ、水がくれば逃げ出すさ。それよりも急げ』


 父ちゃんの声が聞こえた気がした。

 暫く軒下に隠れていて、物音がしなくなったから家の中に戻ると、そこはもう僕の知っている家じゃなかった。

 父ちゃんの少しおっかない大きな声も、義夫の笑い声も、母ちゃんの呼ぶ声もしない。

 誰もいないし何もない、がらんどうの家。


 不思議に思いながら、いつもお昼寝をしている縁側に行くけれど、やっぱり誰もいない。

 座布団が無いことを不満に思いながら丸くなった時だった。



 ブオォォォォォ……ブオォォォォォ……



 それはとても大きな音で。怪物の鳴き声のように聞こえた。

 食べられちゃう? どうしよう?


 肉球を通してドドドド、と振動が伝わる。だんだんとこちらに近づくように大きくなる音と揺れ。

 ああそうか。誰もいないのは、きっとあの怪物から逃げているんだ。

 近づいてくるこの振動はきっとその怪物の足音。僕も隠れなきゃ。


 僕は大きく飛び上がり、途中で壁を蹴ってさらに上へ飛び天袋へよじ登ると、とっておきの隠れ場所である天井裏に逃げ込んだ。

 これで一安心。ここで待ちながらあの怪物をやり過ごせば、きっと皆帰ってくるよね?


 安心したのも束の間。ドン、と家が揺れる。

 衝撃はその一度だけで、何だったのかな、と思ったら、濁った水がどんどん上がってきた。

 慌てて逃げる場所を探すけれど、下に出られる場所は全部水で埋まってしまった。


『みゃあああああお!! (助けて、誰か!)』


 どんどん入ってくる水音で叫び声はかき消され、応えてくれる人はいない。


『みゃあああああお!!! (怖いよ、父ちゃん!)』


 水かさはどんどん上がり、もう足もつかない。

 沈むまいと必死で足で水を掻く。


『みゃあああああお!!! (助けて母ちゃん!)』


 天井に頭がぶつかる。

 水面と天井の僅かな隙間から鼻先を出して必死に息をする。


『みゃぁぁ……(義夫……逃げてごめんね……)』


 すぐに隙間もなくなり、体が沈む。




 暗転。


 気が付くと、先ほどの光景が嘘のように、縁側にいるのだった。


 温かい日差しの注ぐ大好きな縁側。

 でも、誰もいない。

 何日も何日も。いくら待っても誰も帰っては来ない。


『んなぁあぁん……(また朝だよ? どうして誰も帰ってこないの?)』


 探しに行こうと思っても、何故か家の中から出られず。

 そんな日が幾日も続き、日月を数えるのも忘れた頃。

 ふと、義夫に呼ばれた気がした。


 その感覚に導かれるまま山道を進み、壁を超えると、男の子がいた。

 呼ばれている感覚に従って男の子についていくと、お爺さんがいた。

 間違いない。歳はとっているけれど、義夫だ!


『んなぁ~ん(やっと見つけた!)』


 でも義夫は気付いてくれなくて。

 必死で体を擦りつけても、前足でてしてし叩いても、反応が無くて。

 義夫には僕が見えていなかった。

 義夫だけじゃない。女の人も、男の人も、誰も僕に気付かない。

 その時だった。


「シロ?」


 男の子が、僕を呼んだのだ。


『にー……(君、僕が見えるの?)』




「……それで、僕についてきたんだね」


 シロがそうだと言わんばかりに体を擦りつけてくる。


「香月? 何かわかったのかい?」


 要が心配して僕の手を握ってくれていたのに今気が付いた。

 要にはシロは見えているけれど、僕が見たようなシロの記憶までは見えなかったらしい。


「うん、お爺さんと、昔過ごした家の縁側に帰りたいみたい」


 縁側で座るお爺さんの、膝の上で眠るのが好きだった。

 眠る時に頭を撫でてくれる大きな手が好きだった。

 シロはあの時に、あの場所に、戻りたいのだ。


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