柔と剛の天才打者①
『ねえねえ、ちょっとあれ見てッ! あの先輩カッコよくない!?』
『うわホントだ~! マジでイケメンじゃん!!』
『スラっとした手足に、あのけだるそうな感じ……反則だよね……(ゴクリ)』
『写メ撮っとこう! 写メ!!』
『ワタシもワタシもー!!』
紗月がバッターボックスに向かうと、バックネット裏のギャラリーがスマホのシャッター音と黄色い声援で騒ぎ立てる。その光景を見た紗月は、ヘルメットから顔を出す枝毛をいじりながら、興味なさそうにそっぽを向く。
ギャラリーの過剰な反応も無理はない。
切れ長の目に、中世的な顔立ち。
キレイに整った顔立ちではあるものの、美人と言うよりかはイケメンと形容したくなるような美形女子であった。
夜子のヒットで、蒼美高校がノーアウト一三塁のチャンスを迎えている。
3番バッターの紗月は、左のバッターボックスに構えた。
紗月は、リラックスしたバッティングフォームから、初球のストレートを悠然と見送る。
「エミリー先輩。もしかして紗月先輩って、野球やってました?」
優が、打席での紗月の落ち着いた様子を見て、横に腰かけているエミリーに問いかけた。
光里や夜子とは打席に立っているときの余裕が違う。
エミリーは、口元に柔和な笑みを浮かべて、やさしく答える。
「イェス! サツキは、蒼美高校に入る前までは、シニアのチームに所属していたらしいデスよ」
「へぇ~、シニアで野球やるなんて……すごい上手なんですね」
「上手なのは上手なんデスけどね~……。野球の話をするとフキゲン? ゴキゲンナナメ? になるので、みんなサツキのことをハレモノを扱うようにシテマ~ス!!」
エミリーがニッコリとほほ笑みながら盛大に毒を吐く。
「エミリー先輩……多分ですけどそれ、満面の笑みで使う言葉じゃない気がします……」
「Why? ハレモノって、晴れ着のことじゃないんですか~?」
優からの指摘に、エミリーが頭にはてなマークを掲げながら首を傾げる。
確証はないが、エミリー先輩の言いたかったことを意訳するのなら、『晴れ物のように大切に扱ってます』くらいのニュアンスなのだろう。
どちらにせよ、紗月先輩があまり人付き合いの良さそうな人間には見えないが。
「確かに紗月ちゃんは気難しいところはあるけど~、可愛いところもあるんだよ♡」
エミリーの言い間違いに苦笑いを浮かべていた優のもとに、蒼美ベンチのすぐ目の前、一塁側のコーチャーボックスから玲奈が声をかける。どうやら二人の会話を盗み聞きしていたようだ。
「Hey レイナ先輩! コーチャーの仕事さぼらないでくだサイ!!」
エミリーの言う通り、コーチャーは、走者の判断を手助けするという大事な役割がある。
普通ならスタメンで出場している玲奈がする仕事ではないが、蒼美野球部の人数の都合上仕方のないことだった。
「いいのいいの。夜子ちゃんにも『お前がいると気が散るから離れろ』って強めに言われちゃったし~♡ 今度は優ちゃん狙いで行こうかな~って♡」
優の背筋がぞわりと身の毛だつ。さすが変態、凄まじい圧である。
しかし、変態ということを除けば、おっとり穏やかとしたきれいなお姉さんといった印象なのがこれまた残念な部分でもあった。
黙ってれば美人の先輩、って感じなのに……と優は肩を落とす。
玲奈はゆるふわのロングヘア―を躍らせながら、ウキウキ顔で話を続ける。
「それで、紗月ちゃんの秘密聞きたい~?」
「Uh...レイナ先輩にお願いするのはクソクラエデスが、サツキの秘密……ちょっと興味ありマ~ス……」
エミリーがその顔に屈辱を滲ませながらも、玲奈の話に聞き耳を立てようと、ベンチとグラウンドを仕切る防護用ネットを挟んだ状態で、玲奈の口元へと寄る。本当に嫌々ながら。
玲奈はその面倒見の良い姉御肌の外見とは裏腹に、後輩からの信頼は薄いようだった。
まあ全ての原因がその変態的な言動にあるのだが。
玲奈は、背徳の表情を浮かべるエミリーをどこか恍惚とした目で見つめながら、こそこそと小声で話し出す。
「実はね、紗月ちゃん、最近急におっぱいが大きくなってきて――」
玲奈が、下卑た笑みをこぼしながら語り始めた次の瞬間――
ガンッッッ!!!!
殺意のこもったような鋭い打球が、三人を隔てた防護ネットの金属枠に勢いそのままに突き刺さった。
思わず目をつむってしまうほどの凄まじい衝撃音。
あまりに突然の出来事に、その場にいた三人はしばらく身動き一つとれない。
空中に跳ね返った硬球が、焦げ臭い匂いを漂わせながら玲奈のすぐそばにポトリと落ちる。
優が恐る恐る目を開けると、エミリーと玲奈の仕切りとなっていた防護ネットがグラグラときしみながら波打っていた。
あと頭一つ分打球がずれていたら、玲奈は確実に昇天していただろう。
エミリーと玲奈の顔は青ざめ、体はガクガクと震えていた――そのきれいな顔に青スジを立てながら、冷酷に睨みつける紗月に気づいて……。
紗月が放つ鋭い刃物のような眼光からは、「次は当てるぞ」という確固たる意志が伺える。
なんという地獄耳。
「さ、さてと……。私はコーチャーの仕事に戻ろっかな~……」
「Oh...! ワタシもそろそろバッティングの準備しましょかネ~……hahaha」
エミリーと玲奈が、額に冷や汗を垂らしながら、そそくさとそれぞれの持ち場へと戻っていた。
でも確かに、紗月のスタイルは優の物とは比べられないほど……セクシーだった。
「いいな~……って、こんなこと考えてたら次は私が殺される……! さ、紗月先輩だけは怒らせないようにしよう……」
優はそう肝に銘じると、紗月の胸……ではなく打席の方へと集中する。
ボールの見送り方といい、先ほどの強烈な打球といい、中学でも相当実力のある選手だったのだろう。
でもなぜそんなにすごい選手が、わざわざ野球部の無い蒼美高校に進学したのだろうか。
優がそんなことを考えていると、ネクストバッターズサークルに控えていた曜子が、紗月に声をかけた。
「紗月ー! とりあえず最低限! 1点取りに行こう!!」
曜子の言葉を受け、コクッと紗月が小さく頷く。優は、そのやり取りを見て違和感を覚えた。
「あんなに良いバッティングしてるのに、なんで最低限とか消極的なんだろう……」
紗月ほどの実力のある打者ならば、あの急造的に作られたフェンスなど軽々超えられそうであるのに。しかし、曜子の言葉からは、紗月に対して過度な期待を込めていないように感じたのだ。
優の独り言を後ろで聞いていた千鶴が、目線はパソコンに落としたまま、同じく独り言のように返す。
「紗月ちゃんはね、実力はあるのにあんまり目立とうとしないんだよね。良いプレーをしても全然嬉しそうにしないし。まったく、ウチの野球部のモットーは『楽しい野球』だってのに! 沙月ちゃんに理由を聞いてもつっけんどんにされるし……。本当はヒットをバンバン打ってもっと活躍してもらいたいんだけどね~」
口を尖らせムスッとする千鶴。
きっと千鶴の破天荒な性格に、自分と同様紗月も巻き込まれているのだろう、と優は勝手に解釈していた。『楽しい野球』とかいう都市伝説みたいなまやかし事に騙されているか、弱みを握られて強制参加させられているに違いない。
……でなければ、あんなにつまらなそうな顔をするわけがないのだから。
カキーン!
紗月が振り切ったバットの真芯から、雑味のない美しい金属音が響く。
その音に蒼美ベンチが一瞬沸き立つが、それはすぐに溜め息へと変わった。
低めの難しい変化球を掬い上げるようにして捉えた紗月の打球は、美しい放物線を描きながら、狙いすましたようにセンターの定位置へと上がった。
タッチアップには十分なほどに――。
センターが捕球すると同時に、三塁ランナーの光里がホームへと駆ける。
センターからの送球がキャッチャーへと帰ってくることは無かった。
まさに、曜子に言われた通りの最低限の仕事である。
紗月が、打球の行方を最後まで追うことなくベンチへと帰ってくる。その様子は、クールというより無気力といった方が正しい。
ヘルメットを脱ぐ紗月の表情はどこか物憂げで、背後に写る黒い影が不気味なほどに深く重たげだった。