天才、ロボット、おまけに変態
暖かな日差しが、真上からグラウンド全体を照らす。
ホームベースの後方に設置されているバックネットの裏には、赤いリボンの新入生がわんさか集まっているのが見える。その規模はバックネットからはみ出る勢いで、明らかに1クラスだけのものではない。あの様子から察するに、イベント欠乏症は、夏目先生の願いも虚しく、全クラスに感染してしまったようだ。だが、今見える限りではその群衆の中に心愛の姿は見当たらなかった。もう帰ってしまったのだろうか。
もしあの時、心愛に付き添っていれば、あの中に混ざって嫌いな野球を観戦する、という少しばかりの代償だけで済んでいたのかもしれない。優は、悔やんでも悔やみきれない面持ちで一塁側に設けられた蒼美高校サイドのベンチに座りながら、そう思っていた。
「いや~、相手側にダメ元で頼んでみたけど、案外通るもんだね。必死で土下座したら快く先攻後攻代わってくれたよ」
「私は親友が土下座するところとか見たくなかったんだけど……」
しかめっ面の優の元に、優がなぜか着させられていた物と同じく、胸元に蒼美と書かれたユニフォームを着た黒髪と茶髪の二人組が、三塁側の相手ベンチから帰ってくる。優は、その内の一人に見覚えがあった。腰まで伸びた黒髪に、一度見たら忘れられないほどの背の高さ。今朝、校門で出会った先輩だった。
彼女は、優の体調を気遣うように、優が座る高さに合わせてしゃがみ込む。
「あ、あなたは……!」
「新入生ちゃん。朝方ぶり。調子はどう? 気分悪くない?」
「気分は……悪くないですけど」
優は、自分の体調を正直に答える。それを聞いた彼女は、ニッコリと笑みを浮かべて、
「そっか、なら良かった。んじゃ、私はロボ子の修理するから、ヨーコ、あとよろしく!」
と言ったと思いきや、先ほど目から光線を発射したピンク髪の生徒の元へ、早足で駆けていってしまった。何とも忙しない人である――じゃなくて!
「ちょっと待ってください! まだ話は――」
「話なら、私が代わりに聞くよ」
後を追いかけようとする優を、もう一人の茶髪の先輩が静止する。黒髪の先輩ほどではないが、彼女も背がスラっと伸びていて、落ち着いた様が板についていたことから、たぶんこの人も先輩なのだろう、と優は思った。
茶髪の彼女がさらに続ける。
「私は、この部のキャプテンやってる3年の倉敷曜子。んで、さっきの慌ただしいやつは、私の幼馴染の八千代千鶴。ごめんね、あいつ久しぶりの試合だから浮足立ってるんだ。大目に見てやってほしい」
曜子は心咎めにそう言って、深々と頭を下げた。
いかにもスポーツ女子といった毛先の跳ねた短髪が、その誠意を表すかのように垂れる。
言いたいことが山ほどあった優だったが、初対面の先輩にこうも真摯に謝られてしまっては、千鶴の追跡をあきらめてベンチに座らざるを得なかった。
◆◆◆◆◆◆
逆覇亜高校の選手がピンクのユニフォームを風にたなびかせ、グラウンドに散らばり始める。
四方をベースで象られたダイヤモンドの中心、急造的に作られたマウンドに、背番号1をつけた選手が登り、投球練習を開始する。
「――つまり私は、野球部の部員でありロボットでもあるロボ子さん(?)にぶつかって気絶して、その時ロボ子さんが持っていたバケツの水をもろに浴びてしまったので、代えの服として野球着を着させられ、その場に置いておくのもあれなのでとりあえずベンチに寝かせられていたと……」
「ん。まあそんな感じかな」
「信じられるかぁー!!」
優は声を荒げて地団駄を踏む。その様子を見て、曜子が「まあまあ……」となだめるも、優の勢いは止まらない。優と曜子の二人は試合開始直前にも関わらず、未だにベンチに座って問答を繰り返していた。
「大体なんでロボットが女子高生やってるんですか!」
「ロボットじゃないよ。高性能アンドロイドだよ」
パソコンをいじりながら千鶴が横槍を入れる。どうやらロボ子の修理をしているようだ。パソコンから伸びたケーブルが、ロボ子の指先から伸びるプラグに接続されている。ロボ子は休止中なのか、その場から髪の毛一本動かさず、目をつぶったまま行儀よくベンチに座っていた。傍から見れば寝ているだけにしか見えないけど……。
信じられない、というか信じたくはないが、とにかくロボ子さんは本物のロボ……いや、アンドロイドらしい。
「ロボ子は私が作り上げた最強の野球マシーンなんだ~。フッフッフッ、すごいでしょ!」
自慢げに鼻を伸ばす千鶴を見て、曜子がやれやれと言ったようにため息を漏らす。
「でも、アンドロイドっていうわりには、名前がロボ子じゃないですか」
「そ、それは! ホッシーが勝手に名前つけたのをロボ子が認識しちゃったからで」
千鶴がジト目でにらみつける先には、元気に屈伸運動をする女子の姿があった。
ホッシーと呼ばれたボーイッシュな出で立ちの小麦肌の彼女は、千鶴の視線に気づいたのか「やべっ」と小声を発して、優の視界からダッシュで遠ざかっていった。
千鶴はそんなホッシーの後ろ姿に目を細めつつも、パソコンにもう一度向き直って口を開く。
「ともかくロボ子が、天才発明家である私が作った高性能アンドロイドだっていうことは信じてくれたでしょ?」
「千鶴先輩が天才かは置いといて、ロボ子さんのことはとりあえず飲み込めました」
飲み込んだというよりは諦めたというほうが正しいのかもしれないが。
「でも、これだけは! これだけは飲み込めませんッ!!」
優は、ベンチの隅に置かれていた紙を引っ張り出し、千鶴の眼前に押し付ける。
「えぇ~っと……画面が見えないんだけど……」
ロボ子の修理の邪魔をされ、苦笑いを浮かべる千鶴。
しかし、そんな千鶴を無視して、優はさらに千鶴の顔に紙を押し付けてがなる。
「そんなことはどうだっていいんです! なんですかこれは!」
「それ? それは今日の試合のスタメン表だけど――」
「ですよねッ!? じゃあなんでそのスタメン表に私の名前が入ってるんですか!?」
優が指さした箇所には、ずらっと書き連ねられたスターティングメンバ―の中に、『5番 サード 村田 優』の文字が。
千鶴はしばらく腕組みをして考えたのち、思い出したように手をポンとたたいた。
「あぁ名前ね。さっき学生証見て書いただけだよ? むらた……すぐるちゃん?」
「いや、そういうことではなくて……というか私の名前はすぐるじゃなくてゆうです!!」
「え、そうなの? でも、ついこの文字の並びを見ると、むらたすぐるって読みたくなるんだよね」
「千鶴の気持ちはまあ確かに気持ちはわからんでもないけどさ。さすがに自分の娘に『すぐる』と名付ける親なんていないだろ」
「え~でもさぁ~」
名前を間違えたのにもかかわらず、終始あっけらかんとした態度の千鶴に、曜子が釘を刺す。そして曜子はすぐに優のほうを向いて「ごめんね」と手を合わせた。曜子は千鶴と違って気遣いの出来る人間らしい。
優は、名前を間違えられたことに少しムッとなりながらも、この手の間違えられ方には慣れていたので、すぐに落ち着きを取り戻した。
その優の予想通り、千鶴たちは優の名前を見た際、頭の中にあの人物のことを連想していた。
村田優。プロ野球チーム『東京シャイニングス』の不動の4番バッターにして、昨年現役を退いた通算本塁打数600本越えの大打者。野球人なら、『村田優』という文字列を見ただけですぐにその人の顔が浮かんでしまうほどの有名人だ。なので、優自身も自分の名前を間違えられてしまうことが多々あった。
そして名前を間違えられるたびに、自分にわざとこんな名前を付けたあの野球バカの父親にますます憎しみを抱くのだった。
優は陰鬱な気分になりながらも、自分の名前の話から一刻も早く抜け出したい一心で、逸れかけていた話を本題へと戻す。
「私の学生証を勝手に見たこととか、名前を間違えたことはいったん置いといて、どうして新入生の私が新歓試合のスタメンに入ってるんですか!? 説明してください!!」
そう、問題はそこであった。野球嫌いの優にとって、ユニフォームに袖を通しているだけでもむずがゆいのに、よりにもよって試合に出るなんて絶望的なことは考えられないし、考えたくもなかった。
「え~、だってしょうがないじゃん。優ちゃんを裸で寝かせるわけにはいかないし――」
「!? ハダカッ!? 優ちゃんの裸が何だって!?」
「はいはい、美和先輩と私はコーチャーなんですから、さっさと行きますよ」
「えぇ!? そんなぁ~……。……あ、わかったぁ~! 朱夏ちゃんったらヤキモチ焼いちゃってるのね~♡」
「気持ち悪いこと言ってると蹴り飛ばしますよ」
急に話に割り込んできたと思いきや、すぐさま眼鏡の女子に取り押さえられコーチャーボックスへと連れていかれるゆるふわ系お姉さん。急過ぎる登場と退場劇に優は唖然となりながらも、そのお姉さんのほうを見ているとどこか寒気を感じるのだった。
優は思わず口を開く。
「あれ、なんですか」
「あれは……変態だ」
「そうですか、変態ですか。……えっと、それでですね、何で私がスタメンに――いや、理由は何でもいいのでとりあえず私をスタメンから外してもらっていいですか?」
「え、なんかやけに冷静になったね。驚かないの?」
朱夏に引きずられながらも優に投げキッスを送る玲奈を怪訝そうに見つめながら、曜子が聞いた。
話をはぐらかされているような気がした優は、少しぶっきらぼうになりながら答えようとする。
変態の話なんかよりもよっぽど大事なことがあるから。
「そりゃまあ、ロボット……じゃなかった、アンドロイドがいるくらいですし。変態が一人くらいいてもおかしくないのかなーって。……それよりも――」
「わかってる。優をスタメンにした理由だよね」
優が本題に話を戻そうとした直後、曜子が先ほどまでの優しさを携えた声音に真剣味を交えながら、静かにベンチから立ち上がった。
「……ちょっと、こっちに来てもらえるかな?」
優は、どこか腹をくくったような曜子の顔にただならぬ意志を感じとる。
そっとベンチ裏へと消えていく曜子の背中に、優は無言でついていくほかなかった。




