若気の至りと巡り合い
校門の前で、大々的にビラ配りを行う人たち。野球帽を目深に被った彼女たちは、胸元に赤いリボンをつけた新入生を発見しては、すぐさま駆け寄りビラを渡す……というか押し付け回っていた。遠慮する生徒には、無理矢理カバンの中にビラを詰め込んだり、逃げ出す生徒にはなぜか抱き着いたりと、まさにやりたい放題といった様である。
「ね、ねえ、心愛。蒼美に野球部なんてあったっけ……?」
優はその異様な光景を一瞥したのち、すがるような視線を心愛に向ける。
「い、いや……。さっき野球の話をしたのは冗談のつもりだったし、パンフレットにも書いてなかったから、たぶん何かの間違いなんじゃ……ないかな?」
校門の前で、進もうか進むまいか二人で逡巡していると、野球帽の一人がこちらの存在に気づき、帽子からはみ出す長い髪を振り乱しながら駆け寄ってきた。
優たちは、その勢いと170センチはあるであろう体躯に気圧され、その場から動けない。
「君たち、新入生だよね! はい、これ!」
長い黒髪の長身女性は、二人に突き出すようにしてビラを押し付ける。そんなふうに渡されては、優たちも受け取る以外に選択肢はなかった。
押し付けられたビラの中身に目を通す。
『始業式後10時から、同校グラウンドにて練習試合を行います! ぜひ見に来てね!』
大きな文字で書かれたその文面の周りには、バットにグローブといったイラストが散りばめられている。
どうも新歓試合をするというのは本当らしい。
しかし、優にはそんなことよりどうしても聞かなくてはならないことがあった。
「あ、あの! 蒼美高校に野球部ってありましたっけ? パンフレットには載ってないみたいなんですけど……」
探るような優の質問に対し、長身女性は、フッフッフッと不敵に笑う。
「それはね、正式にはまだ活動してないからなんだよ。野球は9人揃わないとできないからね。でもこの度9人揃えたから、新歓試合でもして新入生を呼び込もうと思って! ……ま、まあ厳密には9人……いや、8人と1体か? とりあえず、興味あるんだったら今日の始業式の後に見に来てよ! ね、お願い!」
何やら訳の分からないことを言いつつも、最後に念押しするように必死に勧誘する姿からとてつもない熱量を感じる。
優と心愛は、頭二つ分くらい上から注がれる期待の眼差しを一身に受け、わかりました、とだけうつろうつろに答えた。
二人の返事を聞いて、満足したようにニッコリとほほ笑んでから、その長身女性はまた新たなターゲットを見つけるや否や、歩幅の大きなダッシュで消えていった。
背が高くてびっくりしたと同時に、笑顔がとても似合う人だなと、優は感じた。
一年生の教室につく。
白を基調とした清潔感のある学び舎に、磨かれたリノリウムの床。その真新しい内装は、一瞬暗雲が立ち込めかけた優の心を浄化するようだった。
「幸先はあんまりよろしくなかったけど……気にせずに行こう」
せっかくの祝うべき新しい門出なのだ。野球部なんかに邪魔されてたまるか。それに、野球部があったところで私の女子高生ライフにはさして影響は無い、はずだ。
優が教室へと入ると、きれいに整列された席にすでに何人かの生徒が座っていた。黒板には、名前順と思われる席順の紙が張り出されている。優は、指定された自分の席へと向かう。
「同じクラスでしかも前後ろの席で良かったね! これからもよろしく、優ちゃん!」
「まあ私と心愛なら、同じクラスの時点で席が近くになるのはほぼ確定だったけどね」
「えぇ~もう、素直じゃないなぁ~優ちゃんは」
優が座る席の前には、中学時代と同様に心愛が腰かけていた。名字の関係上、優と心愛は席が近くになることが多かった。優にとってそれはもはや見慣れた光景ではあったものの、親友である心愛が近くにいてくれることは心強かった。優は、自分の席に体を向けている心愛に笑顔を返す。
優たちがしばし団欒に興じていると、天井のマイクから予鈴がなった。それと同時に、クラス担任と思われる先生が教室に入ってくる。各々の時間を過ごしていた生徒たちも、先生の入室を確認するや否やそそくさと自分の席に着席した。
「ご、ご入学おめでとうございますッ! 今日からみんなのクラス担任をします、夏目久美って言います……。にょ、にょろしくお願いしますッ!?」
教壇の前で、開口一番盛大に噛む夏目先生。
スーツに身を包んではいるものの、その若々しい顔立ちは、生徒と見間違ってもおかしくないほどだ。新人の先生なのだろうか、新入生よりもはるかに緊張している。
噛んだことをクラスの生徒に茶化されて、えへへと照れ笑いを浮かべている様子は、先生というより面倒見のいいお姉さん、と呼ぶ方がしっくりくる。
クラスの雰囲気も和やかでいい感じ。優の表情は、そんなクラスの雰囲気に溶け込むように自然と笑顔になった。
上々の掴みであった挨拶の余韻が覚めやまぬ中、緊張がほぐれた様子の夏目先生は、傍らから出席簿を取り出し粛々とホームルームを執り行うのだった。
◆◆◆
「――というわけで、この学校の説明と、明日からの大体の予定のお知らせを終わります。それじゃ、今日は解散! みんな、明日からもよろしくね!」
ホームルームもつつがなく終わりを迎え、夏目先生が元気に解散の合図をすると同時に、チャイムが鳴る。クラスのみんなが荷物をまとめ席を立つ。優が、席から立ち上がろうとして腰を浮かしたとき、
「あ! 大事なこと言い忘れてた!」
と、教室のドアの前で、夏目先生が何かを思い出したように、くるりとこちらの方に反転して言った。
「え、えぇ~とっ……。なんか、校門の前で、新歓試合やりま~す、とかなんとか言ってビラを配ってた人がいたと思うけど、今日はみんな寄り道せずに帰るように! いい? 夏目先生との約束っ! みんな~、先生とのお約束、守れるかな~!?」
夏目先生は、教育番組のお姉さんみたく、オーバーリアクションで耳に手を当てて、生徒の反応を待つ。
が、しかし。
先生のテンションとは裏腹に、静まり返る教室。帰り支度をしていた生徒たちも、一斉にその動きを止め、先生に注目したままの状態を維持する。何人かの生徒は、プルプルと何かを抑えきれないかのように手を震わせている。
時が止まった教室に漂う異様なムード。これは、生徒を小学生扱いした夏目先生を退職に追いつめるくらいいじめてやろうという決意じみた空気――などではなく……
『あ! そういえば、ビラもらってたの忘れてた! まあもらったっていうか、半ば強引にカバンの中にねじ込まれただけなんだけど……。野球あんま興味ないけど、面白そうだしみんなで見に行こうよ!』
『えー何ソレ!? ワタシそんなビラ貰ってな~い、ていうか、行ってみた~い』
『じゃあさ、じゃあさ、他のクラスも誘ってみんなで見に行こうよ!』
『いいねー! 行こう行こう!』
新生活の始まりにテンションを抑えきれなくなったうら若き乙女たちの、イベント渇望症による暴発テロであった。
説明しよう。イベント渇望症とは、世の中において一番に輝きを放つことを約束された女子高生という限られた時の中で発症する、一種の禁断症状のようなものである。イベントがあれば、それが自分にとってなんら興味のないことであったとしても、ついつい流れに乗って参加してしまう、とりあえずみんなでワイワイしていれば何でもいいなどと思ってしまうなどの症状があげられる、俗に言う”若気の至りver.女子高生”である(女子高生語録 著:村田姉)。
姉さんの言ったとおりだ、と優は、一気に慌ただしく駆け回るクラスメイトを見ながら唖然とする。『蒼美女子は、中学時代の受験戦争の鬱憤が溜まってよく暴発するから気をつけろ~』という、蒼美高校OBである姉の言葉が鮮明に思い出された。
「ちょちょちょ、ちょっと待って!? 絶対行っちゃ駄目だからね!? ケ、ケガとかしても先生知らないからねーー!!?」
夏目先生の自滅とも思える一声を引き金に、クラスの生徒のほとんどは群魚のように一塊になって教室を出ていった。夏目先生がその群集を引き留めようとするも力及ばず。その場にへたり込んでしまった。
「優ちゃん、優ちゃん! 私たちも行ってみない……?」
「えー、私はいいよ。興味ないし」
「そんなこと言わずに~、ね……いい、でしょ?」
教室を出ようとする優の手を必死に握りしめて、心愛が上目遣いで語りかけてくる。
同じ女子ですらキュンときてしまいそうなその素振りは、見る者の思考を停止させ、意のままに操る催眠術の類のようだ。
だが、長年の付き合いである優にその手は通用しない。
優は、心愛の手を振り払って言った。
「そんなに見たいなら心愛一人で行ってきてよ。私、もう帰るから。そんじゃ」
「えぇ!? 待ってよぉ~優ちゃーん!」
心愛の呼び止めにも応じず、優は一気に駆け出す。その姿は、心愛が後を追いかけようと教室を出たころには、跡形もなく消え去っていた。
「まったく、心愛のやつ。私が野球嫌いなの知っててああいうことするんだから。イベント渇望症って、わりと本気で信じたほうがよさそうだな……」
優は、階段を駆け下りながら、心愛への愚痴を漏らす。
イベント渇望症……なんて言いはするものの、さすがに自分の嫌いなものが関係しているとなると、イベントそっちのけで帰路に向かうものなんだな、と我ながらに思う。よし、家に帰ったら女子高生語録に書き加えておこう。
優が、バックから手帳を取り出そうと下を向いたその時――
「――ッ!? あ、危なぁぁぁぁぁぁぁい!!!??」
優の正面からサイレンのようなけたたましい声が聞こえる。
気づいた時には遅かった。
優が声の聞こえた方へ顔を上げると、目と鼻の先に、バケツを抱えた見知らぬ生徒が。
「や、やば、ぶつか――」
ぶつかる――。
優がそう言い終わらぬうちに、両者の額と額が勢いよく衝突した。
ゴーン!!
優の脳にごつい衝撃が走る。まるで、金づちで頭を勝ち割られたような――というか、実際に金づちに頭をぶつけたのかと錯覚するくらいの鈍い痛みを感じた。自分で振ったバットを後頭部に当ててしまった時のような懐かしさすら覚える。
頭の中でいまだ反復して鳴りやまぬ金属音。
明らかに、衝突した時の音が人間同士のそれじゃない……と思った微かな記憶を残し、優はその場で気を失った。