笑顔の魔術師と愉快な仲間たち①
一回のウラ、逆覇亜高校の攻撃。
相手側の一番打者がバットを構えたのを確認し、千鶴が投球動作に入る。
それと同時に、内外野を守る蒼美ナインが身構える。
千鶴はセットポジションの体勢からゆっくりと右足を上げ、追い風に乗るように体重を移動させる。
右手にはめたグローブで弓のようにキャッチャーミットへ狙いを定め、ボールを握る左腕はその弦を引くように目いっぱい伸展させる。スローモーションのようにゆったりとした体重移動の中、空中に上げた右足を地面へと踏み込ませた瞬間、引き伸ばされた左腕が加速度的に動きの速さを増す。
そして、前に差し出したグローブと入れ替わるようにして後方の左腕が顔を出し、その先端からボールが指先を滑るようにして投じられた。
スリークォーター気味の左腕から放たれたボールは――ど真ん中――相手にとって絶好のコースへと一直線に向かっていく。それを確認するや否や、相手打者はスイング動作を開始する。
タイミングは確実に合っていた――がしかし、そのバットから金属音が響くことはなかった。
千鶴の投じたボールは、スイングされたバットを避けるようにして急激にその進路を変え、最終的に朱夏がキャッチャーミットを構える、左打者のアウトコース低めへと収まった。
パァン! とミットの皮革が音を立ててしなる。
審判はキャッチャーミットにボールが収まったのを確認すると、『ストライーク!!』の声と同時に右腕を高々と上げた。
「初球スライダーか……」
優は、千鶴のピッチングを自分なりに分析する。
「千鶴先輩の性格からして真っ向勝負とかはしなさそうだけど……あのコントロールにキレのある変化球……もしかして先輩ってすごいピッチャーなのかも……」
「ナイスボールです! お姉さま!!」
「朱夏~、恥ずかしいからわざとミットの音立てるのやめてよ~」
「いえいえ、今日も球、走ってますよ!」
朱夏が千鶴にボールを返球する。千鶴は少し顔を赤らめながらも、そのボールを笑顔で受け取った。
確かに、千鶴のボールはキレこそあれど球速は大したことは無かった。ただ、変化球にしては球速がある方だったが。
きっと、直球の威力は凄まじいものなのだろう。あの長身にしなやかなに伸びる長い手足。千鶴のその体躯は、優が思う剛速球ピッチャーの特徴にピタリと当てはまっていた。
しかし、優には千鶴の直球のことよりも気になることがあった。
「”お姉さま”って……なんだ?」
優が、千鶴と朱夏の間の血縁関係の有無を拙い想像力であれこれ考えていたところ、マスクを外した朱夏から叱責される。
「こらサード、集中してください!! お姉さまの完璧なるピッチングを邪魔するものなら、いくら新入生とはいえ容赦しませんよーッ!」
「わっ!? す、すみません!!」
朱夏の目からはユラユラと殺気じみた眼圧が伺えた。心なしか朱夏の整えられたおかっぱ頭も殺気を帯びて揺れているように見える。
優が慌てて帽子を取りペコペコしていると、それを隣から見ていた夜子が高慢ちきな甲高い声をあげる。
「おい新入り! 朱夏をあまり怒らせるでないぞ……。朱夏の前でエラーをするものなら、その時点で死が宣告されているものと思え、いいな!?」
「は、はあ……」
夜子は、サードを守る優の左隣――ショートの位置を陣取りながら、何かに怯えるように暗黒神とやらに祈りを捧げていた。
「はあ。あんな変な先輩と三遊間組むなんて……」
「新入り、何か言ったか?」
「いいえー、何にも言ってませーん」
これ以上突っかかれるのは嫌なので、優は夜子を無視して、相手バッターに集中する。
千鶴が流れるような投球フォームで、2球目を投じる。
千鶴から放たれたボールは、今度はふんわりと山のように高い弧を描き、またも朱夏が構えたアウトコース低めいっぱいにドンピシャで収まる。打者はタイミングが合わず、スイングすることすらかなわなかった。
主審の右腕が上がる。
「今度はカーブ……」
優は、相手の打ち気を逸らすような千鶴のクレバーな投球につい見入ってしまった。
初級の相手のスイング傾向から相手の狙い球が直球であることを瞬時に判断し、今度はタイミングをずらす大きなカーブを選択。
朱夏のリードもさることながら、朱夏の要求通りに投げ込むことができる千鶴も異様にレベルが高いことに、優は感心すると同時に不思議に思った。
なぜ、こんなすごい投手が野球部もない無名高にいるのだろう、と――。
千鶴は、そんな優の視線に気づいてか気づかすか、口角を更に吊り上げ、ニヤリといたずらな笑みを浮かべている。
優は、千鶴に会ってからというものの、千鶴の笑顔の表情しか見たことがない。いや、よく考えたら今日あったばかりの人間なのだからそれも無理はないと考えることができるだろう。でも、この短期間で千鶴の笑顔を何種類も見た気がする。
校門で初めて出会った時。
気絶した自分を心配してくれた時。
自慢げに話をする時。
そして、野球をしている時。
本当に、多くの笑顔を見てきた。
だからこそ。
だからこそ――優はその笑顔にほんの少しの違和感を感じていた。
まるで、野球を楽しもうと、努力しているかのように。
優が、千鶴の投球にどこか釈然としない気持ちを抱いていたその時だった。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!? どけぇぇぇ新入りぃぃぃぃぃぃ!!!!」
グラウンドを包む程よい緊張感を乱すように、突如響き渡る奇声。
優は、その声の方を――声の主は大体予想できていたが――一応振り向く。
やはり夜子だった。
夜子が、自分の持ち場であるショートの守備範囲を大幅に外れ、その小さな体と銀色に輝く髪を振り乱しながらダッシュで優の方へ向かってくる。その表情にはどこか鬼気迫るものがあり、まるで見えない何かに追いつこうとしているように見える。
「ちょっと夜子先輩!? 何やってるんですか、千鶴先輩がもう投球モーションに入ってるんですよ!?」
「だからこうして走っておるのだろうが!! いいからどくのだ新入りぃぃぃ!!」
「うえぇ!? 意味わかんないんですけどぉ!!?」
優の方へ走っていくに連れ、夜子の顔からは余裕が段々と失われていく。
夜子があたふたしている優の脇を通り過ぎたと同時に、千鶴が3球目を投じる。
「まずい、今ショートに打たれたら……!」
優はもぬけの殻となったショートのカバーに入ろうと、三遊間側に少し寄る。
しかし、その優のフォローは杞憂に終わった。
打者の内角を抉るような千鶴のシュートボールに、相手打者が完全に詰まらされたからだ。
打球はフラフラと力無く、サード奥のファールゾーンへと上がる。
「!? よかった、ファールか……」
優は、一瞬打球方向へと反応するが、その打球を確認するや否や、ファールだと判断し歩みを遅くする。
もし、ショートに打たれていたら確実にヒットになっていた。
ん? そういえば夜子先輩は……?
「まさか、夜子先輩!?」
そのまさかだった。千鶴の投球直前にファールゾーンに向かって走り出していた夜子は、普通ならば明らかにファールになるような打球に、今まさに追いつこうとしていた。
ちょこちょことした走りに多少の運動不足感は否めないが、それでも夜子は、打球の落下地点に一直線に走っていく。
「ぬおぉぉぉ!! 暗黒神の加護よぉぉぉぉぉぉッ!!!!」
夜子は甲高い雄叫びとともに、ボールが落下する影にグローブを伸ばす。
夜子の小さな体が風に吹かれたように一瞬宙に浮いた後、盛大に土煙を上げ、地面に突っ込んだ。
優とレフトを守っていた玲奈が、地面にうつ伏せになっている夜子の元へ慌てて駆け寄る。
「や、夜子先輩、大丈夫ですか!?」
「や、夜子ちゃーん!? 無理したらダメっていつも言ってるのに~! そんなことしたら夜子ちゃんの可愛いお顔が汚れちゃう~!!」
二人の呼びかけに、ぴくッと夜子の指が反応する。そしてすぐさま夜子は小刻みに震えだした。
その様子は明らかに正常ではない。
「や、夜子先輩……? 本当に大丈夫ですか? 頭とか打っちゃいました?」
優が本気で心配になって、夜子の顔の方へと寄り添うように近づく。
しかし、その心配をよそに夜子の震えはその激しさを増していった。
そしてついに――
「フハハハハハハハハーーー!!!!!!」
笑い出した。
グローブの中からボールを覗かせて。
「見たか新入り!! これが私――天童夜子の未来予知能力、題して”銀色の預言者”だッ!!」
夜子は、土一色になった自分の顔のことなど全く気にもせず、捕球したボールを自慢げに見せる。
夜子がその平坦な胸を躍らせながらカッカッと笑うたびに、ユニフォームについた土がハラハラと落ちる。
夜子が急に笑い出したときは、とうとうキャラとか関係なく頭がおかしくなってしまった、とヒヤヒヤしかけた優だったが、元気そうな夜子を見てホッと胸をなでおろす。
玲奈も安心したようで、「良かった~♡ いつものおかしくて可愛い夜子ちゃんだ~♡」と、夜子に抱き着こうとして飛び掛かる勢いだった。
「さっすが夜子ちゃん!! ナイスキャッチ!!」
マウンド上からその様子を見届けていた千鶴が、夜子に称賛の声を送る。
千鶴の喜びにあふれた笑顔からは、先ほど優が感じていた違和感は見られなかった。
やはりさっきのは自分の思い違いであったらしい。
「あぁ! やっぱり我慢できな~い♡ やっこちゅわ~ん♡」」
「ぐえぇ……やめろぉ……キモヂワルイ……」
優の隣では、結局欲望を抑えきれなかった玲奈が、自分の豊満な胸で包み込むようにして夜子の顔を押し付けていた。
傍から見ると親子のような絵面である。
夜子はその顔にめいっぱいの嫌悪感を滲ませ抵抗するが、その細い腕ではどうすることもできず、ジタバタすることしか出来ない。
二人の微笑ましい(?)光景を夜子の好守を口々に称えながら、笑って見ている千鶴たち。
土で汚れた夜子の顔が、負の感情とも相まって一層顔の造形を醜悪にする中、彼女の銀髪はそれでも輝きを絶やさず、キラキラと反射を繰り返していた。




