グラウンドの中心で絶望を叫ぶ
『女子高生になったら、おしゃれな服を着て、原宿とかでショッピングして、イケメンな彼氏と付き合うんだ~!』
そんな夢見心地なことも言ってたっけ――。
私は、眼前に広がる春特有の透き通った青空を眺めながら、まるでそれが遠い過去だったかのように数か月前の自分に思いを馳せる。
純粋無垢だった中学時代の夢は見事成就し、私は晴れて女子高生になった……のだが、今のところ思い通りになったことと言えばそれくらいである。
自らのこの惨状を中学校時代の私が見たら、どう思うだろうか。
きっと、絶望に打ちひしがれるに違いない。
おしゃれな服は、泥にまみれたユニフォームに姿を変え、原宿でショッピングをする代わりに、砂埃の舞う校庭で、ただただ汗を流している。隣を見てもイケメンな彼氏などいるはずもなく、のっぺらぼうの三塁ベースがお出迎えするだけ。
まさに、私が想像していた地獄そのものだった。
額からは、冷や汗とも区別がつかないような嫌な汗が溢れ出る。
入学式のために気合を入れてセットした髪も、今では頬にへばりつくだけの邪魔な存在でしかない。
カキーン!!
金属バットの響く音。二度と聞きたくなかったこの音が、敬遠し続けてきたこの音が、自分の耳に未だに纏わりついているのが分かる。ああ気持ち悪い。
土の匂い、グローブの温かさ、スパイクが地面を削る音。
悪夢だと現実逃避するにはよく出来すぎている。
そう、これは夢なんかじゃない。現実に起こっている出来事なのだ。
だからこそ――夢じゃないのは分かっているからこそ――ひとこと言わせてほしい……。
私は、ありったけの悲痛に満ちた思いを込めて、叫んだ。
「なんで! 私が! 野球なんてやってんだあああぁぁぁ~~~!!」
校庭の真ん中で、絶望を叫ぶ。
無論、心の中で。人ではない誰かに向けて。
しかし、その悲鳴が神に届くことはない。
私――村田優の華々しい女子高生生活の記念すべき1ページ目は、容赦なく土色に染めあげられた。
回想終わり。
「お~い、優! ボールいったぞ~!」
「え!? あ、はい!」
私は、曜子先輩から投げられたボールを拾って、投げ返す。
先ほどの事故のおかげ(?)で両手はすでに土まみれだったので、もはやグローブをはめることにも、ボールを触ることにも抵抗は無くなっていた。自分の環境適応能力が憎い。
この通り、回想終わりとはいったものの、現在進行形で地獄旅行は続いている。
しかも、山で例えるとまだまだ1合目あたりだろうか、まだまだ地獄は始まったばかりである。
なんで山で例えたんだろう……まあいいや。
試合は攻守交替、一回ウラに入るところ。
ピッチャーの千鶴先輩が投球練習をしている。千鶴先輩がその長い手足を使って投げるたびに、後ろで一本にまとめた長い黒髪が大きく揺れる。
その間、サードを守る私は、他の内野陣の先輩たちとともにボール回しに参加していた。
私が左手にはめているのはロボ子さんのグローブだが、意外と手に馴染んでいて使いやすいのが嬉しさ半分、悲しさ半分といった感じだった。
ロボ子さんは、千鶴先輩のパソコンに繋がれたままスリープモードを維持している。
そしてその横には、
「優ちゃ~ん! 頑張れ~!!」
心愛が満面の笑みで手を振っていた。手にはスマホを構えていて、常に私の方を向けている。
心愛は私が盛大にダイビングをしたあと、すぐに私を心配してグラウンド内に駆けよってきてくれた……までは良かったのだが。
私が野球に興じている姿を見て、心愛は盛大に勘違いしてしまっていた。
心愛は、地面と同化していた私をすぐさま引っ張り出し、土にまみれた私の顔をどこからともなく取り出したタオルで拭い、そしてまたまたどこから取り出したのか、今度はロボ子さんの帽子とグローブをまとめて私に渡し、「頑張ってね!」と笑顔で私を送り出した。
その間僅か30秒。手慣れたものである。
さすが、リトルリーグ全国大会優勝チームのマネージャー、といったところか。
心愛の父親が、当時私の所属していたリトルリーグのコーチをしていたということもあり、その父親に付き添って心愛自身もよく球場に足を運んでいた。心愛は野球とは無縁そうな可憐さを当時から放っていたので、私のように無理矢理野球をさせられるなんてことはなかったが、その代わり、練習に来ては水出しやタオル係などのマネージャー業務を率先してこなしていた。
そんな彼女の口癖は、「頑張ってるみんなの力になりたい」だった。
そんな健気さと愛らしさを併せ持っていた心愛は、勝利の女神として、いつしかチームに欠かせない存在となっていた。
心愛のチーム内での貢献度の高さは、『優勝できたのは心愛の支えがあったからこそだ』と、小学生ながらにチームメイトが口を揃えて言うほどだった。
そんな心愛の期待を背中から一心に受けて送り出されてしまったのだ。このままベンチに引き下がれるわけがない。心愛の勘違いのせいで、とうとう守備にまでつくことになってしまったが、もうやるしかないと腹をくくる他なかった。
『ワンモアピッチ!!』
「ボールバック~!!」
審判の「あと1球」という合図とともに、キャッチャー防具に身を包んだ朱夏先輩が、内外野全体にボール回しを終わらせるよう促す。
千鶴先輩が最後の投球練習を終え、内野から返球されたボールを受け取ると、くるっと守備陣の方を振り向いて叫んだ。
「よーし、みんなー!! 今日も楽しくやってこー!!」
「「「おー!!」」」
千鶴先輩は、常に笑みを絶やさない。
私は、いつしか自分が野球をやっているという悲しみや絶望やらをすっかり忘れ、千鶴先輩がどんなピッチングをするのだろう、ただそのことだけに興味を惹かれながらグラウンドに立っていた。