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柔と剛の天才打者②

紗月(さつき)ちゃん、今日もいい仕事人っぷりだったね! あと、ホッシーもナイスラン!!」


 ベンチに帰ってきた光里(ひかり)と紗月を、千鶴(ちづる)がパソコンの作業を中断して出迎える。光里は元気よく、紗月は表情を崩さぬまま、それぞれ千鶴のハイタッチに応えた。

 空気の読めなさそうな千鶴がしっかりベンチワークをすることに、(ゆう)は少し驚きを感じながらも、千鶴に倣って紗月、光里、夜子(やこ)の順にハイタッチをする――


「――って、なんで夜子先輩までベンチに帰ってきてるんですか!?」


 一仕事を終えたかのように満足げな表情で紗月たちと並ぶ夜子に、優が声を上げる。

 夜子は、ヘルメットを外し、銀色に反射する髪を整えながら、ばつが悪そうに口を開く。


「――ま……」

「「「……ま?」」」

「魔力が尽きただけだ……」

「「「…………」」」


 苦し紛れの言い訳をする夜子を蒼美ベンチの面々がしらけた顔で見つめる。その視線を受けてか、夜子の額からは徐々に汗が浮き出る。

 夜子がその沈黙に耐えられず、「魔力を補給してくる!!」と言って水飲み場へ駆けて行くまで、5秒とかからなかった。

 

 どうやら、優たちが光里のホームインに注目している間に、夜子が二塁ベース上でタッチアウトになっていたらしい。

 しかし普通ならばこの場合、一塁ランナーはタッチアップするべきではない。

 当の本人が逃走してしまったので、蒼美ベンチの面々はその責任の追及を一塁コーチャーの玲奈(れいな)に向けた。

 ベンチからの蔑視の視線(特に2年生組から)を感じ取った玲奈が、慌てて取り繕うように弁明する。


「いやいやッ!? 私はちゃんと止めたからね!! 『夜子ちゃん行かないでぇ~♡』って」

「「「…………」」」


 一概にも夜子だけの責任とは言い切れない蒼美ベンチだった。



◆◆◆



「じゃあ、そろそろ準備してもらっていいかな? 優ちゃん」

「う……はい、わかりました……」


 千鶴先輩に促されるままに、私は打席の準備をするため、その重い腰を持ち上げる。

 そう。ツーアウトでバッターは4番の曜子(ようこ)先輩。ネクストバッターは――私だ。

 緊張なんてしていない。父からのプレッシャーを抱えながら何百打席と立ってきたから。

 ただ、あれだけ嫌って避けていた野球をこんなハチャメチャな成り行きですることになるなんて……と、自分の不運を呪っていただけだ。

 蒼美ブルーに染められたヘルメットを持ち、憂鬱な表情を浮かべていた私に、曜子先輩がやさしく微笑みかける。


「大丈夫大丈夫!! リラックスだぞ、優」

「べ、別に緊張してるわけじゃ――」

「よし、新入生のためにもいっちょかっこいいところ見せますか!!」


 ガクッ。

 このおかしな野球部で唯一と言っていいほどの理解者に、簡単に見放されてしまった。

 不運は重なるものなのだろうか。

 私とネクストバッターズサークルで入れ替わり、打席へと歩みを進める曜子先輩。

 私は、曜子先輩のスパイクの跡に足を合わせるようにして、サークルの真ん中にしゃがんだ。

 でも、千鶴先輩と同じように、この試合を待ち遠しく思っていたのは曜子先輩も一緒なのだろう。

 あの打席へと向かう後ろ姿からでもわかる。これから始まる相手投手との対戦に、心躍っているのが。


「曜子先輩!!」

「ん? どうしたんだ、優」

「えっと、その……頑張ってください!!」

「もちろん!!」


 曜子先輩はニカッとすると、悠々とした足取りで打席へと向かっていった。


 つい、声をかけてしまった。

 私は、自分の行いを責めるように太ももをつねる。

 痛い。

 しかし、その痛みが脳へと伝わっていくにつれ、心の中で湧き上がっていた何かが鎮火していくのを感じた。


 本当は、野球なんか全く興味ないということをアピールしてなければいけないのに。

 自分から友好的に接するなんて言語道断。部に馴染めそうだと勘違いされたらそれこそ厄介だ。

 

「なのに、なんであんなことしたんだろう……」


 日の光が陰っていくのを感じる。

 さっきまで色を持っていた物全てが、夜を迎えたように段々とその輝きを暗くしていく。

 頭上を見上げると、さっきまで鬱陶しく照り付けていた太陽が、大きくて厚い雲に飲み込まれるようにして隠れていた。

 雲の流れが速い。

 けれど、その大きな雲だけは、意地を張ったようにその場から動かなかった。

 

 薄暗くなった視界の中で、元の濃い蒼の面影が無くなったヘルメットを見つめる。

 その光を失った蒼は、私の不安定な心を落ち着かせるようにひんやりと冷たかった。

 私が無意識のうちにあんな行動をとってしまったのは、きっとグラウンドに出ているせいでハイになっているだけなのだろう。

 私はそう言い聞かせるようにして、無理矢理自分を納得させた。



 日の陰ったグラウンドに、一陣の風が吹く。

 その風にあおられて、そこかしこで砂塵が舞った。

 

 異様な緊張感が漂うグラウンド。

 野球などよく知らないはずのギャラリーさえも、その雰囲気を肌で感じ取ったのか息をひそめている。そんな張り詰めた空気を作り出していたのは、紛れもない曜子先輩だった。

 曜子先輩が右打席に入った途端、逆覇亜(ぎゃくはあ)高校ナインが少しづつ後ずさる。

 長打を警戒してのことではない。

 どこかで感じ取ったのだ――曜子先輩の、強さを。

 バットを構えているだけでもわかる。無駄な力を抜いた隙のないバッティングフォームが、曜子先輩の体躯をより一層大きく見せている。

 逆覇亜高校のキャッチャーは、当然のように初球外寄りに構える。四球になっても問題ない、と言わんばかりに。

 ピッチャーもその要求に頷き、第一投を放る。要求通りの外角低めいっぱいのストレート。まずこのコースに投げていれば、長打は無い。

 しかし――



 ガキィィィン!!!!



 その考えは甘かった。

 曜子先輩が長い腕を伸ばして捉えた打球は、今日一の轟音を響かせてセンター後方へと勢いよく飛んでいく。その打球は、逆風に押し戻される気配など微塵も感じさせない。

 そして、勢いそのままにフェンスを越え、グラウンドの奥へと消えていった。 

 文句のつけようがない完璧なホームランだった。


「うおぉ!! さすがキャプテン!! かっけぇー!!」


 光里(ひかり)先輩の屈託のない驚きの声を皮切りに、蒼美ベンチが一気に盛り上がる。


「Excellent! Wonderful! Amazing! ヨウコ先輩、ナイスバッティングデ~ス!」

「フッ、さすが殲滅の豪打(グレイテスト・アーム)……。我が暗黒神の力に追随する者だ」

「ヨーコ~! ナイバッチ! 愛してる~!!」

「私も愛してるよ~♡」


 三塁コーチャーの朱夏(しゅか)先輩とグータッチを交わしながら、曜子先輩が颯爽と三塁ベースを駆け抜ける。そして、大事そうにホームベースを踏みしめた。

 周囲で沸き立つ声援に応えながら、笑顔で帰ってきた曜子先輩に、私は無意識のうちに手のひらを向ける。


「ナ、ナイスバッティングです! 曜子先輩!」

「ありがとう、優。気合が空回りしないか心配してたけどなんとか打てて良かったよ。優も頑張れ!」


 曜子先輩は私とハイタッチを交わした後、ポンと背中を軽くたたいて、ベンチのみんなの元へ駆けて行った。これ以上ないといったような盛り上がりを見せる蒼美ベンチ。


「頑張れ……か」


 私は、誰にも聞こえないほどの小さな声でそう呟く。

 抱き合いながらハイタッチを交わすその光景を、私はやはり、心のどこかで俯瞰して見つめることしかできなかった。どうせ、私は今日限りでいなくなるのだから。


 空を見上げる。

 太陽を覆っていた分厚い雲の切れ間から、淡い光芒が差し込む。

 しかし、私にその光を感じる心の余裕は存在しない。


 ついに――私に打順が回ってきた。



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