首切り侯爵の末娘は悪役令嬢の平穏を望む
「卒業の儀を終えた諸君、大儀であった」
現カーターヒル王国国王陛下が葡萄酒の入ったグラスを掲げると、わたしたち王立学院卒業生もそれに倣ってグラスを手にした。
「諸君らの未来に、乾杯!」
「「「我らが王国の未来に、乾杯!」」」
わたし、リーゼット・レティシア・ネリー・ロベールは、本日めでたく王立学院卒業の誉れを頂いた。ロベール……カーターヒル王国建国以来、司法に関わる優秀な官吏を数多く輩出する名家がわたしの実家。
お父様も例外でなく、高等法院の長官をなさっている。超エリート様だ。首切り侯爵とかいうちょっと物騒なあだ名があるけど。
「リズさん、ご卒業おめでとうございます」
「オレリア様! ありがとう存じます。オレリア様も、ご卒業おめでとうございます」
「ありがとう。先ほどあなたのお兄様方を見かけたわ。相変わらず、ご兄妹仲がよろしいのね」
穏やかな声に振り向けば、想像通りの声の主が、想像通りの表情で佇んでいた。イェルシェマ公爵家令嬢のオレリア・ジュリエンヌ・セヴリーヌ・イェルシェリス様。王国中の令嬢のあこがれの的。もちろん、わたしもあこがれている。領地が隣同士で、交流は盛んな方。優しい真珠色の髪はいつも艶があり、深い水底のような瞳は落ち着いて見えて、実は好奇心にきらめいている。外見だけじゃなくてお優しい方だし、聡明で穏やか。マナーは完璧に覚えておられ、勉強させていただいた回数は両手足の指の数じゃ足りない。卒業の儀に着用していた制服を脱ぎ、華やかで上品な光沢の、ブルーのドレスを纏っている。キイト、という東国名産の糸を織った絹でできているのだとか。
そんなオレリア様に欠点があるとすれば、ただ一つしかない。
「そうでしょうか。父の仕事についてきただけでは?」
ちらっと視界のはしをかすめた欠点からごく自然に目をそらすと、わたしは恥ずかしがって見えるように微笑んだ。
「あなたを探していましたわ」
お兄様方、というならば、フランソワ兄様とリュカ兄様だろう。フランソワ兄様はこの国の第一、第二王子と同い歳で、なんと生まれた日も一緒。わたしのお母様は王子様の乳母で、第二王子殿下とはわたしも面識がある。第一王子殿下は表に出てこないから、ご尊顔を拝したことはないけれども。
リュカ兄様はフランソワ兄様ととても仲がいい。歳は二つ離れているけれど、聡明な兄様で妹は自慢のしがいがある。
妹にはとっても甘い兄様たちだ。
ただまあ、フランソワ兄様がオレリア様に意味深な視線を投げることが多い気はしているが。
「後できちんと挨拶に行きます。今日はオレリア様に学園で会える最後の日ですもの。友人同士で過ごしたって、兄は怒りませんわ」
「ふふふ、年の近いご兄弟がいるなんてうらやましいわ」
「オレリア様も、オルフォード様とは兄妹仲がよろしいではありませんか」
「歳が離れていると、喧嘩もあまりできないのよ」
「わたしと兄も、そんなに喧嘩はしませんわ……」
冗談なのはわかっているが、楽しそうなオレリア様に控えめに反論してみる。オレリア様、ふふっと笑うだけで堪えている様子は無し。
いつもこうやって微笑んでいるものだから、わたしは引っ込むしかないのだけれど……。
「見かけたといえば、先ほど第二王子殿下をお見かけいたしました。なにかあったのでしょうか……」
「あら、本当? 気づきませんでしたわ。ご挨拶に行った方が良いかしら」
「でもオレリア様、あの……」
遠慮がちに出そうとした婚約者である第三王子と一緒の方がいいのでは、という言葉は、当の第三王子の声で掻き消された。
「本日めでたく卒業の儀を終えた諸君! 聞くがよい!」
…………は?
オレリア様の肩が跳ねた。
思わず第三王子を睨みつける。お気楽三男坊の隣には、サロメ・ヴィディエ男爵令嬢が張り付いている。何を隠そう、このふたり、正確には第三王子がオレリア様唯一の欠点……あえて遠慮しない物言いをするならば、馬鹿婚約者と身分の高い男に粉をかけて回るノータリン令嬢である。
これまでにこのふたりと第三王子殿下の取り巻きたちは学院内外で問題を起こし、リーダーである第三王子の婚約者たるオレリア様、そして取り巻きたちの婚約者が方々に謝罪してなんとか事なきを得てきたのだ。婚約者もいないわたしもついて行ったけど。
それを、このめでたい場で、しかも王国の重鎮の席も用意されている中でなにかやらかせばどうなるか……。頭を痛める段階は、もう通り過ぎた。
「オレリア・イェルシェリス! 今ここでお前との婚約を破棄し、このサロメ・ヴィディエ男爵令嬢との婚約を発表する!!」
「なっ……」
お前って言った。この男には淑女に対する扱いと公爵令嬢に対する敬意についての再教育が必要かもしれない。
そう考えていると、後ろから控えめに腕を引かれた。
「相変わらず過激なことを言うね、我が妹は」
「……フランソワ兄様、リュカ兄様」
腕を軽くつかんでいるのはわたしと同じエメラルドの瞳のリュカ兄様だった。振り向く前に声をかけたのがリラの瞳のフランソワ兄様。
「お前が飛び出していかないよう止めにきたよ」
そこまでわたしは考えなしではないです、兄様。
それから、こっちに来た理由はたぶんそれだけじゃないでしょう特にフランソワ兄様。
「それは……理由をうかがってもよろしいでしょうか?」
震えを抑えた声で、気丈にもオレリア様は問いかける。
こんな大勢の前で婚約破棄を宣言された上に、身分差甚だしい男爵令嬢との婚約を宣言される。ひどい侮辱だと思うし、実際に第三王子殿下は侮辱するつもりで言ってるんじゃないかしら。
それでも毅然とした態度をとろうとするオレリア様、淑女の鑑すぎる。わたしも見習わなければ。
少し冷静になると、周りの様子がよく見えてくる。
この卒業記念パーティーは国王主催。基本的には最後までいらっしゃる。陛下はお止めにならないのかしら? 不思議に思って国王陛下の方に目を向けると、興味深そうにあごをなでていた。
「何を白々しい……お前はここにいるサロメに嫌がらせをしたことは周知の事実! よってお前との婚約を破棄するのだ!」
違う気がする。
嫌がらせの件は置いておいても、それが婚約破棄と同時にサロメとの婚約を発表する理由にはならないもの。
「ふむ……」
「父上、どうか、サロメとの結婚を認めてください!」
「国王陛下、私からもお願いします! 私、彼を愛してしまったのです」
「控えよ、ヴィディエ男爵令嬢。あなたに直答が許されたわけではない」
自分に酔っているかのようなバカップルの声に続いて、冷たい声がした。宰相閣下のお声だ。陛下のすぐおそばに控えている。相変わらずナイスミドルだ……。
「罪人の父の分際で、未来の王太子妃によくもそのような口がきけたものだな!」
誰が、いつ、王太子になったんですか?
この国の王太子は第一王子のフランシス殿下だ。第二王子殿下と双子の。
病弱だか留学中だか人嫌いでめったに表舞台には出てこないが、優秀な方だそうだ。第二王子殿下がそう嬉しそうにお話しくださったので間違いないと思う。
「そうは言うがアントナン。オレリア嬢がサロメ嬢にいったいどのような嫌がらせをしたというのか、教えてはくれなんだか」
「はい、父上。……サロメ、話せるか?」
「お前から話せ。余はまだその娘に直答を許してはおらぬ」
慈しみ深い瞳をヴィディエ男爵令嬢に向ける第三王子殿下に、陛下がぴしゃりと言い放つ。その瞳に、獲物を追い詰めるような愉悦が見えた気がした。
アントナン……第三王子の話は、オレリア様がやるにしてはずいぶんと幼稚な嫌がらせの数々だった。やれ物を隠されただの、足を引っかけられただの、嫌みを言われただの、階段から落とされただの。そんなの低級貴族の間ではしょっちゅう起こっていることだし、オレリア様自らそんなことをする必要なんて無い。しかもたいていの場合はわたし、王太子派の貴族がいるのだから、第三王子殿下の婚約者として、アントナンが不利になることなんてしないっつうの。
そもそも、オレリア様とアントナン第三王子殿下の婚約は、第三王子派が強硬に進めたのであって、オレリア様が望んだことじゃない。フランソワ兄様との婚約が決まる直前に、向こうがねじ込んできたのだ。それは周知の事実。なのにこんなことをするなんて、殿下は王家の籍から抜かれたいのかしら。
「なるほど、なるほど。それが本当ならば、オレリア嬢が陰湿な嫌がらせを行っていたと言えなくもないな」
ゆったりと顎をなでた陛下は、愉しげに会場を睥睨し、やがてわたしたちのあたりで視線を止めた。
「リーゼット・ロベール嬢!」
「ひえっ……は? はいっ」
「この一連の騒動について、高等法院長官の娘であるそなたの見解を述べよ」
「え゛っ」
何でこっちに飛び火するのかな!? 驚いて変な声出たよ。
思わず父の顔、リュカ兄様の顔を伺った。フランソワ兄様? どこかへ消えましたわ。
あっ父様その一見無表情に見える顔はGOサインですわね? ええ、娘にはさすがにわかりますわ。父様の顔をつぶさぬよう、しっかりとつとめさせていただきますわ。リュカ兄様、なぜわたしにだけ見えるようにそんな変な顔をなさっているのですか? おなか痛いのでしょうか。だいじょうぶかしら。後でお医者様に整腸剤を出して頂きましょうね。
「まず」
「お待ちください! リーゼットはオレリアの友人。サロメに不利なことを言うに決まっている!」
知らん。とばかりに陛下がそちらを向くことはない。なのでわたしも国王陛下に従うとしよう。
「……まず、殿下とオレリア様の婚約破棄、ヴィディエ男爵令嬢との婚姻ですが、王族の婚姻に関する法律、また現代までの判例を見るに可能であると考えます」
「ほう」
「これまでにも婚約者がありながら恋愛結婚をなさった王族の方は多くいらっしゃいます」
今の王后様も元々庶民の大恋愛の末の結婚だったらしいし。
もっとも王后の座を勝ち取ってきた歴代王の恋人たちは、それなりの功績を立てた上で婚約者とも何度も話し合い貴族達に根回しをして、厳しい淑女教育、王后教育に耐えてきた女傑ばっかりだけれど。
そんな内心に気づかず、第三王子は満足げに頷いている。
「次にオレリア様の嫌がらせ疑惑についてですが……」
ちら、とわたしがヴィディエ男爵令嬢に視線をやると、過剰におびえた顔をされた。第三王子や取り巻きは、その小動物みたいなところがいいと言うが、そんなんじゃ今敵を作りまくった第三王子妃としてはやっていけないと思うんだけど。
「具体的にどのようなことがあったのかお話しいただけないと、わたくしからはなにも申せません」
「貴様、サロメが嘘をついているというのか!?」
「いえ。ただ、具体的な内容がわかりませんと、わたくしとしても全体の把握ができないと申したつもりでしたわ。お気に障ったのなら申し訳ございません」
「ふんっ」
「ですので、国王陛下。ヴィディエ男爵令嬢に詳細を伺ってもよろしいでしょうか?」
国王陛下に伺うと、鷹揚に頷いた。
「では、ヴィディエ男爵令嬢。あなたのされた嫌がらせの内容、日時、回数、実行者を教えていただけますか」
「えっと、はいっ」
淑女に『えっと』はいらない。減点。
嫌みを言われたのは、婚約者のある異性に気安く声をかけるのは礼儀知らずだと思われるという内容で、これは教室で言われたから多くの目撃証言がある。ただし、これは婚約者として当然のお役目であると頭の中でカテゴリ分けする。
ものが無くなったとかいうのは、誰がやったかわからないが、その直前に嫌味を言われたからオレリア様ではないかと思っていると。
足をひっかけられたというのは、わざわざ狭い机間通路を使用した際に足が引っかかり、転んだのがオレリア様だったから、とか。それオレリア様が被害者! と叫ばなかったのは褒めて欲しい。
彼女が言う内容を頭のスケジュール帳と掛け合わせていく。ほんの少しの違和感はどんどん蓄積して、やがて決定的な『ズレ』になる。それを私は待っていた。
「それから、私が階段から突き落とされそうになったのがちょうど一週間前です」
「一週間前ですか。間違いありませんか?」
ぎらり。自分の瞳が輝くのがわかった。これまでに何度か突っ込んで質問したためか、そんなに違和感をもたれなかったようだ。
念のため日にちも確認しておく。
「大変でしたね。それは何時頃で、どこの階段ですか?」
「お昼休みで、学校の階段です。教室に忘れ物を取りに行こうとしたら、オレリア様が来て……」
いらして、だろ。
「ほかに人はいなかったのですか?」
「私とオレリア様だけです」
なるほどなるほど。
「ということですが、オレリア様。そのとき学院にいらっしゃいましたか?」
個人的にはじわっじわ追いつめて自爆させるのが好きなのだけど、そんな時間は無いし……既になにもしなくても自爆してくれそうなので、オレリア様から引導を渡して頂くことにした。
「……いいえ。学院はおろか、この国におりませんでした」
「嘘をつくな!」
「国境騎士に問い合わせれば分かることですわ。しかし、そうですね。その日にオレリア様がいらっしゃらないことはわたしも存じております」
「サロメが嘘をついたとで言いたいのか?!」
「そうですわね、勘違い……という可能性も無きにしも非ず。しかし、わたくしも何度も確認いたしましたから、それもなさそうですわ」
残念です。そう顔を伏せて見せると、第三王子がわたしに詰め寄ってきた。
「なぜだ?! なぜオレリアが海外へ行く!」
「アントナンが行くはずだった被災の慰問にな」
隣国では、二ヶ月前に霖があって、その被災者の慰問に第三王子が向かうはずだったのだ。でもヴィディエ男爵令嬢といちゃつくのに忙しい彼はヴィディエ男爵令嬢が一緒なら、とかゴネて結果的にそれを蹴った。結果、尻拭いとしてオレリア様が第二王子殿下といらっしゃったというのに、それを忘れてなんということを。
「それで、ロベールの娘よ。そなたはこれらをどう思う?」
「はい。おそれながら、疑惑を向けられるべきは別にいるかと愚考いたします」
「そうだな。――ヴィディエ男爵令嬢を捕縛せよ。王家への訴えを謀ったこと、到底許されるものではないと知らしめよ」
ひえっ。
ふだんにこにこ笑っているけど、さすがに一国の元首。低く言い放つその姿には思わず膝をつきたくなるほどの威厳があった。
思わず首を垂れるが、こちらに近づいてくる品のない足音に顔を上げる。ヴィディエ男爵令嬢が、オレリア様になにか喚き散らしている。すぐに騎士が止めに入るだろうから、と思いつつハラハラしていると、左腕を思い切り掴まれた。
「いたっ……」
「殿下、何を!?」
ああ、第三王子殿下≪アントナン≫か。頭の端でぼんやりと考える。
「貴様、貴様がオレリアと共にいなければ! いや、せめてこの場に居なければ、全ては丸く収まったのだぞ!? お前が黙っているだけで、サロメがこんな辱めを受けることもなかったというのに、なぜ俺の顔を立てて沈黙していなかったのだ!!」
うち、王太子派だし。
狂ったようにうわごとを言うアントナンに、人々は目を見開いていた。わたしも含めて。それは妄言だ。王太子でも王でもない彼がこの場を丸く収めるようなことはできないだろう。
「いた、いたたっ」
「貴様のような家臣など願い下げだ! この俺に尽くさなかったその非礼、追って沙汰は下すが――」
上等な手袋に包まれた手が豪奢なシャンデリアの方へ振り上げられるのを、わたしは黙って見ていた。これでオレリア様の婚姻が取り下げられて、フランソワ兄様との再婚約になるなら、わたしの頭なんてなんでもない。
けれども、その手がわたしに触れることはなかった。
「こらこら、待ちなさい愚弟」
ひょいっと伸びてきた手がアントナンの両腕をひねり上げたのだ。
よろめいてなんとか足を踏ん張ったわたしはおそるおそる、その手の持ち主をたどった。
細い顎のライン。そこにかかる少し癖のある真珠色の髪。男性とは思えないほど透き通った白い肌。真珠色に縁どられた目の、リラの虹彩……。
ひゃあ。
「だ、第二王子殿下……」
「やあやあ、リーズ。なにやら大変な事に巻き込まれているようだな」
にっこり。麗しの第二王子殿下は、己を呼ぶヴィディ何とか令嬢を華麗に無視して弟の腕をわし掴みにしている。その間もアントナン王子はなにか喚き散らしている。ワタクシお育ちの良い令嬢ですので、何と言っているのか分かりませんわ? という表情を取り繕っておいた。
「おっと、それよりなにより、護衛騎士の皆さん、弟が乱心しているようだ。鍵のかかる部屋……自室でもいいんだが、とにかく休ませてやってくれ。余計なさえずりが聞こえないようにな」
「はっ」
ああ、あっさりとアントナンが引きずられていく……。
「殿下、ありがとうございます。あっ、オレリア様……」
「オレリア嬢ならだいじょうぶ」
「え」
美男子が、ご覧というようにオレリア様とヴィなんとか男爵令嬢に視線をやった。
その光景を見てぎょっとする。
「フ……!?」
フランソワ兄様!?
淑女なので、悲鳴を飲み込むと、フランソワ兄様がちょっと笑った。さらさらと、ローズミストの髪が揺れた。先ほどとは違うブルーの正装に身を包む姿は、威圧感も相まって国王陛下に似ている気がした。
いつお着替えになったのですかとか、なんでナントカ令嬢がへたり込んでいるのですかとか、淑女の肩は気まぐれに抱くものではありませんよとか、いろいろ言いたいことはあったのだけれど。
「これはこれはお久しぶりです、フランシス兄上! これまでどこをほっつき歩いていらしたんですか!」
「ロベールの庭の隣に、美しい花が咲いていたものだから、庭先で茶をしばいていたんだ」
「のんきな……」
フランシス兄上。
つまり、フランソワ兄様はフランシス王太子殿下のそっくりさん? いや、そんなわけない。フランソワ兄様は、フランシス殿下だった。さっきは気付かなかったけれど、その胸には第二王子殿下と同じ、王族を示す徽章が輝いている。
「護衛騎士。彼女、ヴィディエ男爵令嬢も鍵のかかる部屋に。くれぐれも愚弟とは引き離しておけ」
「かしこまりました」
ヴィディエも、あっさり連れていかれた。
フランソワ……違った、すっかり他人になってしまったフランシス殿下は、これで満足ですかとでも言いたげに国王陛下を見る。そして、なぜこの場に兄王子殿下がいらしたのかを察した。第三王子殿下の件≪うわき≫に片を付けるためだ。
そのために、わたしはともかくオレリア様を傷つけるなんてと、湧き上がる怒りをこらえていると。
「さて、卒業パーティーを再開しよう。皆、再度グラスを持つがよい」
えっ。この空気の中続けるの? 陛下の肝太すぎない?
まさかのお言葉に唖然と口を空ける。そんな私の目前にグラスが差し出された。
「リズさん」
「オレリア様……」
グラスを差し出てくださったのは、まさかのオレリア様だった。
彼女はいつも通りの笑みを浮かべると、
「陛下のお言葉に従いましょう」
と言う。そう言われればわたしもそうするしかないわけで。
「未来ある若者たちに、乾杯!!」
「「「王国の未来に、乾杯!!!」」」
髙く掲げられたグラスを、どこか他人事のような、憂鬱な心地で見つめる。
これからどうなるのだろう。間違いなく、貴族の勢力図が動いた。第三王子派は失脚するか、すばやく第一か第二王子か、はたまた別の派閥に乗り換えるのか。オレリア様は、どうなさるのだろう。
間違いなく、婚約は破棄になる。そうしたら、オレリア様の立場は……。
「なになに、そんな憂い顔をして。嫁に来る?」
「お戯れがすぎますよ、第二王子殿下」
演奏が始まったダンス・ミュージックをバックにひょい、とわたしの顔を覗き込んだのは第二王子殿下。この御尊顔に拳を叩き込みたい気持ちを抑えつつ、軽く睨みつける。おお、怖や怖や、じゃありません。怒っているのですよ、お分かりですか?
嫁に来る? じゃありませんわよ。
「まあまあ、おまえの懸念は尤もだ。でも心配いらないと思うよ」
「まあ、懸念とは一体なんのことでしょう?」
殿下に向かってにっこり微笑む。こっちの方が効果的なのを忘れてた。上級貴族の完璧な笑顔ってやだよね。
「わかったわかった、ごめんよ。ほら、フランソワを……じゃなかった。フランシス兄上をご覧よ」
「……えっ!」
この方はまったく懲りてないな。そういう方だって知ってるけれども。
半眼でフランシス殿下を見やると、わたしは本当に驚いて、目を見開いた。
ブルーの正装をまとった男性が、光沢のあるこれまたブルーのドレスの女性の手を引いて、ワルツを踊る人々の輪の中心に向かっていた。もちろんそのふたりというのは、フランシス殿下とオレリア様なんだけれど。
色味の違うブルーが離れたりくっついたりする様は、オレリアの長い髪の色もあいまって、海の寄せては返す波のよう。
「海のさざめきが聞こえてきそうだろ?」
「ええ、素敵ですね……」
「とまあ、そんなわけで、イェルシェマ公爵令嬢の醜聞より兄上の懸想疑惑の方が広がりそうな勢いなんだ。困ったねぇ」
「水を差さないでくださいませ」
「というわけだから、帳消しにするために一緒に踊ってくれる?」
絶妙に軽い調子で微笑む殿下に二の句がつげないわたしは、(王族の誘いなんて断れるわけないじゃない!)と思いつつもその手に手を重ねた。
―――……
王族の恋愛結婚を推奨するカーターヒル王国史には、とある代の第三王子による婚約騒動が面白おかしく綴られている。
婚約騒動とはいってもその実は第三王子の婚約破棄にまつわる失敗談であり、恋に溺れがちなこの国の民の戒めとしてのちのちまで語り継がれているものであるから、内容は実際のところとはだいぶ異なるところもある。
しかし、この騒動ののちに王太子妃となり国を大国へと押し上げる一因となったオレリア・ジュリエンヌ・セヴリーヌ・イェルシェリスと、王太子夫妻が国王・王后となって間もなく高等法院の法官となったリーゼット・レティシア・ネリー・ロベール侯爵令嬢の友情については、王国史どころか彼女らの存命中に演劇作品や小説として発表され、王国中が知ることとなった。
ロベール侯爵令嬢については、婚姻を結ぶ直前まで法院にて、また婚姻を結んでからは夫の尻を叩きながらも辣腕を振るい『首切り侯爵令嬢』と呼ばれたとか呼ばれないとか、真偽のほどは定かではない。