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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

同じ言葉でボクの中は溢れてしまった

作者: 絵空野ことよ

あらすじにも書きましたが、この小説では性別の設定をしておりません。2人の性別はお好きなように捉えてほしいです。

 私は恋人と、四季のある小さな町に住んでいる。


 元々は互いに違う町に住んでいたのだが、いつの間にか出会い、いつの間にかこの町で暮らすようになっていた。

 そこまでの道のりには、親との軋轢や友人との決別があった。

 その度に惨めな思いが沸き起こって、数え切れないほどの涙を流していた…はずだ。

 確かににそうであったはずなのだが、最早友人の顔も思い出せなくなった私にとって、それは夢だといわれても信じてしまえる位曖昧なものなのである。

 何年も代わり映えのない、同じような日々を繰り返しているせいかもしれないが、過ぎ去った過去のことなんて正直どうでもいい。


 私はナオと、今を幸せに暮らせればそれでいいのだ。


 そうして季節は春、私たちは毎年恒例の花見に来ていた。

 

この身を包むように柔らかい風が、桜の香りを運んでくる。

 小枝にしっかりくっついている淡色は言うまでもなく可愛らしく、綺麗だ。

しかし落ちた淡色も良い。


 それらには枯れて茶色が混じっているものもあるが、不思議と汚いとは感じさせない色彩だ。

人工物では感じ得ない美。それを楽しむのが、花見というものだろう。

 すぅっと香りを肺に入れ込み、淡色に紛れ込んだ若葉を踏みしめる。

 この足と、ナオの車椅子で、桜絨毯を轢いていく。

 

ナオは静かに、目をつむっている。


「ナオ、桜が綺麗だよ。見てみな」


 車椅子を引くのを止め、ナオの右手を握ると、目もあわせていないというのにそっぽを向かれてしまった。

 しかし、ナオのこういった態度には慣れているので、別段どうということはない。

 むしろ顔を大きく動かしたことによって強調される輪郭や首筋に、丁度桜並木が目に入った時のように見蕩れた。

 

 ナオは彫刻や絵画に描かれる大衆を魅了する美を持ち合わせていない。

 けれど、ナオには普通の人間には無い、特別な美しさがあるのだ。

 それに思いを馳せていると、ナオの右手に重ねていた手を跳ね除けられてしまった。


「肌で春を感じられれば、それでいいよ」


「肌で感じるって…春の陽気にあたるってこと?それは家でもできるよ」


「土と桜の匂いは、家ではしないから」


 ぽつり、ぽつりと詩を諳んじるように喋るナオは、目の前にいるのに、フィルムの中にいる人物のように見える。


 セピア色の、時の概念が曖昧な、日常の一節。

 フィルムなのだから、一コマといってもいいかもしれない。

 だからずっと黙っていると、ナオがフィルムの中に閉じこもってしまうんじゃないかというくだらない妄想をしてしまう。

 そうやって、中身の無い話を繰り返していくのだ。


「凄いよ。輸入桜でも、日本と同じくらい綺麗」


「へぇ、写真撮らなきゃだ」


「カメラ忘れた」


「ふふっ…じゃあナオは大人しく、花びらを触ります」


「花びらって、少ししんなりしてて面白いよね。特に桜の花びらは触りすぎちゃう…あ」


 ふと、ナオの手の甲に桜の花が落ちてきた。

 椿のように、一輪丸ごと。


 自分はなんだか不吉だと思ってしまったが、ナオはその花びらを一つ一つ撫でて、くすりと笑った。

 それは子供を見守る親のようでいて、この花の儚さを嘲るかのような、そんな。どっちつかずの笑みだ。


 ナオの表情は、いまいち読み取れない。

 

けれど、ナオに今どんな気持ちかと聞くことは、どうしてもできなかった。



 鬱陶しい夏の熱気の中で、私は夢を見た。


 ここではない、見覚えのある町での夢だ。


 私は花火を見ている、同い年くらいの子を見ていた。

 活発そうな格好で、でもどこか儚げな表情で、その子は一人立っていた。

 空を見上げているその横顔は、花見でそっぽを向いた時と同じような曲線を描いていて、私は夢の中で目を離せないでいた。


 いや、これは過去だ、過去の私だ。


 花見の時の光景と重なるから目が離せないのではなく、花火の時の光景とそれが重なったから、あの時目を離せなかったのだ。


 忘れていた、つもりだった。


 夏祭りで友達とはぐれた日。

 はぐれた末に、一度もいったことのない神社に辿り着いて、大きな花火の音を耳にした日。

 花火に目もくれないで、綺麗な翠玉色の瞳をした子に出会った日。


「あれ?貸切だと思ったんだけどな」


 そういって細められた翠玉は花火の光に照らされて、普通の人間ではありえない、宝石と同じ輝きを纏っていた。


 その子は間違いなく、ナオだった。




 強火で照りつける太陽と絵の具で塗ったような青空が一面に広がっている。


 耳に入ってくる、寄せてはひいて行く波の音。

 風や波によってさりさりと音を立てる砂は、靴の上からでも伝わってくる位柔らかい。


 ナオも砂浜用の車椅子をレンタルして、色々と楽しめるだろう。


 そう思って砂浜に来てみたものの、足を水につけて遊ぶどころか、手で海水を掬うことすらしなかった。


ナオは静かに、目を瞑っている。


「見てよナオ、綺麗な海」


 そういって肩に手を置くと、ナオは花見の時みたくそっぽを向くかと思いきや、ゆっくりと顔をこちらに向けてきた。


 そうはいっても、顔をこちらに向けているだけで、相変わらず目は閉じられている。

 唇をすぼめていたり尖らせているわけではないが、なんだかキスをするときのような表情でどぎまぎしてしまった。

 そんなこちらの胸中を知る訳もなく、ナオは口角をやんわりと上げながら口を動かした。


「波音が聴こえるからいいよ」


「確かに、目を閉じて聞く波の音は気持ち良いけどさ…」


「陽も照ってるし、充分夏を感じられてると思うんだけどな」


「…でも、青空は音で聞こえてこないよ」


 春先のように流されるのが癪だったのかもしれない。


 頑なに目を開こうとしないナオに、少し苛立ってしまったのかもしれない。


 このまま話を終わらせたくないと思ったことは確かだが、それが全てではない。

 昨夜見た夢に、引き摺られてしまっているのだ。

 ナオが目を開かない理由なんて分かりきっているのに、自分勝手な気持ちが出てしまう。


 それは苛立ちに焦りが混じった、醜い感情。



「いいよ、お昼だったら季節問わずに空は青いはずだから」


 先程まで笑顔だったが、今度は春先のようにぶすくれてしまった。

 機嫌を損ねてしまったことに罪悪感はあるものの、なんとなく意地を張ってしまって、謝ることはできなかった。 


 それでもしばらく波の音を聴いていたらナオの機嫌は良くなっていて、お馴染みの鼻歌が聴こえてきた。


「磯の香り、いいな。肌がべたつくのは勘弁だけど」


「いくらでも拭いてあげるからさ、もっと楽しもう。杖も一応借りてきたし、なんなら歩く?」


「おお。ありがと、準備が良いね」


 ナオも砂浜を楽しみたかったらしい。


 相変わらず所作はゆったりとしているけれど、繰り返される鼻歌や肩の揺れからナオの気分の高揚を感じた。


 そうしてナオの機嫌が良いまま、足先にぶつかった貝殻を拾ったり、海の家のかき氷を食べたりしている間に空は橙色になっていた。


「ふふっ…That's good enough.

帰ろう、リン。砂場を歩き回って、足が死ぬほど痛いんだ」


「…よし、じゃあ車椅子に戻そうか」


「あれ、歌詞で返してくれないんだ」


「同じ言葉をいっているわけじゃないでしょ?」


「ふふ、そっか」


 That's good enough.(もう十分だよ)

 My feet are killing me.(足が死ぬほど、痛いんだ)


 今日一日ナオが鼻歌で歌っていた曲の歌詞だ。

 洋楽はなんでも格好良いものだと思っていたが、これは情けない内容だった。

恋人との別れの曲。昔流行った曲。


 ナオは決まって、蓄音機で聞いていた。


 蓄音機といえば真っ先に思い浮かぶ、偉大な発明家が作った円筒型ではなく、日本の会社が作った、至ってシンプルなものだ。

 もっと洒落ているものでなくていいのかと聞いてみれば、「見た目は地味で良い。どうせ、滅多に見ないから」と、自嘲気味に返されたのは記憶に新しい。


 春に比べてナオは随分と楽しそうだったけれど、自分はいまひとつすっきりとしなかった。


 ――あわよくば、夕日を背に君の瞳が見たかった。


 それを言ってしまえば、ナオはきっとまた、暗い顔をしただろう。



 ここはきっとまた、夢の中なのだろう。


「家族だけは、味方だって思ってた」


 涙声。


 ついちょっと前までは、私の手を引いて、色んな所へ連れて行ってくれた人。


 ナオの背中は、こんなにも小さかったんだ。


 その背中にのしかかる苦痛を、ナオの家族は取り払おうとしなかった。

 我が子が背負う孤独を、愛で優しく包み込むどころか、突き放した。孤独の水かさを増やしたのだ。


 許せなかった。

 ナオの家族が。


 許せなかった。

 ナオを気持ち悪いと罵る世間が。


 許せなかった。

 これからナオを傷つけるかもしれない不特定な何かが。


「――さん、私だけが、貴方の味方です」


「……うん。この目をじっとみて話してくれる人は、君一人しかいない」


「そう、私しかいないんです」


 私はその時、――をきつく抱きしめた。


 私の真剣な思いが、この愛が少しでも伝わればと。


「逃げましょう。私たちを知る人のいない所へ」


 ああ、そうだ。


 だから私は、この町に来た。


 ナオを低俗な言葉で罵った自分の友人だったものを捨てて。


 これからナオを傷つけるかもしれない自分の家族を捨てて。


 お互いにそんな奴らから付けられた名前を捨てて。





 野菜を切っている時の、ザクザクといった切り心地は好きだ。

 枯れ葉を踏みしめる音と踏み心地は、野菜のそれと似ていると思う。


 野菜と言えばそうだ、この季節は美味しいものが沢山ある。

 この時期は特に住みやすく、娯楽も多い頃合だ。


 それでもやはり、ナオは目を瞑る。


 春も夏も目を瞑っていたんだ。秋も瞑っているに決まっている。


 そんなの、見なくても分かる。


 毎年同じ事を繰り返しているんだ。


 それでも、今年は目を開いてくれるのではないか、なんて淡い期待を抱いては、ことごとくその期待に裏切られてしまう。


「ナオ、あそこの装飾、すっごいかわいいよ。年々ハロウィンの規模が大きくなってるなぁ」


 私がそうやって店や遠くの人々を指さしても、ナオは俯いたままだ。


「お菓子、おいし」


 といっても、お菓子を食べているだけなのだが。


「あははっ、ナオ、お芋のタルト好きだもんね」


「そう、紅芋のタルトとか、年中食べたいぐらい。あ、でもモンブランも好きだな」


「口当たりが似てるやつだね」


「ふふっそうだね」


 こうやって何気ない会話で笑い合えることは、本当に幸せだと思う。


 けれど、私は満たされていなかった。

 私はどうしようもなく、ナオの瞳が見たい。


 ナオは私たちがこの町に住むきっかけとなったあの事件から、過剰に臆病になった。


 例え家の中であろうと、一年の内たった三ヶ月しか目を開かなくなったのだ。


 そう、もうじきくる冬の期間だけ、ナオはその美しい翠玉を見せるのだ。


 何故か。それは単純な理由で、冬の間だけこの町の住民は外を出ないからである。町の伝承から起こった与太話なのだけれど、それを町の人々が遵守しているお陰で、ナオは目を開いてくれるのだ。


 家の近くに来ると人は誰もいない。

 二人きりだとナオはよく返事をしてくれるから嬉しい。


「リン、冬の食料は足りてる?」


「うん。その他諸々も、問題なし!」


「去年それで着火剤足りなかったよね…」


「うっ…ま、まぁ、私はナオが居るだけで準備万端みたいなもんだし!」


「ナオが居るだけで?」


「うん!」


「家事もまともにしないのに?」


「うん!!」


「お菓子くれなきゃ魔法かけるけど?」


「うん!!!どうぞ!!!」


 お菓子を求めたのは冗談だろうが、勢いに任せナオの膝にお菓子の包みを置いてみた。


 するとナオはピシッと固まり、背中を丸くした。


「……ふふっ…あはは!それはずるい!嬉しいし、面白いし、もうっ…あははっ」


「……!」


 一瞬。ほん一瞬だけ、大笑いしたナオの瞼の合間から虹彩が顔を出したことに、不意をつかれた。


 夕日の光を吸い込んで煌めく瞳。


 それを外で見るのは何年ぶりだろうと思考を巡らせても、この町でその記憶は一度もなく、胸の高鳴りは痛い位に増していく。


 初めて。この町で初めて、夕日に照らされたナオの光を見たのだ。


 私は喜びに耐えきれず、立ち止まってナオを強く抱きしめた。


「リン、どうしたの?」


 ナオは急に抱きついてきた私に優しく問いかけた。


 けれど私はその問いに答えられない。


 私の首を愛しさにへばりつく焦れったさが締め付けている。


 私の足に切なさに割り込む憎さが巻きついてくる。


 頭の中はぐちゃぐちゃで、脳内で言葉が浮かんでは消える。


 渋滞する言葉の羅列の中で、私は最も簡単で、純粋で、ナオを傷つける言葉を選んだ。


「ナオ、君の瞳が好き」


 ナオは静かに涙を流した。


 泣くと分かっていても、思いを告げなくてはならない。私は半ばそう自分に言い聞かせていた。


 ナオが頑なに目を開くことを拒む気持ちはわかる。

 けれど、どうしても、私はナオに外の景色を見てほしいのだ。


 いや違う、こんなのは建前だ。


 私は、昔のようにはしゃいで走り回るナオを、この目で見たいのだ。

 これは私のエゴだ。

 ナオは悪くない。


 けれどナオは、ぼろぼろと零れ落ちる涙を拭うこともせず、俯いたまま謝るのだ。


「…ごめんなさい」


 この言葉も何回聞いたことだろう。


 同じトーン、同じ大きさ、まるで録音テープを流されているかのような気分だった。


「That's good enough.

同じ言葉でボクの中は溢れてしまったよ」


「!」


 ナオはびくりと体を震わせ、目を開いた。


「綺麗だよ、ナオ」


 涙に濡れる翠玉。夕日に照らされ輝く、宝石の瞳。


 ナオはしばらく呆けていたが、涙を拭きながらふにゃりと笑って見せた。


「ありがとう…っていうか、リンがボクって言うの、似合わない」


「そう?自分では結構いけてると思ったんだけど」


「リンは言葉遣いが綺麗だから、いつもみたいに私がいいよ」


「ナオがそういうなら、そうなんだろうね」


 私が返すと、ナオは微笑んだまま私にぴったり寄り添った。


 車椅子から降りて、重い瞼を上げたまま顔を私のほうに向けた。


 夏の時のように、私の腕にくっついて。

 けれど夏の時とは違って、目を合わせることができて。


「リン、ありがとう。受け入れてくれて、綺麗っていってくれて」


「こちらこそ、ありがとう。私の思いを受け入れてくれて」


「でもね、やっぱりまだ怖い」


「いいよ、怖いままで。皆に見せなくていい。私の傍でだけ、見せてくれたらいいんだ」


「ふふっ」


「お家に入ろうか、ナオ」


「うん!」


 今まででこんなに幸せな気持ちで家の扉を開けたことはあっただろうか。

 この幸せの為なら、私はなんでもできる気がする。

 事実ナオとの幸せの為に、こんな辺鄙な町にまで来てしまったのだ。


 歌詞をそらんじてしまえるくらい同じ曲を流されても構わない。


 ナオと共に居られるなら。


 でもあわよくば、私はずっとナオの瞳が見たい。

 可愛いナオの綺麗な瞳を見るのに、3ヶ月は短すぎる。


 だから______これから来る冬が、永遠のものになってくれたらいいのに。


 そんな願いは叶うわけもなく、冬は去年と同じように、3ヶ月で終わってしまうのだろう。


 そして、春が来て、輸入桜が咲いて、桜絨毯を踏みしめて。


 ナオは静かに、目を瞑るのだ。

翠玉=エメラルド

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― 新着の感想 ―
[良い点] 二人の性別が明記されていない事が斬新だなと感じました。 そしてなにより、どこか儚い世界観、詩的に紡がれる美しい言葉に思わず息をのんでしまいました。 お恥ずかしながら目に涙を浮かべつつ感想を…
2019/02/07 22:18 退会済み
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