梅田ダンジョン
馬鹿馬鹿しい物を突然書きたくなったので
梅田ダンジョン、聞いた事は無いだろうか?
東の新宿ダンジョンと並び立つ西の大迷宮である。
梅田ダンジョン、とか言われてマップを見たらどう見ても簡単そうで、なんだよ関西人は方向音痴ばっかりかよ、と鼻で笑いながら迷宮に挑んだ冒険者が哀れな姿(阪急の地下街で買いすぎたお総菜で両腕が酷いことに……)で救助される。
そんな悲劇が何度となく繰り返される場所。
それが梅田ダンジョンである。
だが、迷うことが許されるのは旅行者だけである。
地元民たる大阪府民が梅田で迷うという事は、それすなわち未熟者の証左であり、ツレ(関西弁で友人を指す)の前で梅田ダンジョンで迷う姿を見せれば大いに馬鹿にされるという。
故にツレ(関西弁では恋人を指す場合もある)同士で梅田ダンジョンに挑んだ場合、自転車レースで誰が先頭を走るのかという駆け引きにも似た熾烈な心理戦が繰り広げられる。
そしてその熾烈な心理戦の結果。
間賀サクシは迷っていた。
地下鉄御堂筋線梅田駅からそのままブルク7へ行くはずだった。
新しく高校で出来た友人達五人と映画でも見ようという事になっていたのだ。
最初は和気藹々としていたのだ、電車の中ではあの女優の演技がどうとか、いやあの男優の演技もナカナカとか、見る予定の映画が吹き替え版であるにも関わらず、ドヤ顔(ドヤ、関西弁でドナイやを略してドヤ、純粋な意味としては、どうでしょうか?となるが、自分の行動に対して相手の評価を促す時に使うのが関西での使い方である)で語っていたのだ。
様相が一変したのは地下鉄梅田の出口、南側と北側を間違えた後の事だった。
五人中サクシを除く二人が途端挙動不審に陥ったのである。
武士の情けである。残りの三人は彼ら二人の挙動不審を見て見ぬふりをした。新しくできた学友である、ここで彼らの未熟をあげつらう等、高校生にもなった大人の自分達のする事ではないと、賢しくも考えたのである。
この段階ではサクシはまだ余裕であった。
映画好きという事もあり、財布の事情で親と同伴ではあったが何度も梅田に映画を見に来ていた。
必然、なんとなくだが行き道は分かった。
が、これが大きな油断であったという事は言うまでも無い事であり、この油断が数々の自称梅田ダンジョン中級者達を、ツレ(恋人)の前で実は寄りたい店があったんだと言い訳しつつまったく予定の無い店で買い物をする羽目に陥らせたり、ツレ(友人)の前であれーココ工事で道無くなってるやん、と一人で道化芝居を演じさせるという数々の悲劇に陥らせる最たる理由である等とまだ年若いサクシは知らなかったのだ。
最初のものの三分、改札口から出た瞬間に挙動不審に陥っていなかった残りの一人が、震えた小声で「え?ここどこ?」と呟くのをサクシは聞き逃さなかった。
この段階で若干の不安を覚えたものの、サクシにはまだ心の余裕があった。
何故なら先頭を歩く自分を除く最後の一人がそれはもう自信に溢れる、このパーティーを導くは我ぞ、という自負すら感じさせる堂々たる背中を見せていたからだ。
その背中は混沌たる梅田ダンジョンで、彼こそがこの大迷宮を若くして踏破する勇者であるぞと露天神社(通称お初天神)の神様達も祝福されておられるかのような神々しさだった。
サクシ達四人はその背中に従った。
これ程頼りがいのある背中、齢十六にしてそうそう見る物ではない、彼らが一時の盲信にとらわれてしまったとしても、それは誰も責めようも無かったと言えよう。
サクシ達四人は和気藹々と話をしながら梅田ダンジョンを歩いて行った。
多少の挙動不審に陥った事等は些細な事であり、それをイジルは外道にも劣るというサクシの精神的高潔さは、安易な笑いを前にしてそれに手を出さない男気を感じさせる物であった。
必然他三人はサクシに尊敬の念を抱き、その男気に報いる為にも場を盛り上げ、否が応でも場は男子学生的に美しく華やいだ。
それがいけなかった。
梅田ダンジョンに挑むにおいて、パーティーの先頭を歩くリーダーに異を唱えるなど、通常あってはならぬ事だが。
それでも時には勇気と英断でもって「あ、そっちチャウで」と一声かけるべき瞬間があるのだ。
サクシ達は余りに自分達の、青春かく有りやと言わんばかりの楽しい一時に夢中になってしまっていたのである。
これも若さ故の未熟ではあったが、そのミスの代償は余りにも大きな物であった。
余談ではあるが「あ、そっちチャウで」の後には「こっちの方が早いねん」という気遣いの言葉を添えるのが大人のマナーである。
気がつけば、梅田ダンジョンの中でも最大の難所と呼ばれる駅前ビル群のただ中であった。
まだ華よ咲けよと話に興じている三人に先んじてその事に気がついたサクシは戦慄した。
まて、通り過ぎているではないか、と。
梅田ブルク7はここより遙か北、ここ――サクシは素早く動揺を悟られぬよう頭上の案内板を確認する――大阪駅前第1ビルとは対角線上に位置する場所。
真反対(非全国共通語)ではないか。
いったい我が身に何が起きたのかと、戦慄と恐怖を隠しきれないままサクシは偉大なり我らがリーダーの背を見つめた。
そこには縋るべき背中は見つからなかった。
気がつけばリーダーは他の三人と楽しく話しているではないか。
ではいったい誰がこのパーティーを導いているのか、頼るべきリーダーの突然の不在という著しい混乱の中、サクシは気がついた。
今、パーティーを導く先頭にいるのは自分であると。
なんということか、嗚呼、なんという事であろうか。
サクシは嘆いた。
余りの悲しみに春の野原であろうと枯れ草の荒野に変えられるのではないかと思う程に嘆いた。
これは我らが罪とサクシは嘆いた。
輝かんばかりの英雄を目の前にし、盲信するが故にそれを支える事を怠った我らが罪と。
我らの盲信と怠慢が英雄を卑怯な矮小な人へと貶めたのだ。
リーダーパス、それは梅田ダンジョンで最低の行為であると言われている。
己の未熟を認められぬ者が、自分の小さな誇りを守る為に仲間に先頭の座を擦り付ける行為である。
緊張感のあるパーティーであるならば普通は簡単に阻止される行為であるが、我らがリーダーを得たと浮かれていたサクシ達にそれを止める術は無かったと言えよう。
またサクシ自身はそんな自分達を嘆いてもいた。
あの素晴らしきリーダーに「あ、ごめん。道間違えてもうたわ」の一言を許さなかった自分達の盲信に。
なればこそ、ここはその罪をあがなうべきであろう。そうでなければあの光輝溢れるリーダーに申し訳が立たぬでは無いか。
ここは数瞬歩みを進め、そして自身が言うのである「あれ?ここどこや?道間違えてもうたみたいやわ」と。
それが自分が出来る罪滅ぼしだとサクシは心に決めた。
サクシの精神的高潔さはここに来ていっそうの輝きを増し、齢十六にして長年の修行を積んだ老僧侶のようであった。。
「あれ?ここどこ?」
だがしかし、如何に老僧侶もかくやと思われる精神的高潔さを持つサクシでも、この一言は許せなかった。
何故なら、その一言を発したのが、つい先ほどまで自分達を導いていた元リーダーその人だったからである。
それは、その一言を発する事によって、迷ったのは自分では無いよ、と周囲に印象づけようとする卑怯としか言えない、まさに外道の所行であった。
サクシは深い悲しみを感じていた、そして盲信と信頼は悲しみを得て深く赤い、まさに深紅と呼べるような憎悪へと容易く変貌した。
「大丈夫、あとちょっとだから」
サクシはその内心とは裏腹の、ともすれば透けてしまうのではなかろうかと危惧されるような、なんとも言えない透明な笑みを浮かべた。
その笑みは卑怯な裏切り者のリーダーと他三人を黙らせるに十分であり、サクシは黙々と先頭を歩いた。
殺る、ここで、必ず。
横に伸びる駅前ビル群、そしてその特殊な階層構造、そして狭い通路に人、人、人。
ここだ、ココこそが必殺だ。
サクシは背後で華を咲かせる四人に気がつかないふりをして、四人に気がつかれないように、その歩行速度を上げた。
間に入る人、人、人。
どんどんと引き離されるかつての光輝と傷心のその復讐者。
さらば、我が誉れ高きリーダーよ!
サクシはパーティーを置き去りにした。
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