八
「昨夜は当家の者が迷惑をかけた。
お屋形様がお呼びだ。一緒に来てもらおう」
どうなるのだろう。責められるのだろうか。
でも、迷惑をかけたということは、怒っていないのだろうか。
何にしても行きたくない。
怖い。
鹿の子は必死に首を横に振った。
「とにかく来い」
「親方に許しを得ないと、勝手に行けません」
「我らから話しておく。軽業師風情が 断れぬ」
唐突に朽葉色の被衣を頭からかぶせられ、強引に腕をつかんで連れ出された。
日は山の端にすっかり沈んで、赤かった空がすみれ色に変わっていた。
逢魔が時。
人々が急いで屋根の下に帰る頃合だ。
高台の屋敷に着くまで、ひなびた町の通りには、もう人影は無かった。
* * *
「気味が悪い」
御簾の中からの第一声がそれだった。
低い声だったが、若い女の声だ。
御簾の内は暗く、普通よりも目の詰まった簾は、中にいる人物のおぼろげな輪郭しか通さない。
屋敷の奥まった部屋に無理やり連れて行かれ、勝手にかぶせられた被衣を今度は勝手に剥ぎ取られ、怖気づいて伏せた顔を居丈高に上げさせられての一声が、それだった。
鹿の子は、むっとした。
ひどい。ひどすぎると思ったが、声に出す勇気は無い。
御簾の中にいる人物は、ほとんど見えない。
目の前に座り、鋭い目で見据える女も怖い。
地味な色目の衣装を着ているが、年のころは三十を少し過ぎたあたり。
人を値踏みするような権高な態度は、鹿の子たちとは違う世界の住人だ。
落ち着かないことはなはだしい。
「娘、年はいくつだ」
その女が言った。
「えーと、十五か十六……か……十七……」
「少し化粧をすれば、お屋形様と同じ十八に見えましょう。
それよりも、おまえは孤児か。
自分の年もはっきりしないとは、間抜けな話だが、孤児ならば都合が良い」
この人たちの都合でなったわけじゃない。
何を言っているのか分からない。
鹿の子は、早く一座に帰りたかった。
どうにかして早く帰ろうと思ったので、勇気を振り絞って声に出した。
「助けられませんでした。力不足で ごめんなさい」
「土岐野、何のことだ」
「千種のことでございましょう。その場に居合わせたとか」
御簾からの声に、目の前の土岐野という女が答えた。
谷に落ちた女は千種というらしい。
「そのようなことはどうでもよい。確かに使えそうだ。
まずは、見苦しい身なりをなんとかいたせ。目障りだ」
呼びつけておいて目障りだとは恐れ入った。
だが、それよりも
人が一人死んだというのに、どうでもよいというのが頭にきた。
同じ人間とは思えない。いや、同じ人間などではないのだろう。
もはや一刻もその場に居たくはなかった。
「目障りなようですから帰ります」
「五葉」
鹿の子の言い分をきれいに無視して、土岐野が部屋の外に声をかけた。
二十歳前後の体格の良い侍女が入って、頭を下げる。
「この娘を湯殿で洗いたてよ。千種の代わりじゃ」
「あのう……帰ります」
何をするのか見当もつかないが、鹿の子は、誰かの代わりになるなんて真っ平だった。