七
鹿の子が舞台裏の通用口に戻ると、囃子方の権佐が居た。
太っているせいで、万事動きが鈍いが、耳聡い。
音に気づいて様子を見に出たのだろう。
「何があったんだい」
「うん」 と生返事を返して通り過ぎる鹿の子を、あきれたように目で追い、戸締りを確かめると、首をかしげて呟いた。
「……狐にでも化かされたのか」
ぼんやりと筵に座り込んだ鹿の子を見て、都茱が藤伍を呼んだ。
「鹿の子、何があった。悲鳴が聞こえたようだが、怪我は無いか」
「怪我? ……ああ、あたしは大丈夫」
「怪我は無くとも、大丈夫には見えないねえ。
何があったのか話してごらん」
藤伍と都茱が、かわるがわる問いかける。
「うん」
鹿の子は、ぽつりぽつりと話し出した。
他には言うなといわれたが、この二人は別だ。
親と同じなのだから他人ではない。
順を追って話したが、何がいけなかったのか、どうすれば良かったのか、さっぱり分からなかった。
「可哀想にね。だけどね、鹿の子にはどうにも出来なかったろうさ。
身内らしき人たちにもどうにも出来なかったんだろ。
ひよっこの軽業師なんかにゃあ手に余る。
気に病むんじゃないよ」
都茱が言った。
「狐にでもとり憑かれたのかねえ」
藤伍と都茱の後ろから、権佐がとぼけた口調で口をはさむ。
「いや、違うな。『心の病』って言ったんだろう。
その人たちには、そうなった心当たりが あるんだろうよ。
鹿の子のせいじゃない。寝ろ」
藤伍が きっぱりと締めくくった。
翌日、藤伍と都茱と大男のガジは、舞台に仕掛けを作るといって残り、後の五人で、客寄せのために町を練り歩いた。
田畑はきれいに手入れされているが、家々は田舎じみて粗末に見える。
どれも同じような造りだから、粗末というより、このあたりではそれが普通なのだろう。
そんな村の中を、権佐が太鼓を打ちながら興行を知らせて回った。
鹿の子と隼人が時折とんぼを切って見せる。
人々の反応が良いのか悪いのか今ひとつ 分かりにくいが、一行が通りかかればみな手を止めて振り返るところを見ると、興味は持ったようだ。
日暮になって戻った時には、あたりが夕陽に赤く染まって、舞台裏の疎らな雑木林が、昨夜の月明かりで見た風景とはまるで違って見える。
鹿の子は、夢でも見ていたのかと不思議な気持ちになった。
本当にあの人は落ちてしまったのだろうか。
いまさらながら気になってくる。
気がつけば、ふらふらと谷に向かって歩いていた。
草木が途切れる。
その先が切り立った谷になっているのだろう。
枝が揺れた。
驚いて振り向くと 男がいた。
一人ではない。
いつの間にか、数人に取り囲まれた。
「鹿の子…… とか申したな」
念を押されて、小さくうなずいた。