三
「生まれ月が分からんし、あの時はぐったりして、ひどい有様だったからなあ。
たぶん六つか七つか、そこら辺だと思ったが、以前のことは何にも覚えていないみたいでなあ。
はじめのうちは黙りこくったままだったから、口が聞けないのかと思ったほどだ」
「九年前に六つか七つなら、今は十五か十六か。よく育ったものだね。
しっかりして見えるから、もう一つ二つ上かと思ってたよ。
じゃあ、ここで軽業をするのは二度目なんだね」
食うものも無い育ち方をしていたとか、ひどい虐待を受けていたとしたなら、八つだったとしても不思議はない、と藤伍は思い至った。
赤い鹿の子の三尺帯を締めていたから、貧乏には見えなかったが、帯以外は裂けて汚れて、捨てるしかなかった。
それで、なんとなく鹿の子と呼ぶようになったのだ。
「いや、軽業は初めてだ」
藤伍は、元々妖術使いのまね事を見世物にしていた。
藤伍は手妻と呼んでいたが、にせ者だから種や仕掛けはちゃんとある。
だが本物と勘違いされて、面倒に巻き込まれることが度々あり、女房の都茱が足芸をよくしたこともあって、軽業師を集めて出し物を変えたのだ。
足芸は、仰向けに寝た格好で樽やら箱やらを足で自在に操る。
木枠に表裏で色違いの紙を張った襖のようなものを、縦にしたままくるくると回す芸は、今も一座の人気演目だ。
藤伍は客を喜ばせるやり方を心得ているし、時折、手妻の目くらましを絡めた工夫で、結構な人気になっていた。
九年前にもここに来たのは、藤伍夫婦と大男のガジだけだ。
もう一人居たが、今は抜けている。
舞台は郷の西はずれにあった。
天井も高く、大きい上に橋掛かりまである豪勢な造りだった。
大掛かりな歌舞音曲もかけられそうだ。
後ろには、楽屋がいくつか付いていた。
客席は露天で、客を集める時には筵でも敷くのだろう。きれいに整地されている。
「妖術使いの先生だね」
留守番と掃除人として舞台脇の小屋に住んでいる老人は、藤伍を覚えていた。
「やあ、覚えていてくだすったんですね」
「そりゃそうさ。あんなに面白いものはめったにお目にかかれない。忘れられるもんかね」
「今は軽業一座なんだが、また使わせてもらえるだろうか」
「大丈夫だろ。しばらくは何もやってない。
前の領主様が亡くなってからこっち、寂しいもんさ。
ここのところ火が消えたように暇だ。おまえさんなら問題ない。
差配さんには明日あいさつに行けばいいだろう。
宿を取ってないなら、荷物もあることだし、今夜は楽屋に泊まっちゃどうだい。
屋根があるだけで宿屋のようには行かないが、山を越えて来たんだ、疲れてるだろう。
先生なら、かまわんよ」
「ありがたい。野宿も珍しくない稼業なんでね。
屋根があるだけで大助かりだ」
最低限の食料と椀は持ち歩いていた。
もの置き場には、真新しい筵も積んである。
老人の小屋で竈を借りれば不自由はない。
渡りに船とばかりに、荷を楽屋に運び込んだ。
「そうだ、先生はご存知だが、初めて来た人たちは用心しなさいよ。
この先には行かんようにな。しばらく行くと深い谷が口を開けている。
暗くなったら特に危ないから、近寄るんじゃないよ」
老人は舞台の後方を指差した。
そこには、疎らに生える貧弱な木立と草が生い茂っているだけだ。
まさに、この郷の端にあたる。
「おお、そうだった。昼間見ても、目を回しそうに切り立っている。
鹿の子、隼人、無茶するなよ。分かったな」
隼人は素直に頷いたが、鹿の子はちょっとふくれた。
親方はいつまで子ども扱いをする気だろうと、不満が顔に出る。
紫苑がくすりと笑う。
そういうところが、まだ子どもだと言いたげだ。