五
「土岐野様、お願いがあります。じっくりと見せてください。
そのう、立ったり座ったり歩いたりのお手本を」
土岐野が来た時、切り出してみた。
土岐野は、わずかに目を見張る。
鹿の子から進んで申し出をしたのは初めてのことだった。
考えるように一度目を閉じる。
「よかろう」
土岐野は、ひなびた領主屋敷の侍女とは思えぬ優雅さで所作を披露した。
鹿の子の様子が、ぼんやりと頼りないものになる。
「これ! しかと見たか」
一通り所作を繰り返した土岐野は、心ここにあらずという様子の鹿の子に鋭い声を投げかけた。
「…………は、はい、確かに」
鹿の子の顔つきまでがみるみるうちに 凛としたものに変わり、驚く土岐野の前で、寸分違わぬ動きで繰り返して見せた。
「なるほど、そなたには手本を見せるのが良いようだ。
では、今日の食事をこの部屋で共に取れるよう手配しよう。
あとは、細かい日常の所作だな」
「待ってください。さっきの動きが馴染むまで 時をください」
鹿の子は、まだ 半分くらいぼうっとした状態だった。
得意技とはいえ、頻繁に使っていたわけではない。
一度覚えた軽業の技も馴染むまで繰り返し練習して、さらに見栄えが良くなるように工夫してきた。
立て続けに使ったことなど無いから、不安があった。
「そうか。では明日にしよう」
「もう少し……」
「明後日がよいか」
「もう 一声」
「では、三日後に来よう」
鹿の子の不器用に悩んでいた土岐野は、あっさりと承知した。
得意技を駆使して、なんとかしとやかな立ち居振る舞いを身に着けた鹿の子は、土岐野に導かれて 、白菊の部屋に連れて行かれた。
人払いがしてあったのか誰もいない。
土岐野が平伏したので、鹿の子も真似た。
「動いて見せよ」
御簾の内から不機嫌そうな声が聞こえた。
土岐野に促されて、部屋の中を歩く。
と突然、物が投げ捨てられたような乱暴な音がして、御簾の裾から白猫が飛び出し、二人とも思わず身をすくめた。
鹿の子は尻に帆掛けて逃げ出したかったが、かろうじて堪えた。
飛び出してきた白猫は、隠れるように隅に丸くうずくまる。
「どういうつもりだ。土岐野の影を作れと言った覚えはないぞ」
怒りに満ちた声が降ってきた。
土岐野は戸惑っているが、鹿の子は、腹を据えて御簾の前に進んで座った。
土岐野だけが気づいていなかった。
自分が動く姿を見ることは出来ない。
鹿の子の動きは、細かなところまで土岐野そのままだ。
後姿が土岐野に間違われることはあっても、到底白菊には見えないはずだった。
皮肉なことに、土岐野にそっくりであればあるほど、白菊の影としての役割からは遠ざかる。
「お屋形様に申し上げます」
「申せ」
「あたしは、お屋形様の影になればいいんですよね。
でも、一度もお姿を見たことが無いんです。
真似できるのは、目の前の土岐野様だけ。
見たこともない人を真似るのは、無理だと思います」
「わらわを目にすれば、真似られると申すのだな」
土岐野が息を呑む。
自分の失敗に気づいたが、鹿の子の言ったことに困惑していた。
静寂と緊張に空気が固まった。
鹿の子は、ここが正念場だと思った。
屋敷には大勢の人の気配があるが、会ったのは、ほんの数人。
土岐野と五葉の他は、鹿の子を無理やり連れてきた男たちだけだ。
その誰もが、白菊姫を畏怖しているように感じる。
恐ろしいが、影になるなら避けては通れない。
自分でも驚いていた。
何故、こうまでやる気になったのだろう。
紅王丸の面影が 浮かぶ。
あれから何度かこっそりと土蔵に行ってみたが、いつも悲しそうな表情は消えなかった。
『姉上の役に立ちたい』 とあの人は言ったのだ。
その為に、無理と承知で毎日、女になることさえ願っている。
白菊姫が大好きなのだろう。
そっくりになって会いに行ったら、少しは明るい顔を見せてくれるだろうか。
お客を喜ばせるのが、旅芸人の本分。
驚いた笑顔が、何よりの報酬。
美しい顔には、晴れやかな笑顔がきっと似合う。
鹿の子は、きっぱりと返事を返した。
「はい、必ず」