十一
よろめいてくず折れそうになった腕を、むんずとつかんで引き寄せた者がいた。
見知らぬ男に思えたので、鹿の子は振りほどこうと暴れたが、男は強くつかんで放さない。
暴れる鹿の子をもてあまして、当て身で気絶させた。
すぐ先に、切り立った谷が口を開けていた。
男は、千種を追っていた者たちの一人だった。
「見つけたぞ」
一声仲間に声をかけ、気を失っている鹿の子をかついだ。
鹿の子が目を覚ますと、領主屋敷の部屋だった。
のどが痛い。
泣き叫びながらみんなの名前を呼んだせいだ。
せっかく逃げ出したのに、簡単に見つかったのも無理はなかった。
足も痛い。
障子は開け放たれて、柔らかな日差しが手入れの行き届いた庭木に降り注いでいる。
木の影が長く伸びて、午後の遅い時間を示していた。
廊下の端に座っているのは、見張りを言いつけられた男だ。
鹿の子は身を起こした。
長く気絶していたようだが、寝ている場合ではない。
一座のみんなを探さなくてはならないと思った。
衣擦れが聞こえて、現われたのは土岐野だった。
「夜半に火が出たようです。
気づいて駆けつけた者達は、誰も逃げ出て来る人間を見ていないとか。
みな焼け死んだのであろう」
前置きも無く、感情が見えない言い方で淡々と告げた。
鹿の子はただぼんやりと聞き流して、土岐野が何を言っているのか理解できないでいた。
みんなを探さなくちゃ。
が、次の言葉に 凍りついた。
「そなたの戻る場所は、もう何処にも無い」
鹿の子は、自分の身に降りかかった事態にやっと気が付いた。
恐ろしいが事実だった。
認めたくなどなかったが、一緒に旅をしてきた仲間たちは、もう誰もいないのだ。
逃げ出したところで、行く当てはない。
見知った土地ならともかく、初めて来た場所であり、なじみの町に出る道すら分からなかった。
「この屋敷で、お屋形様に、白菊姫さまに仕えよ。他に道は無い。
今日はゆっくりと休むが良い。明日から、そなたはお屋形様の影になるのじゃ」
「…………影……」
土岐野は言うだけ言うと、振り向きもせずに立ち去った。
しばらくの間ぼんやりしていた鹿の子は、のろのろとした動作で、掛けられていた夜具をはいだ。
泥だらけだった足がきれいに拭われて、怪我をしていたらしいところに手当てが施されていた。
影とは、なんだろう。
自分はどうなるのだろう。
ふと、手に握り締めていた物に気づく。
紫苑の簪だった。
見張りの男に気づかれないように、さりげなく夜具に隠した。
着ていた着物は戻ってこなかった。
これも取り上げられないように、隠しておかなくてはならない。
鹿の子の物は、もう赤い珊瑚の簪しか残っていなかった。
第一章が終わりました。
第二章に続きます。