十
方角さえ 全く分からない。
こんなことになると知っていたなら、星の読み方を習っておけばよかった。
そうすれば、星座の位置で東西南北くらいは分かったはずだ。
だが、今の鹿の子には、星が途切れて黒々とした輪郭が山の稜線なのだというところしか、判断のしようが無い。
まずは手探りで屋敷が建つ高台を下り、丈の高い植物の陰に身を潜めた。
土の軟らかさから畑だと知れる。
やがて、空の一角がわずかに明るくなった。
鹿の子は屋敷の東側に出ていたようだ。
ほんのり見え始めた中を、屋敷を避けるように回り込みながら走り出した。
道ではなく、畑を選んで走った。
育った作物に身を隠せるし、裸足の足にも楽だ。
だんだん速度を上げて、朝の光と競うように、飛ぶように 走った。
近づくにつれて、焦る気持ちの中に違和感がよぎった。
朝の空気にそぐわない焦げた臭いが鼻につく。
竈に火を入れるには早すぎる。
いや、竈の臭いではない。
胸がザワザワと嫌な予感にふくれ上がる。
やっと目的の場所に着いたとき、鹿の子は呆然と立ちすくんだ。
見事だった舞台は、完全に焼け落ちていた。
屋根が落ち、柱は倒れて、所々からまだ煙が上がり、無残な隙間からは熾き火の赤い色がちろちろと見える。
こげた臭いが辺りに充満していた。
崩れそうになる体になけなしの力を込め、うおーと叫んだ。
叫びだしたら止まらない。
仲間一人一人の名前を叫びながら、また、ふらふらと歩き始めた。
が、何処からも返事が返って来ない。
それでも狂ったように なおも名前を叫んで、焼け跡の周りを歩いているうちに、木の根に足を取られて転んでしまった。
涙で視界がぼやけて、足元が見えていなかった。
はいつくばった姿勢からなんとか顔を上げ、起き上がろうともがいた視界の先に小さく赤いものが見え、ほとんど無意識で手を伸ばしてつかむ。
真っ赤な珊瑚玉のついた簪。
紫苑のものだ。
水気の多い草と土に半分埋っていたから、焼けもせずに美しく輝いている。
舞台では使うことがなかったが、普段、無造作に櫛巻きにした髪に挿していた。
それこそ軽業師風情が持てるような品には見えなかったが、誰もあえて問おうとはしていない。
握り締めて紫苑の名を叫んだ。
形見だなんていやだと思った。
近い場所にあった雑木は焼け焦げていたが、風向きのせいだろうか、燃え広がるまでには至っていない。
うまく逃げ出したとしたら、風上に行くだろう。
鹿の子は立ち上がり、裏手に当たる方へと進んだ。
よろよろと泣き叫びながら進むうちに、頭の中に似た光景がよぎる。
同じようなことがあった気がしたが、そんなことはどうでも良かった。
鹿の子は、一昨晩、千種がたどった同じ方向へと進んで行った。