第8話 幸せを夢見る少女ロメリア
海上に浮かぶ小さな舟に、二つの影が乗っている。
一つは痩せ細り、薄汚れ、不健康を通り越し棺桶に片足を突っ込んでいると言った風貌の、16歳ぐらいの少女。
もう一つは少女とは反対にツヤのある肌とがっしりとした体系で、少女よりも一回りほど低い背丈を持つ、女性。
いや、女性と言う表現は的確でないかもしれない。精確に言うならば、女性の特徴を持った機械の人形だ。
彼女達は今、ある目的のために海を渡っている。そう、ベルズに懸けられた賞金を求めて。……今はまだその前の、詳細を確認するためにカトレアの両親の元へと向かっている段階だが。
「……お姉ちゃん、今どのあたりかわかる?」
痩せ細った少女、ロメリアが機械人形、姉のアルスに問いかける。
アルスは考え込むような動作を取りながら沈黙。数秒開け、機械的な音声が短く返答する。
「不明です」
ロメリアはその、鉄の仮面のような顔の、目の部分に空いた丸い穴から漏れる赤色の光と、動きもしないのに申し訳程度に口を模した細工を施されたを忌々しげに睨みながら不快さを隠さない声色で呟く。
「この、ポンコツ」
ロメリアはとても頭にきている。
戦争に巻き込まれ、家族を失った彼女の前に突如として怪しげな魔術師が現れ、姉を生き返らせ、そしてまた突然に去って行った。
姉の復活にその直後は狂ったように喜んだが、よくよく見ればそれは姉とは似ても似つかない、不細工な機械人形であった。
その上、この機械人形は自分を姉に似せよう等とはまるでしない。口調も行動も人間である姉とは欠片も一致しない、機械丸出しなのだ。
いや、それだけならばまだ姉とは関係のない他人として見られたかもしれない。だが、アルスにはまだ欠点があった。
アルスは戦闘特化の機械人形で、戦闘以外の日常的な行動を殆ど行えないのだ。
料理をしろと命じても食事は作れず、掃除をしろと命じても部屋は片付かず。代わりに近隣の悪漢や魔獣魔物が減るのみ。
安全な生活と言う点で見れば悪い事ではないが、ロメリアには許せなかった。姉はか弱く、それでいて優しい人物だったのだ。間違っても魔獣の群れ相手に無双の力を見せ付け、その返り血を浴びるような人ではなかった。
このような不良品を掴ませてくれた魔術師には是非とも御礼申し上げたい所であったが、既にどこにいるやも知れない相手。
そちらは半ば諦め、ならばせめて有効活用してやろうと機械人形用のパーツを買い集め強化を図ろうとしたのだが、どれもこれもロメリアには目玉が飛び出るほどの額だった。
なんでもアルスは特別な機械人形であるらしく、装備可能なパーツを用意するとなると一から作らなくてはならないので他と比べても非常に高額になる、と言う話だ。
そんな矢先に、付近の町の貴族の娘が誘拐されたと言う話と、それに付けられた報酬の話をロメリアは耳にし、すぐさま旅の支度を整えた。
まあ、人形の強化をすると言うのはついで、なのだが。
「……っ、けほっ、かほっ」
ロメリアが咳き込み、咄嗟に自分の手で押さえる。あまり咳は長く続かなかったが、押さえた手を見れば血がべっとりと付着している。
「マスター、御無事ですか」
「……ッ、黙れッ!! お姉ちゃんは私をそんな風に呼ばないッ!!! 」
「了解しました」
ロメリアにとって不快な機械音声が響き、そのままアルスは沈黙する。
アルスはどれだけロメリアが教えても、ロメリアを名前で呼ばずにマスター、と呼ぶ。
その呼び方もロメリアのはらわたを煮えくり返らせるほど不快な要素の一つなのだが、今はそれは思考の外に追いやる。
それから血の付いた自分の手を見つめる。ロメリアは家族を失ったショックで、暫くの間続けていた不摂生な生活が祟り、重い病気を患っていたのだ。
彼女は病に侵され、もう先が長くない。そう、ロメリアの本当の目的は、病の治療費を稼ぐ事。
それはアルスのパーツなど比較にならないほどで、ロメリアがまともな職に就いてまともに働いて貯めるには幾度も輪廻転生を繰り返す必要があるだろう額。
だから目が眩み、危険も承知で報酬に釣られるがままに出てきてしまった。まあ、どのみち死ぬかもしれないのであれば少しでもその可能性の低い方を選んだだけではある。
とはいえ、ロメリアにはアルスがいる。よほどの敵が出てこない限りは彼女が不意の事故で死ぬ事はないだろう。
姉としてアルスを見ることは無いが、武器として盾としてならば、ロメリアはそれなりの期待をアルスにしている。いざと言うときは捨て駒にしてでも自分だけは逃げるつもりだが。
ともかく、病魔に侵された自分の身に鞭打ち、カトレアの両親の元へ向かおうとしていたのだが……。
「はは、完全に迷っちゃったかな…… やっぱり、河を舟で下って行ったの、間違いだったかな。……ごめんね、お姉ちゃん。もうすぐ、そっちに行くかも」
ロメリアは完全に迷っていた。迷わないようにとなけなしの金で買った地図だったが、ロメリアはそもそも自分の現在位置すらも把握できていなかった。
その時、子供の頃読んだ本に河を辿っていけば村や町に着く、という事が書いてあったのを思い出し、河を目指した事は正解だったかもしれない。
だが、ようやくみつけた河に泊まっていた小舟を拝借し、その上で休みながら河を下ったのは失敗だった。元々ロメリアが地理に詳しくない事も災いし、気がつけば海にまで出てしまっていた。
このままいけば、攫われた貴族の娘の特徴すら知らないままに死んでいくかもしれないという事実に、ロメリアは恐怖や絶望よりも、呆れの方が強く出た。
「お呼びでしょうか」
お姉ちゃん、と言う言葉に反応して、アルスの声が響く。
「……喋るな。お前なんかの事じゃない」
「了解しました」
顔を顰めながらロメリアがそう吐き捨て、アルスはその言葉に従う。
ロメリアはこの機械人形のアルスの事を姉とは思いたくないし、呼びたくも無いが、それでもお姉ちゃん、と呼ばなければ反応しないのだ。
こんな部分だけを姉っぽくした魔術師の顔をロメリアは忘れた事はないし、どこかで会ったら必ず張り倒してやろうと決めている。
ただ、その夢も今の遭難同然の状況下では叶えられない夢となりそうだが。
「ああ、もう。こんな惨めな事になるんだったら家でおとなしく死ぬのを待ってた方がマシだったかも。何なら、このポンコツを使って行商人でも襲撃してれば、病気は治せなくてもしばらくは楽しく遊んでられたのかな……」
とうとうロメリアから諦めの色が見え始めた。舟に仰向けに寝転がり、ひたすら自分の行動を悔いて、現実逃避に走っている。
「お父さんとお母さんと、お姉ちゃんに会う前に、洗濯くらいはしておくべきだったなあ。今さらになって服の汚れ、気になってきちゃった」
「マスター」
「はあ。せめて、死ぬ前に恋とかしたかったな。今からでも間に合うならこの際贅沢いわないから、男じゃなくて、女の子でもいいから、ちょっとくらい……」
「マスター」
自分の世界に没頭して最期の時を待とうとしていたロメリアを妨害するように、アルスの機械音声がロメリアを現実に引っ張り戻す。
「…………何よ」
「あちらを御覧ください」
不快感と羞恥で顔を歪ませながらも起き上がり、アルスが示す方向を見ると、そこには島があった。しかもあと数分もかけずに上陸できる距離まで近付いている。
しかも、よく見れば舟がいくつか泊まっているのも確認できた。
「人がいるみたいね。……よかった、もしかしたら助かるかも」
ロメリアは安堵した。いや、いるのがまともな人間かどうかもまだわかりはしないが、それでも誰にも知られず孤独に死んでいく事だけは避けられるのだから。
島にいるのは異常者で、自分は恥辱の限りを尽くされた上で惨殺される可能性も無くはない。が、アルスに看取られて死ぬよりはそっちの方がいくらかマシだとロメリアは思っている。本当に、本当に名前ばかりの姉の機械人形がロメリアは嫌いで嫌いでならないのだ。
とは言っても、世の中そこまで異常街道まっしぐらという人間はそういないもの。きっとこの島にいるのは正常な人間だろうと、多少楽観的だがロメリアはそう考えた。
正常な人に出会えたならば、できる事なら食料を分けてもらい、どこか近くの町まで案内して欲しいものだが、それは欲張りすぎか。
少し前の諦観は何処吹く風、ロメリアは小さな希望を瞳に宿し、精一杯舟を漕いで島へと向かっていった。