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第6話 蝶の舞踏

「……間に合った、かな」


 まだ呼吸も整ってはいない上に大分髪も乱れてはいるが、ベルズはひとまず落ち着いた、と額を流れる汗をコートの袖で拭う。

 薬の方が間に合ってくれたようで、カトレアは頬に赤みを取り戻しベッドで横になってすうすう寝息を立てている。

 一階の部屋を虱潰しに探して数回目にして回復薬を発見。『試作品』と頭に付いていた事と本当に薬なのかと疑いたくなるなんとも形容しがたい色をしていたがそんな些細な事には構っていられない。

 すぐさま封を切り傷口にかけてやると、一拍間を置いてから跡形も無く傷口は消え去ってくれた。

 そのまましばらく安静にさせようと考え、近くの部屋にあったベッドに寝かしてやり、今に至る。


「ああ、どっと疲れた……」


 カトレアの眠るベッドに腰掛け、溜息を吐く。ここまで他人の為に必死になったのは始めてかもしれない。

 ベルズは今までずっとベルズの為だけを考えて生きてきていた。気が向けば人命救助に精を出したりもするが、無理そうだと判断すればすぐ見捨てるのだが。

 それなのに、こんなにもカトレアの死を恐ろしく思うとは。

「もしかして、俺にとってコイツはもう、大切なヤツだって事か……? なーんて」

 まあ実際の所、理由は何にしてもカトレアが死んでしまえばベルズはカトレアの両親から文字通り死ぬまで追い回されることだろうから、あながち間違いではない。

 その事はベルズもわかっているし冗談のつもりで言ってみたのだが、想像以上に恥ずかしかったらしく、耳と頬が赤く染まった。

 カトレアがまだ眠っていて本当に良かった。そう思いながらベルズがカトレアの方を見やると、ぱっちりと目が開いていた。


「おはようございます」

「…………聞いてたか?」


 先ほどとは違う種類の汗がベルズの頬を伝って流れる。多少顔を引きつらせながら仕方なくカトレアに確認。

 気は進まないし、聞きたくも無いが、聞いておかないと良くない誤解を生みかねない。カトレアにとっては良い誤解かもしれないが。


「も、申し訳ありません。何のお話をされていたのでしょうか?」


 安堵。何も聞いていなかったと知り、ホッと胸を撫で下ろす。

 だがベルズの安堵とは裏腹に不安げな表情のカトレア。何か重要な話を聞き逃してしまったのかと申し訳無さそうにしている。


「いや、その……死ぬほどつまらない話を」


 目を泳がせつつも適当に誤魔化して、ベルズがベッドから立ち上がる。そのままドアの方へと歩いて行き、ノブに手をかけた所でカトレアに呼び止められた。


「あ、あの、どちらへ?」

「ちょっと、散歩。少ししたら戻ってくるから、それまでちゃんと寝てろよ」


 元気の戻ってきたカトレアの返事が帰ってきたのを確認して、ベルズは部屋の外に出た。

 そのまま足早に家の外まで出て、大きくため息。

 多少気が動転していたにしても、面白くない。冗談を言うにしてもせめてもっとユーモアに溢れているものでないといけない。

 本人に聞かせるつもりでなかったとはいえ、不要で不用意な言葉の取り扱いにはもっと気をつけるべきだった。

 せめて次からはもう少しばかり人に聞かせても楽しめる冗談を言いたい物だ。

 と、反省ついでに思い切り深呼吸。肺の中の空気を入れ替える事によって気分も入れ替えられたような気がして、大分落ち着きを取り戻せた。

 そのままもう少し景色を楽しんでいようかと考えていたベルズの視界に、人間が立っていた。

 当然ベッドで休ませていたカトレアではない。筋骨隆々な男だ。しかも皮の鎧を身に纏い、腰に剣を携えている。そこに燃える炎のような紅色の短髪と無数の古傷が加わり、見た者の殆どが歴戦の戦士であると口にするだろう風貌。

 島の出入り口付近にある物の事を考えれば、通りすがりに住居らしきものを見つけて宿を取らせてもらいに来た、ということはまずありえない。

 となればカトレアを連れ戻しに来た追っ手の可能性が一番高い。それはベルズにとって一番嫌な可能性でもあるのだが。

 男が口を開くまでの間、ベルズは外では平静を装いつつ内で追っ手では無い事を祈り続けた。


「すまない、一つ聞きたいのだが、カトレアと言う名に聞き覚えは無いか? 紫の髪色に紫の瞳、特徴的な髪型の貴族の少女なのだが……」


 しかし、見事に的中。ベルズの目の前に立っているのは、その一番嫌な可能性だった。

 だが最悪ではない。男はベルズがカトレアを攫った事に気がついていない。適当に偽れば追い返すのは難しくないだろう。


「……さあ、聞いた事も無いね。俺はしがない漁師で、目に付いた魚を獲って食ってるだけのモンでね、そんな娘にゃとんと見当も付きや……」

「ベルズさーん、もう身体の具合もよくなったので、私もお散歩ご一緒してよろしいでしょうかー」


 ベルズがホラ話を吹き始めた途端、紫の髪に紫の瞳、そして特徴的な髪型の貴族の少女であるカトレアが勢い良く窓を開け、こちらの方へとゆっくり手を振っていた。


「……」

「……」


 ベルズと男の視線がカトレアへと向かい、再びお互いの顔へと戻って来る。両者の間を数秒の沈黙が支配した。


「……最悪だ」


 片手で顔を覆い俯く。ベルズには咄嗟にそれしかできなかった。

 一かバチかで別人だ、とでも言い張ってみようかと逡巡するも、男が剣を抜き構えたのを見て断念。

 とはいえ、何の弁解もせずに斬られてやるつもりはベルズには無い。あまり効果は無い事は承知の上で事情を話してみる。


「ま、まあ待てって。別に無理矢理ここまで連れて来たって訳じゃ無い。本人に聞いてみりゃ分かるが、あいつの意思なんだよ。だから何もしてないし、無論取って食おうなんてつもりも毛頭ない」

「……なるほど、そうだったのか。娘さんが無事という事は親御さんはさぞ喜ぶだろうな」


 男の顔が緩む。見掛けによらず話の通じる相手だった事にベルズは少し安堵した。が、続く言葉にその安堵はかき消されてしまう。


「ま、それとは別として誘拐犯の首を取って来い、とも言われてるんでね。アンタの話の真偽はともかく死んでは貰おう」


 尤も漁師さんの話とあっちゃ信じるにはちょいと厳しいがね、と苦笑交じりに皮肉を零しながら男は剣を構え直す。

 今になってようやくカトレアも状況を理解したのか、少し青褪めた表情でベルズ達の動向を見守っている。

 カトレアに全く非が無いとはベルズも思わないが、ベルズ自身も災いの種を蒔いたのだ。ならその収穫はオトコが引き受けるべきだと考え、拳を構える。

 見るからに幾つも修羅場を越えているだろう相手だ。先刻屠った盗賊など比べ物にならない強さではあろうが、勝てない相手ではない。

 指先ですら触れる事も出来ないほどに力量差があるのなら話は変わって来るのだろうが、そこまでの域の人間はそうそういない。目の前の男がそうでない、と言う保証もないが。

 とは言えベルズも男も得意とするのは接近戦。相手が魔術を用いた遠距離攻撃を主とするならばともかく互いに接近戦なら手も足も出ない戦いという事にはなり難い。

 仮に手も足も出せ無くなるか無くなるかするような差があったとしても、ベルズは喰らい付いてでも殺すつもりでいる。


「ん? どうした、得物は無いのか?」

「……必要無いね。そんなモンより俺は自己紹介のが必要だと思うが」


 自己紹介、と言う部分を不思議に思ったのか男が首を傾げる。


「……そう不思議そうにすんなよ、名乗れって意味だ」


 気を利かせた冗句のつもりだったのだが理解してもらえず、ベルズの少し残念そうな言葉に対し、男は合点がいったと言うかのように頷いた。


「カルムだ。そっちは? 」

「ベルズだ。多分、お前が最期に覚える名前だ」

「随分と大きく出るじゃないか。俺の台詞を取らないで欲しかったんだが、なッ!」


 カルムの剣が風を切り、ベルズの首元に迫る。だがベルズにかわせない程の速度ではない。体を大きく仰け反らせ、回避。


「死ねと言われて黙って死んでやれるほど善人でもないんでねッ! お前にはここで終わって貰うッ!!」


 空を切った剣をかわし、回避行動から続けざまにがら空きとなったカルムの体へ回し蹴りを放つ。常人がまともに食らえば骨が砕け散るような一撃が、カルムの胴へ吸い込まれていく――

 その直前で、カルムの胴が消えた。

 いや違う。消えたのではなく回避したのだ。それはまるで空を舞う蝶を捕まえようと手を伸ばすも、その手をすり抜けて逃げるかのような動き。


「ッ!? 何だ、今のは! 魔術かッ!? 」


 ベルズの蹴りは確かにカルムの胴を捉えていたはず。簡単には避けられないであろうそれを、カルムは容易くかわしてみせたのだ。

 過去にベルズが対峙してきた敵、その大半は最初の一撃で戦闘不能に追い込むことができたのだが、カルムはそんな今まで戦ってきた雑魚とは一味違う。

 驚愕に揺れるベルズの言葉に、飛び退き距離を取ったカルムが知りたいのなら教えてやる、と吼え叫ぶ。


「魔術だぁ? 違うッ! こいつは俺の師匠から授かった秘されし舞い、その名も蝶の舞踏ッ! この秘舞の前に、お前は、この俺に指一本触れる事すらできず斃れる事になるッ!!! 」


 意気揚々と語ったカルムの蝶の舞踏。それは、とある騎士の家系にのみ伝わるとされた秘伝の舞踏。

 極めた者はその名が示す通り、蝶が舞い、踊るかのような動きで、ありとあらゆる攻撃を回避する事ができると言う。

 もっとも、その騎士の仕えていた国は数十年以上昔に滅び、騎士の行方も杳として知れぬままであるのだが……。


「ハッ、指一本触れられないとは、こりゃまた随分と大きく出られたモンだな」

「事実を言ったまでだッ! この舞踏の前には、いかなる技も通用しないッ! 」

「おいおい、嘘が下手だなオッサン」


 ニヤニヤ笑いながらベルズはカルムの身体中の古傷を見る。

 その傷を見るに、いかなる技も通用しない、と言うのはハッタリと考えていいだろう。

 ……舞踏を身に付けた後にいくつ傷が増えたのかは聞かないでおく事にしたが。


「嘘だと思うか? なら好きなだけ試させてやろう」


 そう言ってカルムは不敵な笑みを浮かべ、人指し指でかかってこい、と挑発する。


「やっすい挑発だなぁ。まあいい、だったらまとめて大人買いしてやるッ!! 」


 ベルズは世の中に絶対、と言うものは存在しないと考えている。どれほど強固な守りにも必ず穴はあるし、どんな力の差も一瞬の判断と油断で覆る事だってある。

 いかに無敵と嘯いても、付け入る隙は必ずある。特に、一撃で勝敗を決する事も可能なベルズの力はそれに向いている。

 どれだけ重い技を受け、肉を裂かれようとも、骨を断てば元は取れるだろう。相手の一撃に反撃、迎撃の一撃で終劇だ。

 音速に届かんばかりのベルズの蹴りを、拳を、カルムは幾度となく事も無げにかわしてみせる。


「このッ、ヒラヒラ動き回りやがってッ!! 」

「そらそらどうしたよッ! 当てる気がないならそろそろこっちからもやらせてもらうぞッ!! 」


 言葉と共にカルムの回避に斬撃が加わる。ベルズの拳が蹴りが空を切る度、剣が腕を斬り、脚を斬り付ける。

 まるで流れる水のように自然に繰り出された回避と一体の刃。剣そのものの重量とカルムの屈強な腕からなるそれにコート一枚纏っただけのベルズの腕も脚も、無事で済むはずがない。

 しかし、肉を切り裂く音は響かない。響くのは鉄が鉄を弾くような音。


「ッ! このッ、随分と堅ぇじゃねえかッ! 強化魔術か!?」

「まあそんなトコだなッ! ちょっとやそっと切ったり叩いたりくらいで俺の血が拝めるとは思わないでもらおうかッ! 」

「チッ、そちらさんも大分インチキでいらっしゃるなッ! 」

「そんならどっちのインチキが上かインチキ比べと洒落込もうじゃねぇかッ!! 」


 ベルズの拳がカルムの顔面を粉砕せんと迫る。だがそれもカルムの舞踏によって空を切るだけに終わってしまう。

 突き出されたベルズの腕に斬撃が加えられるも、これまた傷をつける事すらできずに弾かれる。

 当てる事の出来ない守りと、当てる意味の無い守り。無限に続くかに思われた攻防だったが、ようやくその幕切れが訪れた。


「――ッ!? しまっ……! 」


 ベルズが島のあちらこちらに放置していた肉。とびきり腐敗の進んだそれがベルズの足元を滑らせ、胴をがら空きにし、大きな隙を生み出す。

 当然、カルムもそれを見逃すはずが無い。渾身の力を剣に込め、心臓を貫かんとベルズの胸へと突き出す。ベルズにはそれをただ、悔いるような、恥じるような表情で見ている事しかできなかった。


「うぐッ、あ、が、ぁッ……!!」


 まるでベルズの纏うコートが岩か鋼で出来ているのかと思わせるような衝撃が剣越しに伝わって来た。しかしわずかに剣先がベルズの胸に食い込んでいる。臆する事無くカルムは更に剣を深く突き入れた。

 しかし拍子抜けする事に、硬かったのは表面付近の部分のみ。それより奥はまるでゼリーでも詰まっているかのように柔らかい手応えだった。

 ぬるぬると胸が剣を飲み込んでいく。すると再び硬い感触。もう一度力を込め、突く。すると、ベルズの背中から剣先が現れ――

 ベルズの体は、貫かれた。

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