第3話 ベルズの家
「フフ、こんな静かな場所で二人っきり。まさに、恋人同士ですね」
「……ああ、うん。そうだな」
月は既に沈み、もうじき太陽が顔を覗かせる頃合いの時刻、ベルズとカトレアは舟で海を渡っている。
舟とは言ってもそこまで立派な物ではなく、二人、詰めれば三人がなんとか乗れる程度の小さな木製の古びたもの。
ベルズの住む家は周りを海に囲まれた無人の島にあり、色々と遊んだ後はこの舟に乗り、帰ってくるのだ、が。
「声、ちょっと震えていますけど、大丈夫ですか? ……もしかして、泳げないとか?」
カトレアの投げかけた言葉はだいたい合っている。
正確には泳げないと言う訳ではなく、どういう訳か水に入ると体を動かすのが困難になるのだ。
小さな川だとか風呂程度ならばあまり問題なく入ることができるが、海や湖に落ちると、本当に体が動かなくなってしまう。
決して、ベルズがカナヅチであるとかそういう話ではない。泳ごうとしても泳げないのではなく、体がそもそも動かせなくなるだけで、カナヅチとかそういうのではない。
「うん、まあ、そういうことでいいや」
とはいえ、あまり詳しく説明する必要も無いだろうとベルズは思った。むしろそういうのをカナヅチと言うんだ、と言う話になりそうだったのでそのあたりは黙っておくことにした。
そんな訳でベルズは行きと帰り両方で舟が転覆しない事を祈りながら、ビクビクしながら漕がざるを得ないのだ。
本当の事を言うともっと別の場所に移り住みたいのだが、長い事住んでいるせいか今の家に愛着が湧いてしまい、手放すに手放せなくなってしまっている。
加えて個人的な趣味の関係上、お礼参りやら敵討ちの対象にされる事が多々あり、そういうものから身を隠す事もできるので、人里離れた辺鄙な場所で暮らすほうが都合がいいと言うのもある。
「そうなんですか。それでは今度私と一緒に泳げるよう練習いたしましょう」
そう答えカトレアはニコニコと微笑む。どういうわけか、ベルズが付いて来るのを許可してからずっとこうして楽しそうに笑っている。
何がそんなに楽しいのかと聞けば、「好きな人と一緒に居たら幸せでしょう? そして幸せな時は自然と嬉しくなる物です。ですからその、嬉しいものでつい、自然と笑顔に……」と言っていた。
ベルズにはまるで理解できなかった。こいつに対してやった事と言えば、人間を数人殺してみせたくらいだったはずなのだが、それが一体どう転べばここまで好意的な感情を向けられるのかまるでわからなかった。
正直、このカトレアと言う女は頭がおかしいとしか思えない。まあ、そんな台詞はベルズには言われたくもないだろうが。
「ああ、今度な」
ぷいとカトレアから視線を逸らし、水平線の向こうへと目をやる。今度とやらがいつ来るかはさておいて、そろそろベルズの住む島が見えてくるはずなのだ。
「はい、楽しみにしていますね。 ……それはそうと、私ってあまり遠出はした事がなかったので、こうして海を見るの、初めてなんですよ」
やはり、カトレアは楽しそうにニコニコと笑っている。
「あー、はいはい。そりゃよかったな」
多少乱雑に話を切っても、カトレアは特に不快な表情を見せるわけでもない。むしろより一層嬉しそうに笑顔を返してくる。反応を返して貰えるだけでも嬉しいのだろうか。
と、無駄話をしている内にようやく島の姿が確認できるようになってきた。
「お、見えてきたぞ」
指で方向を指し示してやると、カトレアもそちらの方向へと顔を向けて楽しそうに口を開く。
「ふふ、これからはあそこで私とベルズさんとで、一緒に暮らすんですね」
「……うん、まあ、そうだな」
「やっぱりこういうのってみんなの夢ですよね、好きな人と一緒の家で過ごすって。考えただけで幸せです」
両手を頬に当て、本当に幸せそうに話している。
さっきから適当な相槌しか打っていないはずなのにベルズと会話している時のカトレアは本当に楽しそうに微笑む。
思い込みとは言え、恋の力と言うのはやはり凄い物だ。好きになった相手であれば例えそれが人を殺す事を楽しむような相手にでもこんな笑顔を見せられるのだから。
こちらとしては速やかにその効力が消え去ってくれる事を望むのだが。
いつまでもこんないたいけな少女を騙し続けるような事はしたくないし、気付くのが速ければ速いほど、この手の傷は浅く済むものなのだが。
ベルズは一刻も早くカトレアが正気を取り戻す事を祈るしかできなかった。
「ふう、ようやく着いたな」
ベルズの住むこの島は外周のほとんどが崖のような状態になっている。高さはそれほどではないものの、船をそこらへ泊めて上陸すると言うのが困難な程度には凹凸が激しい。
だが島の一部分、南東の辺りが砂浜になっており、そこの隅にあまり大きくもないが木製の船着き場を作り、ベルズ専用のものとして使っている。そこへ舟を泊めて久々の我が家へと足を運ぶ。カトレアも後に続き舟から降りた。
「素敵な砂浜ですね。それに、海もとっても綺麗」
カトレアはその場でくるりと回りながら周囲の景色を楽しそうに眺めている。
「まあ、ここはそう見えるかもな」
ベルズの言葉に首を傾げるカトレアをスルーし、ゆったりとした砂の斜面を登っていく。少し遅れ、置いていかれないようにと慌ててカトレアも付いてくる。
少しばかり歩くとそこには一面、背の低い草原が広がっており、そこからまたしばらく先にベルズの住む家が視認できる。そしてそれ以外にも視界に入ってくるものが、ひとつ。
「……とまあ、こういうわけだ」
大量の死体が転がっている。それも動物ではなく人の。
血にまみれ、虫が湧き、内臓を撒き散らす醜い肉の塊がそこかしこに散乱しており、周辺は濃い血と腐敗した肉の悪臭が支配している。
ベルズはこれを見ると我が家に帰ってきたなあと言う安堵感でいっぱいになる。しかし、カトレアはどう思うだろうか。
「……これ、全部ベルズさんが? 」
「ああ、勿論」
当たり前だろ、それがどうかしたのか、そんな口調であっさりと返してやる。
ここに転がっているのは例外なくベルズを殺しに来た者だ。どいつもこいつも仲間の仇だ何だと言って襲い掛かって来たが、俺が殺しているのは悪人だけだというのに。なのに何故感謝されるのではなく恨まれねばならないのかとベルズはいつも納得できずにいる。
だがベルズも正当な理由もなしに殺されてやれる程お人好しでもないし、悪の知り合いは悪という考え方をしている。挑んでくる者は一人残らず返り討ちにした。
この光景に対してカトレアが一体どんな反応をするか、ベルズはちょっと楽しみであった。怯えて逃げ帰ったりなんかしてくれるとベルズとしては楽なのだが。
怖くなったなら帰ってもいいんだぞとベルズが言う直前、カトレアの声が響き渡った。
「す、すごいです、ステキですっ! 」
少なくとも良い方向の反応は無いと考えていたのだが、返ってきたのは予想外の反応。度肝を抜かれた。
だが、その言葉はきっと本心ではないはずだ。十中八九、ベルズに気に入って貰うための嘘に違いない。
「……いや、流石にそんなバレバレは嘘には騙されないぞ」
「ふふ、嘘じゃないですよ。本当に、ステキと思っていますわ」
「普通は人間の死体を見て、ステキだなんて思えるとは思えないんだが」
「好きになった方の趣味なら私、どんなものでも肯定しますし、好きになります。それと、どんなお願いも頼みも聞くつもりですよ」
曇り一つ無い笑顔でそう告げられる。そこまでして貰えるのは嬉しい事なのかもしれないが、そこまでいくと恋と言うより妄信に近い気もしてくる。
いや、そもそもやれと言われて躊躇い無く腕にナイフを突き刺したりを平然とやってのけたのだ。妄信に近いと言うより妄信そのものだ。ベルズは自信の考えを改めた。
「お、おう……そうか……」
ずいぶんとまた俺に対して入れ込んでいる事だとベルズは呆れ気味に感心した。同時に、もしもベルズへの恋が勘違いだったと気付いた時にこの思いが全部憎しみに反転するかもしれない考えると、少し先が恐ろしくも感じる。
「よくできた彼女さんでしょう? 私」
今までの会話を聞いていない者が目にすれば天使と形容するのも躊躇われないような笑顔で、ベルズにカトレアが問いかけてくる。
彼女、と言う部分には猛烈に反発したい所ではあるが黙っていた。
「……ああ、そうだな。すごいすごい」
反論したい気持ちもあるにはあるが、何を言おうがこちらが無駄に疲れて終わるだけのような気がしてならない。適当に流すのが最善だろう。
そう考え、一旦ではあるがここはベルズが折れておくことにした。諦めの混じった肯定をカトレアへと返し、ついでに頭を撫でてやる。
「えへへ」
されるがままに頭を撫でられるカトレアは少し照れもあるようだが、とても嬉しそうだった。