最終話 彼の初恋
体に当たる風で、カトレアは目を覚ました。
ぼやけた視界がゆっくりと定まっていくと、カトレアを心配そうにして見ているベルズと月の明かりが目に入った。いつの間にか家の外へと移動していたようだ。
目が覚めるのと同時に先程まで何があったのかもすこしずつ思い出してきた。そして、いま自分がどんな状況なのかも。
カトレアは今、ベルズにいわゆるお姫様だっこをされている。
「おお、起きたか。……えっと、無事だったか、は違うよな。……どこか痛む所とかはないか?」
「はい、嬉しいです」
「そっか、なら良かっ……? 何か話が噛み合っていないような……まあ、いいや」
カトレアの返答にベルズは違和感を覚え頭を捻ったが、何事もなく目を覚ましてくれたことにとりあえず安堵する。
意識ははっきりしている様子だったのでベルズの腕から下ろそうとすると、カトレアは少し名残惜しそうにしながらベルズと向かい合うように立った。
「その、何だ、すまなかった。お前の事を傷付けるようなマネはしないと誓っていたんだが、それなのに、お前を……」
後悔を顔に滲ませ、俯きがちにベルズは謝った。その視界の先にあるカトレアは、胸から下の服が横に切り裂かれて腹部が露わになっている。
「そんな、気にしないで下さい。私だって、ベルズさんに攻撃をしてしまったんですから……恋している、人に……」
後ろ手に組み、申し訳なさそうにしながら言ったカトレアの言葉を聞き、ベルズは顔を上げた。
「何言ってんだ、それは俺も一緒だ!」
「……それって、もしかして恋の事がですか?」
思わずカトレアに言葉を返したベルズだが、それ以上に思わぬ言葉を投げかけてきたカトレアに、ベルズは少し動揺した。したが、嘘はつかない。
「い、いや違……いや、違わない、かな……。あの、カトレア」
「はい」
反射的に否定しようとしたベルズだが、すぐに思いとどまった。少し前の、カトレアに名前を呼ばれ、意識を取り戻した時の事を思い出したから。
ベルズは一旦呼吸を整えてからカトレアに向き合う。その間、カトレアは静かにベルズの事を待った。
これからベルズが何を言おうとしているのか分かっているのか、カトレアは優しい瞳でベルズを見ている。それに気付きベルズはだんだん気恥ずかしくなってきたが、ベルズは一度やると決めたら絶対に曲げない。口を開いた。
「えっと、実は、だな。俺もその、お、お前の事が……すっ、好きに、なっちゃった、みたいで……」
「はい」
「……いつから、とかはわからないんだが、いつの間にか。気が付いたのはさっきの……地下室で、お前に名前を呼ばれた時で」
「……はい」
「それで、そういうわけで……俺は、お前と一緒に居たいな、って、思ってて……どう、かな」
「…………はい。私もベルズさんと一緒で、一緒がいいです」
ベルズが一通り言い終えると、カトレアはゆっくりと頷き、ベルズの手を取り、自分の手と重ねる。
「……良かった。そう言ってくれると思ってはいたが、聞いてみるまではやっぱり不安で……」
その言葉を聞いてベルズの顔は明るくなったが、月明かりに照らされたカトレアの手を見て凍りついた。
「カトレア、その手……」
「あ、これですか? 大丈夫ですよ。痛くはないんですけど、気が付いたらこうなちゃってて。きっと、手に埋め込んだ魔物の体の副作用とかだと思うんです。見た目は酷いけどホントになんともないから気にしないでください」
見ると、カトレアの両手は真っ黒になっていた。まるで焼け焦げて炭化しているかのようだ。カトレアは何てことない風だが、とてもそうは見えない。
「平気そうには見えないんだが……」
「そ、そんなに心配しないでください。動かしたりしても痛くないんですから。……指輪が似合わなくなっちゃうのは、ちょっと残念ですけどね」
そう言いながら、カトレアは少し寂しそうに笑った。
確かに、この手では指輪が似合うとは言えないだろう。しかし恋人の手がこんなにもボロボロとあっては黙って見ていられない。ベルズはカトレアの手を優しく包み込んだ。
「じゃあ、今度指輪の代わりに綺麗な手袋を買いに行こう」
「本当ですか!? ……それじゃあベルズさんとのお出掛け、楽しみにしていますね」
とても嬉しそうにカトレアは笑い、ベルズの手を上から握り返すと、ベルズも優しく微笑んで頷いた。
「ああ。……それと、カトレア。ちょっと頼みがあるんだけどいいかな」
「頼みですか? はい。何でも言ってください」
「その、ベルズさん、って呼び方なんだけどさ、なんか距離を感じるんだよな。……これからは、一緒に暮らすわけだし、この機会に変えてみないかって」
少し前まではカトレアはいずれ両親の元へ送り返すつもりだったので何と呼ばれようとベルズは気にしていなかったのだが、カトレアへの恋心に気が付くとそうではなくなっていた。
だからもっと近しい呼称にしてほしい、とベルズが頼むと、カトレアはあっさりと頷く。
「ええ、そうですね。……えっと、それじゃあ何てお呼びしましょう?」
そう返され、ベルズは顎に手を当てて考え始めた。
別な呼び方をされたいとまでは考えていたが、何と呼ばれたいかまでは考えていなかった。
「え? ああ、ううん……な、何がいいかな。カトレアは何がいいと思う?」
ベルズは聞いてから、ああなんて間抜けな事を聞いているんだ、と思い顔を赤くしたが、カトレアは特に困った素振りも見せずに答えた。
「ふふ、そうですね……それじゃあこれからは、あなた、って呼ぶことにします」
呆れられるかと思ったが、そんなこともなくカトレアはベルズを見つめている。
「うん、いいな。じゃあ、これからはそう呼んで欲しい」
「はい、あなた。……えへへ、これからはずっと一緒にいましょうね」
そう言うと、カトレアはベルズの腕に抱きついて頭を預けてきた。
「……そうだな、ずっと、な……」
何気なく発されたカトレアの言葉だったが、ずっと、という部分でベルズの表情は暗くなった。
ディオネアの言葉通りベルズとカトレアが本当に不死の体となったのであれば、死が二人を別つことなどありえない。何があろうと、いつまでも、離れることなく過ごす事ができるのであろう。
それだけを見れば実に幸せな事と思うだろう。だが、死なないのは、終わらないのは、ベルズとカトレアの二人だけだ。どんなものにもいつか終わりは来る。人も、魔物も、そして世界にも。
いつの日にか世界が死に、大地が砕け、何もない空間に二人だけが放り出されてさまよい続ける、という事になる時がくるかもしれない。
少し先の事を考えれば素晴らしいものだが、そのもっと先の事を考えれば、不死とは恐ろしいものなのだ。ある意味、呪われているようなものかもしれない。
「……? どうしたんですか、あなた? そんな難しそうな顔して」
「いや、何でも……」
カトレアが心配そうに覗き込んでいるのに気付き、ベルズは首を振って思考を中断した。
今更考えた所でどうしようもない事なのかもしれないが、いつかこの先起こり得る事を思うと、カトレアへの罪悪感が膨らんでいき、言葉となって口から溢れてしまった。
「ごめんな、カトレア」
「そんな、謝らないで下さい。あなたが私に謝らなくちゃいけない事なんてなにもありませんから」
「……そうかな。実はカトレアが気付いてないだけで、一つや二つくらいあるかもしれないぞ?」
「……もしそうだったとしても、私は許しちゃいますよ。あなたがいつまでもいつまでも、例えこの世界が終わるまで、いいえこの世界が終わっても、そのもっともっと先までもずっと私の事だけを愛してくれると誓うなら、あなたの全部を許しますから」
だから謝ったりなんてしなくていいんです、と付け加えてカトレアは真剣なまなざしでベルズを見つめている。
「ちょっと重くないかな」
「そんなことありません。恋する乙女だったらみんなそう思ってます」
茶化したベルズだったが、カトレアの言葉から『ずっと先』の事をまったく考えていない訳ではない事がわかり内心ほっとしている。
それで未来が変わるわけではないが、わかってくれているならベルズの背負った荷が少しだけ軽くなったような気分になった。
「まあ、別に構わないんだけどな。……カトレアに、永遠の愛を誓うよ」
「ふふっ、あなたならそう言ってくれるって期待してました。……私も、あなたに永遠の愛を誓います」
手と手を重ね合わせ、徐々に二人の顔が近付いていく。互いの息遣いがわかるほどに縮まっていき、そして――
月の光が、重なり合ったひとつの影をいつまでも照らしていた。
シルバーイーターX おしまい




