第22話 永遠の、その代償
ベルズが目を覚ますと、その視界は非常にぼやけていた。いくら目を擦っても瞬きをしてもずっとぼんやりとしたままだ。
ゆっくりとベッドから起き上がり周りを見渡してみるが、やはり変わらない。何かがあるのは分かるが、どのあたりに何があるのかまでは分からない。
記憶すらも同じくもやがかかっているかのようで、少し前に何があったのかも思い出せずにいたベルズだが、ふと気付くとどこからか声が聞こえてくる。
「やあ、おはよう。隣の部屋から観察させて貰っているが、気分はどうかな」
部屋全体に声が響き、それに何か返すべきかとベルズは口を開いたが、まともに言葉を発する事ができず、またなにも浮かんで来なかった。
「その様子だと、うまく喋れないみたいだね。ううん、やっぱりもう少し調整が必要だったのかな」
そう言って思案するように唸る声が部屋に響き渡り、ベルズの頭の中にも響いてくる。
先程まではその声が誰のものなのか、何を言っているのか理解できていたベルズだったが、徐々に言葉の意味がわからなくなってきた。
ベッドから降りて立ち上がった時にはほとんど何も考える事ができなくなっていた。
ぼーっとしながらベルズが周囲を見渡すと、近くに何かがいるのがわかった。人の形をしている事だけはわかるが、やはり誰かはわからない。だが、なにか特別な存在だったような気がしている。
ベルズがその紫色の誰かを眺めていると、突然その誰かが起き上がる。何か喋りかけてきているようだったが、ベルズには何を言っているのか理解できない。
いつの間にかベルズの手が伸びていた。伸ばしたその手は、全体が暖かい感覚に包み込まれている。……全体?
違和感を覚え手を引っ込め、じっと見つめてみると、掌も手の甲も赤く染まっていた。
首を傾げ視線を戻すと、目の前の誰かの紫に、赤色が混じっていた。誰かは、胸を押さえてうずくまっている。
それを見てベルズは、締め付けるような何かを感じた。そしてそれとは別に、目の前の誰かを壊したいと、そう思っていた。
思うよりも先に、体が動いていた。今度は思い切り全力を込めて殴りつける。誰かが床に叩き付けられ、何かを叫んでいる。
今度は首をゆっくりと締め上げる。誰かはもがいて手をベルズに向けた。するととても熱い何かがベルズの体を包んでいき、一瞬の内にベルズは消し飛んだ。
しかし、ベルズは死ななかった。再びベルズの体を作り上げ、誰かに襲い掛かる。何かを抉り出し、何かを引き剥がした。
目の前の誰かを壊し続けたベルズは、とても楽しかったが、それと同じだけの別の何かを感じていた。
だが、その何かが何なのかは、今のベルズにはわからないままだった。
「これは、失敗かな」
ディオネアは目の前の実験室での出来事を、ずっと眺めていた。
カトレアの方は超高温の炎を操る、魔獣の王とも呼ばれる魔獣の体の一部を埋め込んだだけあって、無事に自我を保ったまま不死の体を得る事に成功したようだ。何度致死レベルの傷を負っても即座に再生するのをディオネアは自身の目で確認している。
だが、ベルズの方は駄目だった。魔族と聞いてさぞ強力な力を有しているのだろうとディオネアは思ったのだが、どうやらそうではなかったらしい。
不死の力にベルズの体は耐える事ができたようだったが、精神の方は耐えられなかったようで、ひたすらカトレアに対し見るも無惨な行為を繰り返している。動物での実験では似たような状態になったものは今なお正気を取り戻す事は出来ていない。おそらく、ベルズはずっとこのままなのだろうとディオネアは思う。
カトレアは一度だけそれに反撃をした。体に埋め込まれた魔獣の王の炎でベルズを蒸発させたが、ベルズはすぐに再生し、元の形を取り戻した。
それ以降カトレアは何故か、その行動に対する謝罪をするだけで殆ど無抵抗になっていた。不死とはいえど痛みを感じないわけではないのに、悲鳴も殆ど上げようとはしていない。
いつまでもこんな光景を見ていたら夢に出てきて夜一人でトイレにいけなくなりそうだと考えたディオネアはふうと息を吐いて手元のスイッチを押す。すると、実験室のガラスの前にシャッターが下りてきて視界を遮る。
ともかく、ベルズへの実験は失敗したものの、カトレアでの実験は成功した。
そして、魔獣の王の体の一部はすべてカトレアに使ってしまったが、それと近いの強さの魔物の一部はまだいくつか残っている。
ディオネアは、カトレアに行った時と同じようにすれば、自分もまた不死になれるであろうと考えていた。
「まあ、彼には少し申し訳なくはあるが、科学の発展の為に犠牲は付き物と言うからね。彼の分も、私は無限の生を楽しむ事にしようか」
自分以外に誰も居ない部屋で、ディオネアは天井を見上げ、にやりと笑った。
ディオネアが目を背けたその向こうでは、部屋のそこらじゅうが真っ赤に染まっていた。吹き出た血で、だ。
ベルズが手刀を振り下ろすと、目の前にいる誰かの何かが割れて、赤い何かが飛び散る。それが一体なんなのか今のベルズにはよくわからなかったが、ベルズが大好きなものである事はわかった。
すると一瞬誰かの動きが止まるが、すぐに割れた何かは元通りになり、再び動き出す。
ベルズが体内から剣を取り出し横に一薙ぎすると、目の前の誰かは容易く真っ二つになり、ベルズの大好きなものを飛び散らせてからまた元の形に戻る。
今のベルズにはもう殆ど何かを考える事はできなくなっているが、今自分は楽しいと、心地よいと感じているのはなんとなく理解できていた。
そういえばこれは確か最近やりたかった事なのにずっとその機会がなかったんだったかな、とベルズは思い出す。
何度壊してもすぐに元に戻る目の前の誰かを切る度、潰す度、ベルズはとてつもない楽しさを感じている。
だが、それと同時に、何か、それとはまるで違う、何か別の感情があるような、そんな気がしてもいる。
誰かから赤い何かが噴き出る度、それを楽しく面白く思うベルズの中で、それと同じか、いやそれ以上の別の感情が叫んでいるような。
一度それに引っかかると、その事が頭の中から離れない。ほぼ止まることなく誰かを壊すために動かされていたベルズの体は、それの事を考えれば考えるほどにゆっくりになっていく。
赤い何かはベルズの大好きなものであるのは間違いない。だが、ベルズはそれを見たくないと思っていると気付く。なぜだろう、大好きなはずなのに。
疑問が徐々に膨らんでいくにつれ、とうとう体の動きは完全に止まり、棒立ちになってベルズは考え始める。そういえば、この誰かは見覚えがあるような気がする。
じっと目の前にいる誰かを見つめてみる。しかしぼやけてよく見えない視界では紫色である事しかわからなかった。だが、それは最近よく見た色だったのはベルズには分かった。
紫の誰かを見ているだけで、ベルズの中の破壊衝動は和らいでいく。不思議だ、なんでそうなるのだろうか。いや、なぜそうなるのかベルズは知っている。それとも知っているのは言葉だけだっただろうか。
ただ誰かを見るだけで、一緒にいるだけで気持ちが穏やかになるというのは。ずっと考え続けていると、ベルズの心の奥底で何かがが叫んでいる、ような気がした。それは、この気持ちは愛だと。
……愛? 何故そこでそう思ったのか、ベルズは自分で自分が不思議でならなかったが、同時に納得もしていた。なるほど、これは愛なのか。
紫の誰かに、ベルズは愛を感じていると分かった。だが、紫の誰かが誰なのかはやはり、わからない。
思い出せない。だが、とても大事な何かを約束したはずだったとベルズは頭を抱えて唸り出す。必死に思い出そうとするが、おぼろげな輪郭しか思い出せない。何か、何かきっかけがあれば思い出せそうな気がしているのだが。
すると、紫の誰かが何かを言っているのが聞こえる。しかし、なにを言っているのかは今のベルズには理解できない。
何を言ったのかをベルズが考え始めた時、ドン、と紫の誰かがベルズにぶつかる。違う、そうではなく、ベルズを抱き締めてやはり何事かを必死に呟いている。
しかし、それもまた殆ど何と言っているのかはわからなかった。わからなかったが、ひとつだけ聞いたことのある言葉は、理解する事ができた。
「ベルズさん!!」
自分の名前を呼ぶ、その聞き覚えのある声色で、ベルズは思い出す事のできなかった全てを思い出した。




