第20話 本当の所有者
それから二名は現在、舟でベルズの家へ戻っている最中だ。カトレアが乗ってきた方は流されてしまったのか姿が見えず、ベルズが乗ってきた舟へ一緒に乗っている。
普段からあまり口数が多くはないベルズであったが、現在はいつも以上に寡黙である。俯き気味なせいなのかカトレアには顔色が悪く見える。
「あの、ベルズさん。顔色がよろしくないように見えますけれど、どこか苦しかったりするのですか?」
ベルズに手を引かれ舟まで走った時はカトレアも高揚感や胸の高鳴りを覚えたし、二人で舟に乗っているこの状況も始めて出会ったあの日の事を思い出し、そう言った話に花を咲かせようとも考えていたのだが、ベルズの様子に気付いてからはそれどころではいられなかった。
「……いや、何だ。その、船酔い、みたいなもんだ。ちょっと吐きそうなだけでな。すぐどうにかなるから、気にするな」
返答に大分間を開けてベルズはそう答えた。顔のほとんどが長い髪で隠れていてやはり表情はわからないものの、声はどこか苦しさを感じさせるものだった。
気にするなとは言われたが、カトレアにはできなかった。自分が恋した相手が目の前で明らかに苦しんでいるのだ。何も考えずにいる方が難しい状況であろう。
しかし、カトレアにできる事と言えば暗い海を炎で照らす事ぐらいしかない。ベルズの為に何もできず、ただ見ているしかできない自分を不甲斐なく思い、カトレアの顔は悲しみに染まっていく。今にも泣き出してしまいそうだ。
それを察してかベルズは下を向いていた顔を上げると、ああきっと無理をしているのだろうなという笑顔を作り、口を開く。
「カトレア。お前って、俺と結婚したいか?」
「ど、どうしたんですか、急に」
「あー、確かにちょっと唐突すぎたか。……まあ、そんな細かい事は気にするな。ちょっと気が変わったって言うか、元々お前のやりたい事に付き合ってみようかなって思ってて……ともかく、どうだよ。したいか?」
「えっ、えっと、それはもちろんそうですよ。ベルズさんと結婚したいです」
「……そっか。じゃあ、家に戻るまでには式の日取りを決めておかないとだな」
いきなりの話題にカトレアは驚いたが、カトレアの返事を聞くとベルズは安らかに目を閉じ、頷いていた。
いつものカトレアなら、こんな話をベルズの方から振ってくれば舟の上でもお構い無しに飛び跳ねて暴れて喜んだりもしただろうが、今のカトレアはそんな事ができる心境ではない。むしろ正反対だ。
そもそもいきなりすぎるし、ベルズの口から結婚の話をされるのがカトレアには不自然でならなかった。よほどの事がない限り自分からは決してそういった話をしないタイプだとカトレアは思っていた。
そんなベルズが突然言い出したという事は、よほどの事があったのだ。それがどういう事なのかカトレアが思い至るのにそう時間はかからない。ベルズの両手にカトレアは自分の手を重ね、ベルズを見つめる。
「……ベルズさん」
「ど、どうしたよ」
「急にっ、こんな、こんな話をする、なんて。それって、それって、ベルズさんは……!」
いつ零れ落ちてもおかしくない量の涙が瞳を覆い、カトレアの視界を歪ませる。言葉が詰まり、うまく先の言葉を紡げない。
それ以上、カトレアは続きを口にすることができず、顔を伏せてしまった。言えば本当に考えている通りになってしまう気がしたし、言わなければそうはならない気がしたのだ。
ベルズはカトレアの様子を見て何かを言おうとして口を開いたが、言葉が見つからずに何も言う事ができなかった。
カトレアがなんと言いたかったのかは分かったが、それにも答える事はせず、ただ優しくカトレアの頭を撫でるだけだった。
やはり、今の自分ではベルズの為に何もする事ができない。カトレアは自分の不甲斐なさを再確認し、ただ静かに涙を流すことしかできなかった。
船着き場に着いた。気が付けばもう既に朝日が上り始める時間だ。
ベルズもカトレアもあれ以降言葉を発する事は無く、長く苦しい沈黙が舟の上を支配していたが、だからと言ってそれだけで時間が止まる訳ではない。
カトレアの目は真っ赤になっており、今もまだ頬に涙が残っていた。それを袖で拭い去り、先に舟から上がってベルズへと手を差し伸べる。
ベルズはそれに申し訳なさそうな顔をしつつも、手を取って舟より上がる。その拍子にベルズはバランスを崩し、前のめりになって倒れそうになる。
「おっと」
「あっ!」
咄嗟にカトレアがそれを阻止する。ベルズを引っ張り自分の方へと寄せるようにすると、抱き止めるような形となった。
ベルズはそれに少しだけ驚き、戸惑ったが、すぐに力なく笑う。
「……はは。なんつーか、これじゃ性別が逆だよな。悪いな、迷惑ばっかかけて」
「……迷惑なんてかかってませんし、性別も関係ありません。ベルズさんが危なくなったから私が助けただけです。謝ったりも必要ないです」
「そっか。ありがとな」
ベルズはカトレアに肩を貸して貰い、歩いて行く。別にそこまでされずとも自力で歩く事はできたのだが、カトレアの好意を無下にしないようにと甘える事にした。
歩いている途中も長い沈黙が続いていたが、とうとうそれに耐えられなくなったのかベルズが口を開いた。
「……その、だな。舟でした話なんだけどな。何も俺がもうすぐ……アレだからとか、そういうんじゃなくて、元々考えてた事でさ。結婚とかだけじゃなくて、お前の望みとかなら何でも聞くつもりだったんだよ。……だから、他にやりたい事とか頼みとかあるなら、そういうのも聞こうと思ってたんだけどさ、何かあるか?」
「じゃあ、長生きしてください。それで、ずっと、いつまでも、私と一緒にいてください」
ベルズの言葉を聞き、カトレアは即座にそう答えた。
「ははは、そう来るような気はしてた。……考えては、おくよ」
約束はできなかった。ベルズは自分ができるかどうかわからない事は約束したくないし、それを破って相手を落胆させるのも嫌いだからだ。
何でもする、と言った直後にこれでは駄目だな、とベルズは思ったが、カトレアはそれに対して何も言わず、頷いた。
カトレアは目を滲ませ、何かを言いたそうにしていたが、口を固く結び、ベルズから視線を逸らした。
そうして短い会話が終わると、再び沈黙が戻ってきた。
ベルズの家の近くまで着き、入り口の所を見ると誰かが立っているのが見えた。赤い長髪を後ろで縛り、白衣を纏った褐色の女性のようだ。
向こうもこちらの存在に気付いたのか、ゆっくりと歩いて来る。
特に敵意は感じられないし武器を持っているようにも見えないが、もしかしたらカトレアを捜しに来た人間かもしれない。今のベルズではろくに戦うこともできないだろうし、最悪の場合自分が戦う事になるかも知れないとカトレアは身構える。
炎を操る魔術をカトレアは扱えるが、人に大きな傷を与えられるような威力の物は使えない。せいぜいが明かりとして役立つ程度で、到底戦闘に利用できる物でもない。
それでも、今のベルズを守るためならどんな相手だろうと挑むつもりでいる。今回は杞憂で終わったが。
「やあ、君たち。こんな辺鄙な所に何の用かな」
外見よりも大分低めの声で白衣の女はそう言った。やはりこちらへ襲い掛かろうという風には見えなかったが、それでもカトレアは警戒を緩めない。
「……あなたの方こそ何の用なんですか。ここは私たちの家なんですけれど」
カトレアの言葉を聞き、女は目を丸くした。そしてやれやれといった風に笑いながら首を振る。
「はっはっは。君こそ何を言うのかね。ここは私の家なのだよ」
「嘘です」
「そうとも、嘘だよ。……まあ、全部ではないけれど。私はディオネアという名でね、この研究所の研究員なのだよ」
と言っても研究員は私しかいないのだがね、と肩をすくめてからディオネアはベルズとカトレアへ視線を戻す。
「それも、嘘ですよね」
「いいや、これは本当だよ。実験材料を求めてしばらく世界各地を回っていたのだが、途中立ち寄った町で女の子がいなくなったらしくて、その親が報酬を出すから捜し出してくれ、という張り紙を見つけてね。研究費の足しにでもなればとついでにしばらく探してみたのだが、やはりそう上手くはいかないらしくてね。昨日諦めて帰ってきたのさ」
ディオネアの話を聞いてカトレアは凍りついた。内容はおぼろげではあるが、恐らく探していたのは自分の事だろうとカトレアは察したのだ。
諦めた、とディオネアは言っているが、目の前で虫の息の男がベルズだと知れば何をしてくるかわからない。
帰ってくるタイミングも悪かった。昨日帰ってきたという事はカトレアの両親が既に死に、報酬を払うべき者が存在していない事も知らないだろうから。
油断している今の内に殺してしまおうか、ともカトレアは考えたが、その為の手段を持っていなかった。最悪もしバレてしまった場合、刺し違えてでも目ぐらいは潰してやると考えながら、カトレアはひとまず隠し通す事にした。
「ただ、帰ってきたらそこらじゅうに死体が転がっていて、もしかしたら中に怖いおばけでもいるんじゃあないかと思って入ろうかどうか躊躇していた所だよ」
「そ、そうなんですか。……ところで、ディオネアさんは何の研究をしていらっしゃるんでしょうか?」
「聞きたいかね。素敵なお嫁さんになるための研究さ」
不敵に笑い、ごく真面目な顔でディオネアはそう答えた。カトレアは露骨に顔を顰めて呆れた。
「それは絶対嘘ですね」
「ああ。興味が無い訳ではないけれど、私が研究しているのはもっと誰もが求めて止まない事だよ。……見たところ、そちらの彼も今欲しがっているものだと思うよ」
そう言ってディオネアはベルズを見る。カトレアもその後に続きベルズへ顔を向ける。
今のベルズが欲しているであろうもの。というと、それは。
「……時間、ですか?」
「うん、近いといえば近いかな。正解は、永遠の命、俗に不老不死と言われてるヤツさ」
それを聞き、カトレアは息を飲んだ。ベルズもそれに合わせるようにぴくりと頭を動かす。カトレアの体は勝手に動き、ディオネアの方へと詰め寄る。
「そ、その研究って、もう完成していたりしますか!?」
「ちょっと、近くないかな。まあいいがね。……動物実験は一応成功って所だよ。ちょうど、人間の被検体を探している所でもあるんだけど」
それを聞いて、カトレアはベルズを抱き締め、歓喜の声を上げながら瞳を潤ませた。
「やったぁっ!!! やりましたよ、ベルズさん!! これでベルズさんが死んじゃわなくて済みますよ!!!」
「いや、気が早すぎるだろ。人に使って成功するかどうかすらまだわからねえじゃねぇか」
嬉々として喜び舞うカトレアとは対照的にベルズは落ち着いていた。
「実験とやらがどのくらいまで進んでるのか、詳しく知りたいんだが」
ベルズがディオネアにそう言うと、ああいいとも、とディオネアは快く頷いた。
「うん、不死の牛を生み出す事は成功したのだがね。ただその為の薬品を投与しただけでは無限に再生をし続ける肉の塊にしかならなくてね。魔獣でも試してみたら、こちらは多少凶暴性を増したものの元の形を保ったままで無事成功。その後の実験の結果、体内に強力な魔物の体組織の一部を埋め込む事で普通の動物でも本来の姿を保ったまま不死となる事ができると分かった、という所さ」
「……ずいぶん、ペラペラ喋ってくれるんだな」
「ん? そりゃあ君たちが実験に付き合ってくれるのだからそのくらいのサービスはしておこうかと思っての事だったのだが、まさか付き合ってくれないのかい?」
暗に実験に協力しなければただでは済まさない、と言っているのだろう。ベルズとカトレアはそう捉えた。
人一人くらいなら今のベルズでも殺せる。しかし、なにもディオネアはベルズを毒薬の実験台にしようと言っているわけではない。不老不死の薬だ。
ディオネアの話を聞く限り、成功するのかどうかに関しては不安が残りはするが、その不安を加味しても永遠の命という言葉の魅力は衰える事はない。
それに今のベルズは限界まで空気を吹き込んだ風船のようなものだ。いつ破裂してもおかしくない状態になっている。
神を取り込むというのはやはりベルズの許容量を大きく超えていたらしく、今もなお生きていられるのが不思議なくらいですらあった。
今はまだどうにか気合で耐えてはいるベルズだが、それも長くは持たない。あと数日とかからない内に限界を超え、ベルズは死ぬことになる。
だが、ベルズはカトレアと色々な約束をしてしまった。それを破るわけにはいかない。こんなところで死ぬわけにはいかないのである。
「……いや、協力はする。俺ももう悠長に悩んでられるほど、余裕も無いしな」
ベルズは頷き、カトレアから離れてディオネアの方へと進んでいく。が、すぐにカトレアに腕を掴まれて止められた。
「カトレア?」
「もう。ベルズさん一人で行く必要はありませんよ。私もその実験、受けてみますから」
だから、怖がらなくていいと聞こえてきそうな、精一杯格好良く見せようとするような笑顔をカトレアはベルズに見せる。
だが、ベルズはカトレアの手を振り払った。
「成功するかどうかもわからんものにお前を参加させる訳にはいかないだろ。気持ちだけで十分だから、カトレアは成功するよう祈っているだけでいいから」
「で、でも、私もベルズさんと」
「いいな」
「……はい」
カトレアはまだ何か言いたい事があった様子だったが、ベルズが強い口調で確認をすると小さな声で首を縦に振った。
悲しげな表情のカトレアを見ているとベルズの胸の内が痛んだが、失敗する可能性だって低くはないのだ。それを考えれば先に自分が実験台になった方がカトレアはいくらか安全に実験を受けられるはずだから、とそこまで考えたが、ベルズは突如違和感を覚える。
「私は別にそっちの彼女も一緒でも構わないんだがね。いいのかな、君だけで」
「……え? あ、ああ大丈夫だ。……カトレアはやるとしてももっと安全性が確保できてからだ。それまで待ってろよ?」
「……はい」
ベルズの言葉に、やはりカトレアは悲しそうに返事をした。それを見てベルズは多少強引に笑顔を作り、カトレアの頭を撫でた。しかしそれでもカトレアの表情は曇ったままであった。




