第2話 彼女の初恋②
「私、あなたの事、好きになっちゃったみたいなんですっ! 」
空高く上った月の光が差し込む部屋の中に、透き通った声が響き渡る。
両サイドで竜巻のような形に纏められた紫色の髪と、髪色と同じ紫色の瞳が特徴的な、まだ十五、六歳程度であろう幼さの残る顔立ち。
可愛らしさと、どこか気品を感じさせる衣服。下品さを感じさせないロングのスカート。
頭の天辺から足の先まで高貴なオーラが漂っているのではと錯覚するような、十人に聞けば十人が貴族の娘と答えるであろう風貌の少女。
そんな少女が事もあろうか目の前で殺戮を繰り広げて見せた者へ愛の告白とは。その張本人である彼にはとても正気とは思えなかった。
この少女以外にも、彼は襲われている奴を助けてやった事はあるのだが、誰も彼もが礼すら言わずに逃げ出していってしまった。別に礼を言われたいがためにこういう事を殺っているわけではないから彼はそんなに気にしてはいないのだが。
とは言え礼を言われるのは悪い気分がする訳でない。だから、もしかしたら助けてくれた事に対してお礼でも言ってくれるのかと期待していたのだが、想像の斜め上を行く言葉を聞くことになろうとは思いもしなかった。
少女の頬はうっすらと赤く染まり、瞳は少し潤んでいる。今にも泣き出してしまいそうな程。
「お、お願い、です。どうか私も、連れて行ってください」
「そ、そう言われてもなぁ……」
一目惚れ、と言うやつだろうか。それとも危険な状況を共に乗り越えた男女が恋に落ちやすいというアレであろうかと彼は悩む。
なんにしても、まともな思考回路で至る結論ではない。恐らく目の前で自分の理解を超える事が起こって混乱しているのだろう。
そう彼は結論づける。少女の勇気を振り絞った告白は、申し訳ないが断るほか無い。
この告白に首を縦に振るのは、何も知らない相手を騙しているようなものだ。そういう事は彼は好きではない。
「そんなもん気のせいだって。少し考えたら分かるだろ? 俺の事なんか本当は好きじゃないって。絶対後で後悔する事になるから、やめときな?」
彼の言葉を聞く少女の顔が哀しげに歪んでいき、目じりに涙が溜まり出し、少女の両の拳がギュッと握られ、ゆっくりと口を開く。
「気のせいじゃ、無い、です……グスッ、この気持ちは、絶対、本物っ、でっ……!」
とうとう少女の顔がグシャグシャに歪み、涙がポロポロとこぼれ落ちてしまう。
咄嗟に彼はそれを手の指で優しく拭ってしまい、少女の顔に血を塗りたくってしまう形になった。
「な、泣くなって! これじゃ俺が悪いみたいだろうが! 」
まあ、告白を振ってしまったのが彼である以上、こちらに非が無いとは言い切れないかもしれないが。
いやいや、こちらはただ相手の勘違いを正そうとしているだけなのだから。非など無い……はずだ。彼はみずからの考えを振り払う。
だとしても、女性を泣かせてしまうのはやはり気分が悪かった。これではまるでいじめているかのようだ。
「そ、そもそもさ、俺もお前も今までどんな生活を送ってきたのかすら知らないんだぞ? そんなさ、相手の素性も名前も知らないような奴と付き合うとか、ありえないだろ?」
だから考え直してくれ、と言うか泣き止んでくれ。そういうつもりで言ったのだが、言い終わってみてから余計な事を言った、と失敗に気付く。
「……、です」
「……ん?」
一応、気持ちは伝わったのだろうか。少女は泣き止み、何かを呟く。
「私の名前……カトレア、です……あなた、は?」
「な、何だ急に……」
「確かにあなたの事、私は何も知りません。ですが……知ってしまえば、知らない事ではなくなるでしょう? 」
改めて彼は思う。余計な事を言ってしまった。失敗した、言わなきゃ良かったと。
カトレアと名乗った少女の表情は、まだ瞳は多少潤んでいるものの、泣いている時よりかは晴れやかなものになっている。
さあ、あなたの名前も教えてくれと言わんばかりにこちらへと手を差し出してきた。
「い、いや、俺は……」
名乗られた以上はやはり、こちらも名乗り返すしかない。だが正直、名乗りたくなどない。
と言うより、名前を教えてしまったらそのままなしくずし的にこの少女を連れて行かねばならなくなる気がしている。
それに、いくらカトレア本人が同意していようと、その両親家族からしてみれば突然娘がいなくなるのだ。誘拐ないし脅されて無理矢理連れて行かれているとしか見えない事は確実。
加えて、カトレアは彼の事が好きだと言ってはいるが、それはどう考えてもこの場限りの勘違いなのだ。
後々になって正気に戻り、こんな奴の事は好きでもなんでもない助けてくれ等と叫ばれた日には目も当てられない。
きっと大量の正義感溢れる勇者やら戦士やらが彼の事を追い掛け回す愉快な日々が続くハメになるのだ。
「もうっ。名乗られたのなら、それを返さないとダメなんですよっ」
そんなこちらの考えを知ってか知らずか、あまり怒った風の口調ではないもののカトレアは口を尖らせている。
逃げてしまいたい、と言うのが率直な考えなのだが、いくらなんでもそれは男として格好が悪すぎる。
殺す気マンマンの軍勢に追いかけられる事を怖がるより、名乗られたのにそれを返さず逃げる、と言う方が男としては駄目な事だと思う。
不本意ではあるものの、仕方が無い。やはりここは名乗る以外ないだろう。そんな場の空気に彼は載せられてしまった。
「し、知ってるってそのくらい……ベルズだ」
名乗ると同時にカトレアの表情が明るくなり、嬉しそうに手を合わせた。
「ふふっ、これでお互いの名前は分かりましたよね。これで私を連れて行って頂けますか?」
やはりそういう流れになるか、と頭を掻いてしまう。ううむと唸り、どうやって断るべきなのかベルズは考える。
「いや、名前を教えたら連れて行くって言ったわけじゃ……」
「でしたら、他の事もお教えいたします。好きな食べ物、将来の夢、身長体重年齢その他なんでも」
ですからどうか、と自分の手が血で汚れることも厭わずに血まみれのベルズの手を握ってくる。
「いやぁ、教えられてもなぁ……」
「言葉で駄目なら行動で本気だと示して見せます。何でも仰って下さい。どんな命令でも完璧にこなしてご覧にいれます」
手を握る力が強くなり、真っ直ぐな目でカトレアがこちらを見つめてくる。
本気だ、嘘偽りは無い、という思いは伝わってくる、しかしその大前提の恋心自体が偽者なのだが。
「まあ、気持ちは伝わってきたんだけどさ」
握られた手を解いて、床を見るように指で辺りを示す。
「こういう風に、なるかもしれないけど。……それでも、本気で、俺と一緒に来たいのか?」
出来る限り威圧感のある声でカトレアに告げてやる。格の低いチンピラ程度だったら尻尾を巻いて逃げ出すだろう声が出せたとベルズは自負しているのだが。
そもそもベルズにとって人助けはついでなのだ。メインはあくまでも殺すほうである。先程は助けた奴を殺したりしないとも言ったが、基本的には、だ。折角助けてやったのに横暴な態度を取るような奴は容赦なくバッサリいく事もある。
別にこの少女の態度は悪い、と言うほどでもない。だが、そういう可能性もある、と言う事を理解しているのだろうか。
「ええ、もちろんです。好きな人に殺して貰えると言うのならそれも悪くはない話でしょう?」
にこりと、笑いながらカトレアにそう返された。
聞くまでも無くこう答えるに決まっています、当然でしょう?とでも言いたいかのような口調の返答に、思わず苦虫を噛み潰したような表情を作ってしまう。
恋は盲目、などと言うがまさにこういう状態の者へ使うための言葉なのだろうとベルズは心の中で呟いた。とは言え、いくらなんでも見えていなさすぎる。
「……本気、だな」
「ええ、勿論」
やはり当然と言いたげに、真剣な表情で頷くカトレア。ちょっとやそっとの事ではもう彼女の決意は変わらないと見ていいだろう。
「そこまで本気だってなら仕方がない。試してやろう」
ベルズは軽く辺りを見回し、血と肉の中に埋もれていた、元は強盗の所持品だったであろうナイフを拾い上げ、カトレアへと渡してやる。
「さっき言ったよな、どんな事でもやってみせるって。……右腕か左腕か、ソイツで好きな方を貫け。それができたら一緒に来てもいいぞ」
いくら周りが見えなくなっていようとも、流石に自分で自分の体を傷つけるような事をやれと言われて、何の躊躇も無くやれる訳はないだろう。
少しでも躊躇う様子を見せれば即刻諦めさせる。所詮その程度の気持ちだったのだ、と。ようは遠回しに自分の事を諦めてくれとベルズはカトレアに言っているのだ。
……言っているつもりだったのだが。
「わかりました」
カトレアはベルズの言葉を聞き終えるとほぼ同時にそう言い、ナイフの柄を左手で握って振り上げ、袖を捲くって真っ直ぐ突き出した右腕へと振り下ろした。
「……ぃッ!!」
ナイフは腕を貫くまでには至らなかったものの、決してその傷は浅くない。言葉にはしないが当然激痛が走っているのであろう、右腕はガクガクと震え、涙がこぼれ、脂汗をダラダラと流している。
一拍遅れて、傷口から真っ赤な色の血が衣服を染め上げながら、だらだらと溢れ滴り落ちる。
「うぅ、っぐ、も、もう一度……!」
叫びたくなるだろうほどの痛みを押さえ込みながらカトレアは、グリグリと無理矢理に突き刺さったナイフを引き抜き、再び同じように振り上げた。
「ス、ストップ!ストーーーップ!!」
もう一度振り下ろされた刃がカトレアの右腕を貫く直前、ベルズは左腕を掴みナイフを奪い取り、そのまま窓から外へと放り投げる。
「で、でも、まだ、つっ、貫いては、いな……」
「いい!いいからもう!お前が本気なのはちゃんとわかったから!!」
もしかしたら本当にやるかもしれないと薄々思ってはいたが、まさか躊躇ゼロでやってのけるとは。あまりの手際の良さにベルズは思わず呆然としてしまっていた。
なんでもやる、とは言っていたが、なんでもやりすぎだろう。脅しのつもりで言った事だというのに本当にやられてしまうと、困る。
「そ、それ、じゃぁ……」
「わかったよもう。俺の負けだ負け。一緒に来い」
ここまでされてはもう文字通りお手上げ、ついでに肩を竦めるしかない。
これ以上こちらが何と言おうと、馬の耳に念仏を唱えるようなもの。何を言って聞かせた所で無意味だろう。
それに色々やらせた挙句にやっぱり着いて来ちゃ駄目はいさようなら、などとやって、自殺でもされたら寝覚めが悪くてかなわない。
一月程度も経てば自分の勘違いにも気がつけるだろう。
そう考え、まるで気乗りはしないもののベルズはこのカトレアと言う少女を連れて帰る事にしてしまった。