第19話 それは、おまじない
すぐには目の前で起きた光景を理解できず、アッテスは呆けた顔でそれを見ていた。それから三度、まばたきをして、ようやく理解が及ぶ。
「…………? ……あっ。あ。あぁ。ぁぁあっあっあああああっあああああああぁぁぁっ!!!?」
くの字に折れ曲がった杖をベルズが地面に落とすとアッテスはそれに縋り付きただひたすら叫ぶ。
絶望と驚愕と困惑とが入り混じったその咆哮を聞き、ベルズは心底希望と喜びに満ちた表情を作る。
「いやぁ、やっぱ少し希望をチラつかせてからそれを踏みにじるのって、最高に楽しいよな」
「うーん、でもちょっと勿体無かったような気もします」
「まあちょっとはな。でも、いいだろ。何でも願いが叶えられるなんて人間が持つにはちょっと荷が重過ぎると俺は思うんだよな」
アッテスに聞こえるよう、ベルズは嘲笑混じりにカトレアへ言葉を返す。半分本音で、半分挑発だ。
「きっききさっ貴様ぁあああああっ!! なんてことをぉッ!!!」
するとベルズの期待通りにアッテスは狂乱する。血走った目からは血涙を流し、噛み締めた唇からも多量の血が流れ落ちている。
「くくくくっ。そんなに怒るなって。心配しなくたって大丈夫だろ。そいつを神サマがくれたってなら、壊れたらまた神サマが直してくれるんじゃねぇのか?」
ベルズは笑いを堪えながら、その場に座り込んだままの姿勢でこちらを睨み付けてくるアッテスにそう返す。
実際に神とやらが杖を直しに来てくれるかどうかはベルズが知ったことではないが、きっと直す方法くらいはあるのだろう。やはりベルズの知ったことではないが。
あまりにもアッテスの反応が愉快だったので後先考える事無く杖を折ったベルズはひとしきり笑い満足し、地面に頭を擦りつけながら何事かを呟き始めたアッテスを無視し、カトレアの手を引いてその場を後にしようとる。
『待て』
アッテスの横を通り過ぎようとした時、後ろから声が聞こえた。
背後から聞こえたその声はアッテスのものではなく、その場全体に反響するような感覚を覚えるものであった。
カトレアを自らの背に隠しベルズが振り返ると、アッテスの傍らに落ちている折れた杖から黒いオーラが湧き出ている。
そのオーラは天へと向かって伸びており、ベルズがその先へと視線を向けると、空中に髭を蓄えた紫の肌の巨大な老人のような男が立っており、こちらを見下ろしていた。
『ワタシは全能の神オルノス・イビス。よくも我ら神々の祝福を受けた杖を破壊してくれたものだ』
「へぇ、全能の神、ねえ」
ベルズは腕を組んでオルノス・イビスと名乗る者を見上げる。若干声が震えそうになったが、なんとか抑えた。
流石にベルズであっても相手が神となると分が悪い。神は自らの司る分野においては比類なき力を発揮する。まともな方法では傷をつける事すら容易ではないだろう。
その上、相手は全能の神との事。その神を怒らせたとなればこの後どうなるかなど想像に難くない。しかしそれでもベルズは平静を崩しはしない。
「どっちかって言うと、俺には封印されてた邪神、って感じに見えるんだけどなぁ」
「ベ、ベルズさん! まずいですよそんなこと言ったら!!」
「いや、もう向こうも怒ってるみたいだし今更何言っても同じようなもんだろ」
カトレアも危険を感じ始めたのかベルズの言葉を止めようとするもベルズはそれを軽く流す。
まあ、神といえばもっと光り輝いているようなイメージのあるものであるし、肌が紫ではそういった疑問も出るだろう。ベルズの言葉ももっともらしくはある。
『それほど間違いでもない。ワタシは全能の神オルノスの心の中の邪悪なる部分。杖に祝福を授けると同時に杖の中に封じ込められたのだ』
オルノス・イビスはベルズにさして怒るような素振りも見せずに答えた。
それを聞き、ベルズの言葉にオルノス・イビスが憤怒していない事にカトレアはホッとした。ベルズも格好悪いと思って表には出さなかったがホッとした。
「そうかい。それで? 解き放ってくれた俺に何か御礼でもしてくれるってのか? 俺の願いも何でも叶えてくれるとか」
『否。ワタシが叶えられる願いは一人に一つだけであるし、願い相応の呪いを受ける事になる』
オルノス・イビスの言葉を聞き、ベルズは眉を顰める。相応の呪い? そんな話、アッテスはしていなかったはずだ、と。
すぐにベルズはカトレアの様子を見る。カトレアは既に自分の体に異常がないかどうか確認しており、ベルズの視線に気付くと首を横に振った。
となると、何か別の形で呪いとやらが発生しているのかとベルズが考え始めた時、オルノス・イビスは言葉を続けた。
『そして、ワタシが杖に封じられたのはワタシの意思でもあった。ワタシの邪魔をしたお前には、死をもって償って貰う』
そう言ってベルズへゆっくりと迫るオルノス・イビスの言葉を聞き、突如アッテスは顔を上げて歓喜のポーズを取り始めた。
「おお神様! きっと来てくれると信じていました! どうか僕の杖を壊したこの糞野郎に自分のした事の罪の重さを教えてやって下さい!!」
アッテスの言葉に、ベルズは鼻で笑った。さっきまで壊れてたくせによく言えたもんだ。
ともかく、神の放つ攻撃など、そのどれもが人の世に生きる者にとって必殺の一撃と考えていいだろう。蝶の舞踏を使えば物理的な攻撃なら回避する事は出来るかもしれないが、避けては後ろのカトレアに当たる可能性もある。どこか離れた場所に隠れさせるべきだったかとベルズは後悔した。
そして、蝶の舞踏も打撃攻撃等ならまだしも神の放つ魔法の前では暴風の只中に置かれた蝋燭程度にしか希望を持てない。放たれればベルズだけでなく周囲一帯の何もかもがこの世界から姿を消す事だろう。
守りだけでなく攻撃も脆弱だ。ただの拳では神に触れることもできないし、どれほど強靭な鋼で鍛え上げた武器であっても神の前では棒切れ同然。傷をつける事すら叶わない。
逃げようか、ともベルズは考えた。しかし神相手では例え光を超えた速度で逃げ回ろうと振り切る事はできないだろう。神とは、それほど圧倒的な存在なのだ。
「クフフフフ杖を壊された事は許しがたいがしかしその張本人が死ぬ所を見られるとあればまあそれで勘弁してやろうじゃないか。さあ神よ! そこの屑なんぞ握り潰して団子にしてやって下さい!」
アッテスの期待に答えると言わんばかりにオルノス・イビスは頷き、アッテスの言葉に気を取られたベルズが気付けば、ベルズのすぐ目の前までやって来ていた。
見上げねば顔を見ることすらできないような巨体を睨み付け、ベルズはオルノス・イビスと視線をぶつけ合う。
『覚悟は出来たか』
「……したくねぇんだけどな、ホントは。絶対無理だし。まあこうなっちまったらやるしか無いだろ」
ベルズは覚悟を決めた。本当ならこんな事をするつもりはなかったのだが、もはや他に道は無かったのだ。
オルノス・イビスの巨大な手がベルズめがけて伸びてくる。ベルズは、それを何の抵抗もせずに眺めていた。
それを諦めと取ったのか、カトレアがベルズの腕にしがみつき、後ろへと引っ張り出す。
「カトレア!? 離れてろッ!」
「い、嫌です。ベルズさんと一緒にいられないなんて、私……!」
ボロボロと涙を流し、顔をぐしゃぐしゃにして、カトレアは決してベルズの腕を放そうとしない。
本来ベルズとカトレアの腕力は比較にならないほど差が開いており、ベルズは簡単に引き剥がす事ができるのだが、火事場の馬鹿力という奴なのかこの時のカトレアを腕から振り解くのには少し時間がかかった。
「ああっ、ベルズさんッ!!!」
すぐそこにまでオルノス・イビスの手は迫っていたが、間一髪。ギリギリの所でベルズはカトレアを腕から剥がし、突き飛ばすことができた。
「心配するな! 俺とお前はずっと一緒だ、カトレアッ!」
何の根拠も無くベルズはそう言い放った。カトレアを安心させようと咄嗟に出てきた言葉だったのだが、ちょっとクサかっただろうか、とベルズが考え始めた直後、ベルズの全身を粉砕せんとばかりに凄まじい力が襲い掛かる。
しかし、それにはベルズは慌てる事はない。人の形を取っている外側はその力には耐えられないが、中身であり本体である銀の液体はどれだけの圧力が加わろうと潰れることは無い。そして、それがベルズの唯一の攻勢に出るためのチャンスでもある。
めきめきと音を立て、ベルズの外側にひびが入っていく。そして陶器の割れるような音を響かせ、割れた外側からベルズの中身が溢れ出す。
その光景を見てアッテスは喜びの叫びを上げ、カトレアは悲痛な声を上げて嗚咽を漏らしているのがベルズには聞こえた。
カトレアは自分の事を知っているはずだったのだが、とベルズが考えているとオルノス・イビスの愉快そうな笑い声が響く。
『ハ、ハ、ハ。他愛も無い。神の怒りを買えばこうなるという事よ。次の生では、このような事をしないよう胸に刻む事だ』
「……そうだな、俺もそう思うよ。まあ神とやらに次の生があるのかは知らんが」
握った手の中から声が聞こえ、オルノス・イビスは驚愕した。手の中がどうなっているのか開こうとするも、手が動かない。それだけではない。紫だった肌の色が、銀へと変わっているのだ。
『ぬぅ、き、貴様、一体何をした! 手が、体が、動かぬ! お前、ただの人間ではなかったのか!?』
「あれ、言ってなかったか。俺は魔族。銀色の捕食者の、ベルズだ」
ベルズの自己紹介の間にも、銀色の侵食は止まる事を知らず進んでいく。果たして神をも喰らうことができるのかまでは完全に賭けであったが、どうやら一つ目の賭けには勝ったようだ。
『おのれ、神を喰らおうなどと! なんと恐れを知らぬ事か……!』
そこから先の言葉は紡がれる事は無かった。オルノス・イビスの全身は銀に染まり、その全ては液状に変わって一点にと集中し、やがて一つの人の姿を作り出す。
「ベルズさん!」
オルノス・イビスの手だった部分に集まった液体がベルズの形へと変わり、地面に着地した事を見届けるとカトレアがすぐさまそれに駆け寄り、抱き締める。
「ああ、ベルズさんベルズさんベルズさん」
「い、いや、だから、言っただろ。心配するな、って」
ベルズの胸に顔をうずめて名前を繰り返し続けるカトレアに、ずっと一緒だ、と言った事をベルズは言おうとしたが、恥ずかく思ったので別の部分にした。
カトレアはどうやら本気でベルズが死んでしまうと思っていたらしい。先程の嗚咽は演技だったのではと思っていたベルズだが、このカトレアの反応を見るに本当にベルズの能力を忘れていたのかも知れない。
今もなおひたすらベルズの名を呼びながら涙を流しているカトレアの背をベルズがぽんぽんと軽く叩いてやるのと同じく、アッテスの叫びが響く。
「ふっっっっっっざけるなァッ!!! 僕が神から授かった杖を折り! そこに宿った神すら殺し! 貴様のせいで僕はもう誰かの願いを叶えてやる事もできなくなったじゃあないかッ!」
「そう怒るなよ。願いが叶ってもそれ相応の呪いがあるって言ってたし、無い方がいいだろうあんな杖」
「黙れ! 呪いがある事くらい僕だって知っていた!」
という事は、知っていてわざと黙っていたのか。なんて酷い男だろうか。ベルズはオルノス・イビスのついでにアッテスも殺す事にした。
カトレアから一旦離れ、ゆっくりとアッテスへ近付いていく。アッテスはそばに落ちていた折れた杖を拾い、ベルズへと向ける。
「糞が! お前達の願いなど叶ってたまるか! 呪われろ、呪われてしまえ! 永遠の呪いに苦しみながら、いつまでもいつまでも呪われ続けろッ!!!」
杖をどれだけ振っても、もう黒いオーラが出ることはない。オルノス・イビスがいなくなり、杖の力も失われたのだろう。
それでも構わずアッテスはベルズへと向かって杖を振り続ける。殺意の篭った目でベルズを睨みながら、いつまでも杖を振る。
「呪われろ呪われろ呪われろッ! お前達に永遠の呪いを」
アッテスの言葉はそこで止まった。ベルズの取り出した剣がアッテスの喉を貫いていた。
それ以上は何も聞こえなかったが、それでもアッテスの目から殺意は消えず、口は動き続けていた。のろわれろ、と。
やがてその口も動かなくなり、それから少しして後を追うように目からも光を失った。それを確認してから、ベルズは乱暴に剣を引き抜く。
叩き付けられるようにアッテスの体が地面に倒れ、一時騒々しかった夜の町に再び静寂が戻ってくる。
しかし静かにはなったものの、立ち止まってはいられない。ベルズが周りを見渡せば、騒ぎを耳にしたらしき周囲の家に明かりが灯り始めていた。
「……これじゃあ、デートの続きはちょっと無理そうだし、仕方ないな。帰るか」
呆れたように笑いながらベルズはカトレアにそう言うと、カトレアは静かに頷く。
ベルズはカトレアの手を取り、夜の町を走り抜けていった。




