第18話 願いを叶える魔術師アッテス
「あぁ、夜の町って、こんなに幻想的な雰囲気なんですね、ベルズさん」
「……そう、だな」
「私のよく知っているはずの場所なのに、夜になっただけでまるで別の世界にいるかのようで、なんだかドキドキしてきませんか?」
「……うん、そうだと思う」
ベルズとカトレアは今、デートのまっ最中だ。どこに行くかはカトレアに完全に任せていたのだが、カトレアもあまりどこに何があるのかまでは詳しくないようで、適当にカトレアの家のすぐ近くにある夜の町をぶらついているだけのものではあるが。
明かりのようなものは空に輝くいくつかの星以外にはなく、それだけでは足元すらおぼつかない状態なのでカトレアの魔術で生み出された炎で周囲を照らしている。
カトレアは幻想的と言ったが、ベルズにはただ周りの建物が明かりで照らし出されただけにしか感じる事はできなかった。考え事をしていて景色に集中する余裕が無いせいだろうか。
上の空な状態でベルズが相槌を打っていると、それに気が付いたのかカトレアの頬が膨らむ。
「むぅ。もう、ベルズさん。さっきからどうしたんですか? 折角のデートなのになんだかつまらなさそうに見えますっ。もしかして何かほかの事考えてらっしゃるんですか?」
「え? ああいや、そんな事はない。さっきからお前の事だけ考えてるんだが……」
ベルズがそう言うと、そ、そうでしたか、と言ってカトレアは俯く。赤い炎が照らすカトレアの頬は炎以上に赤く見えた。
そのまま二名の歩みが止まり、しばしの沈黙が訪れる。カトレアは何かを期待するように、ベルズは何か思い悩むように、ただ立ち尽くし数分の間黙り込んでいた。
最初にその沈黙を破ったのはベルズだ。やや躊躇いがちに、口を開く。
「その、カトレア」
「はっ、はい」
ベルズのやや重めの口調にカトレアは緊張した面持ちで続く言葉を待つ。顔を赤らめ少し荒い息を吐きながらベルズを見つめているその姿はまるで、愛の告白を待つ少女のようであった。いや、実際にカトレアはそれを待っている。まあ、その期待は外れる事となるのだが。
「えっとだな、お前の、両親の事なんだけどさ……」
「もうっ、さっきも言ったじゃないですか、気にしていません、って。お父様もお母様もきっと同じです。愛のためなら、笑って許してくださるはずです」
「そ、そうか……。まあ、そうならいいんだが。悪いな、どうしても気になって」
やはり、カトレアの態度は先程と変わらなかった。自分がした事を悔いてはいないし、そういった感情を隠すような素振りもない。
少し時間が経てばカトレアの本心が聞けるかもしれない、と考えてベルズは改めて先刻したのと同じ問いをしたのだが、やはりこれがカトレアの本心という事らしい。
普通の少女がこのような思考となるわけがない。つまり、先程ベルズが考えていたように、カトレアがこうなってしまった原因はベルズにあるという事。
ベルズは人の心を歪めて壊すのは好きだが、カトレアは人ではないし壊したいとも思えない。ベルズは人間は嫌いだが、人以外は好きなのだ。
だから、カトレアが自分の影響で歪んでしまったのだと確信すると、やはりカトレアには何かしてやらなくては、とベルズは改めて思いを固める。
「……カトレア、俺にできる範囲だったら何でもするから、して欲しい事とかあったら――」
自分なりの誠意を示そうとベルズがカトレアに話し掛けた時、ふいにベルズは誰かの気配を感じ取った。
「やあやあこんばんはお嬢さんにお兄さん。こんな夜遅くに一体なにをしているのかな?」
突如響くその声にカトレアは少しビクリと震える。何者かが近くにいる事は分かっていたのでベルズは驚きを見せずに臨戦態勢に入る。
カトレアが声の飛んできた方へと掌の炎を向けると、炎が照らすその先にボロボロの外套を纏った男が怪しげな笑顔を浮かべて立っていた。
「それはこっちの台詞だろ。見るからに怪しいお前の方こそ、夜中に何していやがる」
星の明かりも無い夜に、照明も持たず出歩くなんて真似をするのは大抵狂人か後ろめたい事をやろうとしている連中だ。
ベルズ達の目の前の男も身なりから既にそういった気配を醸し出しているし、浮かべている微笑もその服装のせいでより危険そうな雰囲気を増している。
「怪しいだなんて酷いなあ。僕はアッテス。世界中の人々の願いを叶えるために世界を旅する魔術師だよ」
怪しくないと自己紹介をした男、アッテスはそう語ったが、ベルズはアッテスの言葉を聞き顔を顰め、より怪しんだ。
世界中の人々の願いを叶える。それはまあ結構な話である。人から笑い者にされるには十分すぎる目標だろう。
だが、アッテスは真面目にそう答えた。冗談とかではなく、真剣にそれに取り組んでいると言いたいかのように誇らしげなポーズをとって見せている。
こんな馬鹿げた事を大真面目に口にする人間にまともな人間はいない。アッテスは狂っている。ベルズはすぐにそう思い至った。
「おいおいなんだいその顔は。まあ初めて僕の事を知った人はほとんどそんな顔するんだけど。僕の言ってることは嘘じゃあないんだよね。ほーらその証拠を見せてあげよう」
アッテスは外套の内側に手を入れ、そこから全体が金色に輝く短い棒のようなものを取り出した。
「なんだ、それ」
「フフフ。これは僕が神様から貰った全ての人の願いを叶える杖。これを振るとどんな願いでも叶える事ができる素晴らしい杖なんだよ」
「ど、どんな願いでも、ですか?」
ベルズは呆れ気味にアッテスの握る金の杖を見ていた。ベルズには、アッテスの言葉は狂人の戯言としか受け取る事が出来なかった。
対してカトレアは興味津々の様子である。確かに、どんな願いも叶うと言われると魅力を感じるだろうが、そもそもそんな凄い物を神とやらがこんな頭のおかしそうな人間に渡すものだろうか。
カトレアの反応に気を良くしたのかアッテスは怪しげな微笑に喜びを浮かべ、カトレアの問いに頷く。
「もちろんどんな願いでもさ。興味があるなら君の身を持って効果の程をお見せしようじゃないか。さあ君の願いを教えてくれたまえ!!」
目を見開き、アッテスがカトレアへ向けて杖を構える。それを受けてカトレアは若干はしゃぎながらベルズに相談を始めていた。
「わあ、ベルズさん、なんでも叶うみたいですよ! どうしましょう、そう言われてしまうとまず何からお願いしようか悩んじゃいますね。ベルズさんはどんなお願いがいいと思いますか?」
「うん、まあ、本当に叶うかどうかは知らないが、好きにしていいんじゃないか」
「いいんですかっ? じゃ、じゃあ、えっと……ベルズさんと、結婚、とか」
「え、ケッコン? いや、それは……」
「ああっごめんなさい! そうですよね、そういうのはちゃんとお互いの意思でじゃないとですよねっ! 大丈夫です、わかってますから」
まあ恐らく自分に関係する事なのだろうとベルズは予想していたが、まさかカトレアがそこまで考えていたとは。
いや、これまでのカトレアを思えばそこまで考えていても不思議はなかったのだろうが、真っ先にそれが出てきてベルズは思わず動揺してしまった。
カトレアの望みとあれば例えそれがどんな苦行であろうとやってみせようと思っていたベルズだったが、結婚と言われればそれは流石に二つ返事とはいかない。
結婚といえば、あれだ。一緒になるわけである。今も一緒の家に住んでいるような状態ではあったが、それ以上に一緒になるのだ。みなまでは言わないが。
となると自然と子供の話になるだろう。しかしベルズにはその辺りの自信がない。姿形はカトレアに近いが、それは外見だけだし、内側は不定形なのだ。
そんな事をベルズが考えていてカトレアの言葉にすぐに返事をする事できず、それをカトレアが否定ととったのか別の願いを出してくる。
「それじゃあですね、結婚とまでは言いませんから、ベルズさんとずっと一緒にいたいな、って。これならどうでしょうか」
「……うん、それならまあ、いいかな」
カトレアの言葉にベルズは頷きを返したが、その直後に言い方が違うだけであまり意味が変わっていない事に気付き、今の発言は取り消そうかと口を開こうとした時、アッテスが苛立ち混じりに口を挟んできた。
「君たち悩むのも仕方ないかもしれないけどさあ僕もずっと待たされるのって好きじゃないんだよね。もうそろそろ決まったでしょ?」
願いが本当に叶うものならまだしも、そもそもが狂人の戯言なのだという事を思い出したベルズは、まあどうせ叶わないのならどんな願いだろうと一緒か、と思い直す。
「ああ、待たせたな。ほら、カトレア」
ベルズの言葉にカトレアがはいと頷き返事を返し、アッテスへと向き直る。
「えっとですね、私はこのベルズさんと、ずっと一緒にいたい、っていうのがお願いなんですけど、大丈夫でしょうか?」
「心配ご無用。どんな願いもこの杖は叶えてくれるのだからね。さあさあそれでは君のその願い今叶えて差し上げよう!」
アッテスが杖を振り上げる。すると、それを今まで呆れ気味に見ていたベルズが突如目を見開き、アッテスへと駆け寄っていく。
「君の願いは今叶う。その瞬間をしかと見届けて……おっと?」
杖が振り下ろされる直前、ベルズはアッテスの腕を粉砕せんとばかりに強く握り締めていた。
「痛い痛い痛いよ君。このままだと僕の腕が潰れてしまうよ一体なんのつもりだい?」
「なんのつもりもこっちの台詞だってんだ。こんな禍々しいもん振り上げて願いを叶えるだとかよく言えたな」
それを聞きカトレアもアッテスも杖を見るが、二名の目にはただ黄金に輝く杖にしか映らない。
だが、ベルズには見えている。アッテスの手に握られたその杖からどす黒い色のオーラが噴き出しているのを。
「うーん……私にはその、禍々しさとかはよくわかりませんが、ベルズさんがそう仰るのならそうなのでしょう」
「ちょっとちょっとそんなわけないでしょ。これは正真正銘僕が神様から貰ったんだからね。そんな嘘を付くのはやめてほしいもんだね」
アッテスはベルズの腕を振りほどこうと動かすも、ベルズはびくともしない。
蹴りをかましてくるアッテスを無視し、いつの間にか黒いオーラの消えた杖をベルズは取り上げてまじまじと見る。
「……まあ、神っちゃ神なんだろうな。これ」
どうやらただのおもちゃ等ではなく本物の金でできているようだ。その上、生半可ではない魔力のようなものが詰まっている事をベルズは感じる。
それは、とても人が行使するには過剰すぎる量であった。次元が違う、と言った所であろうか。人が作った物とは到底思えない。
ひょっとすると、これは本当に神の作なのかもしれないし、願いを叶えるというのも真実なのかもしれない。
杖を取り上げてからずっと必死の形相で返せ返せの大合唱をしているアッテスの様子から考えると、なおの事そう思えてきた。
そうなると、ベルズはこの杖に本当にそんな力が宿っているのかどうか、確かめたくなってきた。
自然と口元が歪み、ベルズは無邪気な子供のような笑顔を作る。そして今もなお喚き続けているアッテスを蹴り倒して、杖を突きつける。
「なあ、お前の名前はアッテス、でいいんだよな?」
「ああそうだともそれがどうした早くその杖を僕に返せ!」
「よーし、それじゃあアッテス、死ね!」
ベルズが奪い取った杖をアッテスに向けて振る。すると先程カトレアに向けて振られた時と同じように黒いオーラが噴き出した。
なるほど願いを叶える時にオーラが出てくるのか、とベルズが心の中で納得していると、アッテスがそのまま地面に倒れ込む……ような事はなかった。
いつまでたってもアッテスが死ぬ事はなく、静かな数秒が流れるだけであった。
「チッ。なんだよ、やっぱり願いを叶えるような機能なんか無いんじゃねぇか、期待させやがって」
「馬鹿め!この杖は一人につき一度しか願いを叶えられないのだ!」
というか僕を殺すつもりだったのか、とアッテスが更に喚くがベルズはまるで聞く耳を持たず今度はカトレアに向けて杖を振る。
「カトレア、空を飛べるようになれ」
「えっ、ベルズさん!?」
また杖が黒いオーラを噴くが、特にカトレアの体に変化は見られない。
オーラが出る時に願いが叶うという事は先程のカトレアの願いが叶ってしまったという事なのかの確認のため、体に変化の出そうな願いを叶えようとしてみたが、カトレアの身に何も起こらない事を考えるに既に先の願いは叶えられてしまったという事だろう。それとも本人がそれを願わなければいけないのかもしれないが。
「どうだ、カトレア。飛べそうか?」
「えと、その。……だ、駄目みたいです」
一応ベルズはカトレアが飛べるようになったのか確認するが、手を鳥のようにぱたぱたさせたりぴょんぴょん垂直にジャンプしてみたりしてからカトレアが首を横に振るのを待つだけであった。
「あの、ベルズさんって空を飛べる女の子の方が良いですか?」
「え? いや、どうでもいいけど」
カトレアがよくわからない質問をしてきたので適当に返しつつ、もう一度杖を見る。
本当にアッテスの言う効力があるのかは見て確認する事はできなかったが、オーラを放つたびに同じく湧き出る魔力の量から考えるに、アッテスの言葉は事実なのだろう。
「おい。もうその辺でいいんじゃないか。いい加減僕に返してよさっきの事は忘れてお前の願いも叶えてやるからさあ」
いつの間にかアッテスは目に涙を溜めてベルズに懇願していた。よほどこの杖がアッテスにとって大切なのだろう。
「おお、そんなにお前にとってこの杖は大事なものなのか。……そんなに返して欲しいか?」
「ああその通りだとも。言ったじゃないか僕はその杖の力で世界中の人を願いを叶えに行くんだよ。お願いだから返してくれよ」
より必死さを増した声でアッテスはベルズに縋り付いてくる。それを見て、ベルズは満足げに笑顔を作る。
そう、ベルズはこういう事をする人間が大好きなのだ。こういう、大事なものを守ろうと情けない姿を晒して必死に請う人間が。
「……いやぁ参ったなぁ。俺もよく血も涙も無いとか言われる事あったけど、そんなにみっともないトコ晒してお願いされるとなぁ」
ベルズは両手で杖を持ち、アッテスの前に差し出す。アッテスもそれを見て、グチャグチャにしていた顔を歓喜に変え、杖へと手を伸ばす。
「お願いされるとなぁ、もっとみっともないトコが見たくなるんだよ」
あと少しでアッテスの手が杖に触れる所まで来た時、ベルズは両手に力を込め、杖をへし折った。




