第17話 もう、後には戻れない
ベルズがカトレアの家まで辿り着いた頃には既に夜になっていた。
以前の出来事を教訓にしたのか警備はベルズが最初にやって来た時と比べ物にならないほど厳重ではあったが、ベルズにとっては何の事はない。人の姿から小鳥に姿を変え、容易く突破できた。
家の中は外とは打って変わり警備はとても手薄だった。使用人らしき者が時折いるが外にいる屈強な兵士のような存在はいない様子だ。
ベルズはまずカトレアと出会った場所まで向かった。二階の一番隅の部屋だ。
その部屋は所々うっすらと赤いシミの付いてはいたが綺麗に掃除され、窓も新しいものに取り替えられていたが、そこにカトレアはいなかった。
「ここじゃあないか……」
ベルズが知っているのはこの部屋だけだ。あとはどこが何の部屋かわからないので虱潰しに当たっていくいかない。
ベルズの家と同じく相当大きな家ではあるが、ベルズの家とは違い一部屋一部屋が広く大きいため当たらなくてはいけない数が少ないのは幸いだが。
カトレアの部屋のあった階はすべて寝室らしく、ベッドの置かれた部屋ばかりだった。一部の部屋では既に使用人がベッドに潜り込んでいたので何人か驚かせてしまったが今はベルズはそんな事を気にしている場合ではない。
一つ階を降り、再び総当りを開始しようとすると、ベルズの耳に歌が聞こえてきた。それも聞いたことのある声色。
その歌の方に引き寄せられるようにベルズが進んでいくと歌ではなく鼻歌である事がわかった。当然その鼻歌の主も。
扉越しに鼻歌が聞こえてくる。ゆっくりとベルズが扉を開けると、そこにはカトレアが立っていた。
「あら、ベルズさん。いらっしゃってたんですか」
「…………カトレア」
カトレアの状態を含めて、その部屋の中に広がっていた光景はベルズの予想していた通りの状態であった。
カトレアは頬を赤く染めている。それも血で。よくみれば頬だけでなく衣服のいたる所に大量の血が付いている。
傷を負っている様子ではない事から誰かの血であると分かった。そしてそれが誰の血なのかも。
カトレアのすぐ後ろに誰かが二人、倒れている。その二人の体に空いた傷口から血が流れ落ちて血溜りを作り上げているのだ。
その光景とカトレアの持っている血濡れの短剣を見てベルズは何が起きたのかを確信していた。
「……その、カトレア。お前の後ろに転がってるのは、あれか」
「ええ。私の大事な、お父様とお母様です」
ベルズの言葉にカトレアはそう言って、いつもベルズにするように微笑んでみせた。
カトレアの声からは怒りも悲しみも感じる事はできなかった。大事な、と言っていた割にはまるで何とも思っていないのではないかと思うように平然としていたのだ。
「あー、やっぱりそうだよな。……それで、その大事なお父様とお母様を殺して、何か思う所とかはあるか?」
そのベルズの問いにそうですね、と少し考え、カトレアは普段と変わらない調子で答える。
「今まで私を育ててくださったのですし、こんな事をしてしまって少々申し訳ない気持ちもありますが、これもベルズさんとより親密になるために必要な事。きっとお父様もお母様も笑って許してくださる事でしょうから、特には何もありません」
ニコニコしながら平然とそう言った。こんな事をさせたベルズに責めるような感情をぶつけても良いはずなのに、そういう思いもまるでないようだ。
やれと言われて何の疑問も抱かずに両親を殺害。よく言えば従順ではあるが、実際はそれを通り越してもはや機械だ。人の道を外れていると言ってもいい。いや、元からカトレアは人外ではあるが。
同じく人外であるベルズもカトレアの行いを見て引いたりする事は無い。無いが、自分の失言で意図せずにそれをやらせてしまえばベルズにだって少量の罪悪感くらいは湧く。
「そっか。まあ、あんまり気に病んでないなら俺としても助かるけど」
ともかく、これでカトレアの帰る場所は無くなってしまった。すぐに自分の家に帰りたくなる、などというベルズの見立ては完全に甘かったのだ。
誘拐されたカトレアを救出してもその報酬を払う者がいなくなった以上はもうベルズの元に追っ手が差し向けられる事もなくなったのでその点はベルズとしては喜ばしい事ではある。
しかしそうなるとカトレアをどうするかがベルズの悩み所だ。もうカトレアが生きていなくては困る、という状況ではなくなった。このままここに置いて行っても既にベルズの家がどこなのかも知られている以上ほぼ確実にベルズの家に戻ってくるだろうし、仮にここに残ったとしても今まで血眼でカトレアを捜していた連中が報酬が支払われなくなったと知れば何をしでかすかは想像に難くない。
最初の頃はこうして用済みになったら殺してしまおう、ともベルズは考えていた。いくらベルズ自身が心酔されていようと関係は無い。
だが、カトレアとはいくつか約束をしてしまった。ベルズが自分で何があろうともう家に返さないとも言ってしまったし、例え意識が正常でなかったとはいえ昨日の夜のもそうだ。
一度した約束は破らない。ベルズは自分で決めたこの信条だけは絶対に守ると決めている。
「まあ、約束したもんな」
ベルズは右手の指で頭をトントン叩きながら小さくそう呟く。罪滅ぼしだとかそういう意図があるわけではない。そもそもそこまでの罪悪感を感じてはいない。あくまで自分で決めた信条と約束を守るためである。
カトレアの方へと歩み寄り、抱き寄せるとカトレアは素っ頓狂な声を出し、血で赤く染まった頬をより赤く染め上げた。
「ベ、ベルズさん、急にどうしました?」
「いや、デートするって約束しただろ。……まあ、俺はそういう時どこに行けばいいか知らないから、カトレアに任せる事になるんだけど……それともやっぱ、今日はもう家に帰りたいか?」
「えっ、あ、い、いえいえそんな! 急にぎゅっとされて驚いただけです! 私は今からでぜんぜん大丈夫です!」
ベルズの言葉を聞きすぐにカトレアは首を横に振り、ベルズの腕にがっしりとしがみついてきた。
家に帰るか、と言われて何の疑問も抱かないあたり既に今いるここが自分の家だと思っていないのではないかとベルズは少し不安に思う。
カトレアの行動を見るに優先度の一番上に来るべきである家族や自分等のそのまた上にベルズが来ているのではとすら考えられた。
はっきり言って今のカトレアは歪んでいる。元々そういう素質があったのかベルズと共に過ごした事によってこうなってしまったのかまでは分からないが、後者の影響も決して小さくないに違いない。
大切な家族を自分で手にかけた事を気にしていないとは言われたものの、多少なりとも自分の影響でそれをやってしまったのではと考えるとベルズの顔は少し陰りを見せる。
「……ベルズさん、暗い顔をしてますけど、何かありましたか?」
「ん、いや、なんでもない。ちょっと考え事をしてただけだ。……ま、その話は置いといて、そろそろ行くか。デート」
「ええ、行きましょう行きましょう!」
ベルズがそう言うとカトレアは無邪気に笑って腕に絡み付いたままベルズに合わせて部屋の外へと歩き出した。
その間、カトレアは両親の亡骸に目もくれなかった。いや、そもそもベルズがやって来てから一切視界にすら入れていなかった。
大事な両親だと言っていた割に扱いがぞんざい過ぎるのではとベルズは思ったが、もしかしたら自分が殺してしまったという事実を受け入れたくないだけなのではないかと思い始めた。
カトレアも口では何とも思わないと言っていたが、きっとそれは強がりなのだろう。表では今も平静を装っているものの心の中では今にも泣き出したくてたまらないのだろうと、ベルズはそう考えて納得する。
もしかしたら本当に大事だと思っているし、本当に殺しても何とも思っていないのかも知れないがすぐにそんなわけがないと考えるのをやめる。大事なものを自分で破壊して何とも思わない生き物などいるはずがないのだから。
仮にそんな壊れた思考をカトレアがしていたとするならそれはベルズの影響による所が大きいのだろう。普通に生きるなら見なくていいものを沢山見せてしまったのだから。
ベルズが責任を感じているという事ではないが、もし本当にそうだったとしたら、カトレアには何らかの形で詫びをしなくてはいけないかもしれない、とベルズは考えながら、カトレアの実家をあとにした。




