第16話 失言
「あら、ベルズさん。こんな遅くにどうしたのですか?」
ヨロヨロになりながらベルズが玄関を開けると、暗闇の中にカトレアが立っているのが見えた。それもだいぶ不安げな表情をしている。
本来なら暗い室内で誰なのかを判別するのは非常に困難な事なのだが、カトレアの手のひらには小さな火が浮かんでいた。おそらく以前に言っていた魔術だろう。
「……お前こそ、なんで夜中にふらついてるんだ」
今ふらついているのはベルズの方なのだが、なんとかカトレアの前では正常を装う。食べ過ぎで体調が悪いなどと知られては格好がつかないとベルズは思ったからだ。
「さっきまでは寝ていたんですけど、急に大きな声が聞こえて。びっくりしちゃいまして。怖くなったのでベルズさんの所に行こうと思ったらいなかったもので、探し始めた所です」
「ああ……」
そこまで聞いてベルズはなるほどと頷く。セーバーのあの絶叫は確かに爆音だったし、何も知らずに聞けばさぞ驚く事だろう。
「それについては心配しなくていい。原因はもう片付けたから、ゆっくり寝てろ」
ポンポンと軽くカトレアの頭を叩いてベルズはカトレアの前を通り過ぎようとして、突然視界が歪み、体がどんどん傾いていくような感覚に襲われ、気が付くと床に倒れていた。
「ッ!? ベ、ベルズさん!? どうしたのですか!?」
まるで水の中にいるかのようにくぐもったカトレアの声がする。まだ視界は定まらず、平衡感覚も戻ってきていないがカトレアに抱き起こされてなんとかベルズは立ち上がった。
カトレアが心配そうにベルズの顔を覗きこんでくる。大したことはないとベルズが首を横に振ると少し安堵したように息を吐くが、完全に安心してはいない。ただ事ではない何かがあったのだと思われているようだ。
「し、心配するな。ただちょっと転んだだけだ」
何も心配しなくていいとベルズは言うも、カトレアの方はそうは思えないと言いたげにベルズの瞳を見つめている。
「でも、ベルズさん今とっても顔色が悪いような……」
「本当になんでもないから、寝てればすぐ元に戻る」
「ですが」
「いいから」
だんだんとカトレアの声さえも頭に響き、頭痛が増してくるように感じ始めた。本当に大丈夫なのかとカトレアは不安そうに見てくるが、今のベルズはたったそれだけでもより体調が悪化するような気がしていた。
肩を貸していたカトレアを振り払い、寝室へと向かう。少し落ち着いてはきたもののやはりまだ視界はぐちゃぐちゃで自分が真っ直ぐ立っているのかもわからない状態だ。
壁に手をつき、できるだけそちら側に体重を掛けるようにしてゆっくりと歩く。後ろからカトレアがなおも心配そうに視線を送っているのが感じられた。
その視線を受け続けてベルズは少し冷静さを取り戻し始める。ここまで自分の事を心配しているカトレアに、少々辛辣に当たりすぎたかもしれない、と。
グラグラに揺れる視界の中でベルズは何か一言フォローをかけておくべきか迷っているとカトレアの呟きがかすかに聞こえてきた。
「……これじゃあ、ベルズさんとのデートはもうしばらく先になっちゃいそうですね……」
その悲しそうなカトレアの言葉を聞き、ベルズはうまく回らない頭で、何か返すべきだと考えて口を開いた。
「……カトレア」
「えっ、あ、は、はい」
しかし、考えが纏まらない。ぐわんぐわんと頭の中で雑音が響いている。
呼び止めてしまったからには何か言うべきなのだが、何を言えばいいのかはまだ決められていなかった。
確かに、カトレアの言うとおりしばらくはベルズの体調が良くならない限り外出などできないのだが、それさえ元に戻れば行ってもいい、というような事をさりげなく伝えてみようかとベルズは考えた。
「そんなに、デートしたいか?」
「は、はい、もちろんです」
「そうか、それじゃあ、そうだな……」
いつになればベルズの体調が治るかはわからないが、しばらく時間を貰う事は確かだ。そして、時間とは命ある者にとってとても大事な物である。
そこまで考え、面白い暗喩じゃあないだろうかとベルズはカトレアに見えないように少し微笑んだ。
「代わりに、お前には大切な時間をいくらか失ってもらう事になるけど、それでもいいか?」
カトレアの大切な時間をしばらくは無駄にさせてしまうがそれでも待っていてくれるか、と暗に伝えてみた。ベルズはこの手の冗談などはあまり上手くはないが嫌いではないのだ。割と会心のジョークができたのでは、とこの時のベルズは心の中で頷いていた。
ベルズの問いを聞き、カトレアは目を丸くしたが少し考え、すぐに頷いてみせた。
「……わかりました、ベルズさんがそう仰るのでしたら、私は構いません」
「そうか、それは良かった。じゃあ俺は寝るから、またな」
「ええ、また」
カトレアは微笑みながらベルズを見ていた。それに安心したベルズはもう何も考えずに今度こそ寝室へと向かう。
もう少ししっかりと考えていれば、ベルズの言葉が誤解を産みかねない事にも気が付けたのだろうが、今のベルズにはもう考える余裕は無かった。
いつ頭が割れてもおかしくないのではないかという程の頭痛と歪む視界に耐えてベッドに辿り着く事以外に割けるほどの余力はベルズには無かったのだ。
カトレアがいなくなっていた。
ベルズが目を覚ますと、既に昨日の不調が嘘であったかのように頭痛は消え去り、完全に調子が戻っていた。
昨日の体調の異常はきっとセーバーが取り込まれる事を必死に拒絶でもしていたのだろう。次があれば、あまり相手を煽り過ぎないようにしようとベルズは反省する。
そのままカトレアの食事を用意してからカトレアを呼びに行ったが、既に部屋はもぬけの殻。
別の部屋にいるのかと周囲を探してみたが見つからず、どれだけ叫んでも出てくる気配すらも無い。
ベルズは自分が眠っている間にカトレアが攫われたのかと考えたが、それにしては部屋が荒れている様子も無かった。
そういえば、昨日の夜にカトレアと何か話をしていた事を思い出す。ひどい頭痛で何を言ったのかすら定かではなかったが、時間が経つにつれてベルズは自分が言った言葉を思い出す。
あの時のベルズにとっては非常にユーモアに溢れた冗談に思えたが、一晩たって冷静さを取り戻した頭で考えれば、一度聞いただけでは冗談と取れるかは微妙だし、何か別の意味があるのではないかと思われても不思議はない。
そもそも唐突すぎる。普段からそういう回りくどい言い回しを好んで使っていれば別だが、そんなわけでもないのにあんな事を言われては勘違いをしてもおかしくない。
まともに物を考えられないような状態で何か喋ろうとするものじゃない、と後悔しながらベルズは外へと飛び出す。
家を出て泊まっている舟の数を確認すると、舟が一つ減っている。
それを確認してベルズはカトレアが今何をしようとしているのかを確信した。
ベルズは泊まっている舟に飛び乗り、急ぎカトレアの後を追いかける。
いつカトレアが島から出たのかは分からないが、できれば間に合って欲しいと念じながら。
ベルズがカトレアの失踪に気付き追いかけ出した頃、カトレアの両親は普段通りの生活を続けていた。
しかしそれは決してカトレアの事を忘れたからではなく、カトレアがいつ戻ってきても今までと変わらぬ態度で接する事ができるようにという両親なりの思いやりなのだ。
財は有るが力を持てず、娘の命を他人に任せる事しかできない自分達の事を不甲斐なくも思った事は幾度もあったが、それでも力の無い者は無いなりに頑張ってはいる。
だから、今日もまたいつ帰ってくるかわからない、いやひょっとするともう帰ってこないかもしれないカトレアを、二人は待ち続けていた。
とはいえ、これではまるで終わりの見えない物語をいつまでも続けているようなもの。それは見る者も、作る者も幸せにはなれない。どんな物だって、いつかは終わらなくてはいけないのだ。
二人も、こんな事は早く終わりにしたいものだと願っている。そう思っていると扉を叩き、誰かが部屋の中へと入ってきた。
「お父様、お母様、ただいま戻りました」
それを見て、二人は一瞬固まっていた。ついに自分達は幻覚が見えるようになってしまったのかと思い、すぐにそうではないと理解する。
「……カ、カトレア!」
カトレアが帰ってきたのだ。誘拐され、行方知れずとなっていたカトレアが。
二人は昔と何も変わらぬ笑顔で笑うカトレアを見るとすぐさま立ち上がり、涙を流しながら抱きしめた。
「おお、カトレア。今まで一体どこに言っておったんだ……!」
「心配していたのよ、お父さんも私も。あなたにもしもの事があったらと……でも、あなたが無事でよかったわ、本当に……!」
もう二度と何処かへ行ってしまわないようにとぎゅっとカトレアを抱き締め、その胸に二人は顔を埋め、娘が無事だった事を喜び、叫ぶように泣いている。ちょっと苦しかったが、カトレアも抱き返す。
「お父様にお母様、心配かけてごめんなさい。でも、私は元気ですし、傷一つ……えっと、誰かに傷つけられたりなんてしていませんから、大丈夫です。……それから、お二人にお伝えしたい事が」
「なんだねカトレア、お父さんとお母さんに言ってみなさい」
「私、好きな人ができたんです」
それを聞き、泣き止みかけていた二人は絶望の表情を浮かべ、崩れ落ちて床に伏せってしまった。
誰とも知らぬ者に美しい娘が攫われ、突然帰ってきたと思えば好きな人ができた、と言われれば想像する事は一つだろう。
言ってからそれを察したのかカトレアは慌てて訂正する。
「ああっ違います! お二人が考えているような事ではありません! 傷つけられたりしていないって言ったじゃないですか!」
「あ、ああ、そうだったな。すまない。いきなりだったからまさか、と思ってしまってな」
「私もですよ、ビックリしてしまったわ。……それじゃあ、好きな人、というのは」
「ええっと、その、お二人が考えている通りでいいかと」
カトレアの言葉を聞き二人は安堵した。攫われた先で何かがあったわけではないという事はカトレアが恋したのはカトレアを助け出した者の事なのだろう。反応からもそれは察する事ができた。
確かに二人はカトレアの為ならいくらでも出すつもりではあったが、カトレアそのものを差し出すつもりまでは無かったのだが、しかしカトレアを救ってくれた者にカトレア自身が惚れたというのであればその範疇ではない。
「なるほど、それなら」
「ええ。愛しい娘を助けて下さったのですし、本人もこう言っているのですから、止める必要もないですわね」
「お父様、お母様、ありがとうございます。そう言っていただけて私も嬉しいです」
カトレアの喜ぶ顔を見て、両親もまた喜んでいる。もしかしたら我が家を出て行き相手の家で暮らすのかと考えたら少し寂しくもなったが、娘の晴れ舞台を止める訳にもいかないと考えを振り切る。
カトレアの父は気が早いかもしれないが結婚祝いに何かプレゼントを考え出し、カトレアの母は折角カトレアが無事戻ってきたのだから今日はご馳走を用意しなくてはと思い、久しぶりの楽しい気分になり始めていた。
「あっと、そうでした。お二人に協力していただきたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、何でも言ってくれて構わないよ。愛する娘のためならなんだってやろう」
「私もあなたと同じよ。さあカトレア。何をしたらいいのかしら?」
二人の快諾を聞き、カトレアは嬉しそうに顔を歪ませる。そして、二人を抱き締めて、小さな声で呟いた。
「……本当に、ありがとうございます。それから、ごめんなさい」
最後の謝罪が二人の耳に入り、心配をかけた事を謝っているのかと思い、二人は謝る必要はないと首を横に振る。
「気にしなくっていい。私達はカトレアが生きていてくれるだけで」
「そうよ、カトレア。あなたの幸せこそが私達の一番の」
「いいえ、それでも謝らせてください。……だって私は今日、愛する人の為にちょっとだけ悪い子になるんですから」
それを聞き、カトレアの両親はずっと黙っていた。カトレアは、二人の背中をぽんぽんと優しく叩いた。




