第15話 救済の騎士セーバー
それから二週間が経過した。
リギアを殺した後に誰かがやって来る事もなく、実に平穏な二週間であったが、それとは反対にベルズの心中は荒れ狂っていた。
本当はもっと時間をかけてゆっくりとリギアを殺すつもりだったのにあっさりと殺してしまった事に非常に苛々しているのだ。
山のように盛られた料理を一口食べただけで残りを下げられてしまったような心境のベルズだったがその場では抑えた。すぐにカトレアを捜索に来た奴か命知らずの馬鹿辺りが来るだろうと考えたのだ。
しかし今までカトレアを追ってやって来た者は全て偶然ここに辿り着いただけ。偶然はそう何度も続くものではなく、寝て起きてを繰り返すだけの日々が過ぎていった。
「あー、血が見たい」
自分の思い通りに行かない事ばかりなのは世の常。それを喚き散らすのはあまりにもみっともない。それぐらいはベルズだって理解している。
だから、心の中ではオーバーヒートして臨界点突破寸前級の苛立ちを覚えていても表面上では平静を装う。それでも排熱を兼ねた溜息混じりに本音は漏れ出してしまうもの。
気分転換にと散歩しながらのベルズのその呟きを、数歩後ろから着いて来ているカトレアに聞かれてしまった。
後ろを向く前から既にそれを聞いたカトレアがやる気満々であるのが伝わってくる。
「ベルズさん、私のでよろしければ……」
「いやお前に言った訳じゃない。……本当に、本当にやらなくていいからな。お前にそういうのは求めてないから」
「あ、そうでしたか」
振り向いて静止すると、お役に立てず申し訳ありません、と呟きシュンとするカトレアが見えた。
途中まあそれでもいいか、とベルズは思ったがすぐにそんな訳にはいかないと思いとどまった。これ以上傷を増やすと後から来るだろうカトレアを捜しに来た者やカトレアの両親に対し更なる誤解を生みかねない。
ベルズにも限界はある。対処しきれない力を持つ敵を作る可能性はできるだけ減らしたいのだ。
だが、それを差し置いても誰かを切り刻みたいという欲求はとどまる事をしらなかった。
今の所カトレアに手を出すつもりは無いがあまりにも何も起きなければいつかはそれも視野に入ってしまう。そうなる前に早く誰か島にやって来ないものかとベルズは願うだけだ。
「それにしても最近は何も起こらなくて、ちょっと退屈になってしまいますよね。……あっ、ベルズさんと一緒にいるのがつまらないという事じゃないんですよ! でもですね、たまにはどこかへお出掛けするのもいいんじゃないかな、って思っただけなんです」
ベルズの心の内を見透かしたのような話題をカトレアが振ってきた。確かに外へと出ればベルズの欲望も叶えられるが、カトレアが一緒となると簡単な話ではない。
カルムはカトレアが誘拐された少女とは知らなかったようだが、あれから時間も経っている。似顔絵くらいは作られているかもしれないし、最悪出会う者全て敵と考える必要すらあるだろう。
ベルズの家に置いて行く事もできない。留守中にカトレアを捜していた者が来る可能性もあるし、誘拐される可能性もある。外に出るのは得策ではないだろう。少なくとももう暫く時間が経ってからだ。
「……そっか。じゃあ、もうしばらくしたらどこかに行ってみるか」
「い、いいんですかっ!? やったっ! 楽しみにしてますね、ベルズさんとのデート!」
ベルズがそう返すとカトレアはデート、デート、と口ずさみながらピョンピョン飛び跳ねながら喜んだ。
しばらくしたら、とは言ったがいつとまでは言っていないのにそんなに嬉しいものだろうかとベルズは思ったが、口には出さないでおいた。
よほどの事がない限りほとぼりが少しはさめるまで、少なくとも数ヶ月から数年は待つつもりなのも口には出さなかった。
そもそもベルズはカトレアとのデートがしたいから外出したいわけでもないのだが、それも口に出して言わなかった。
ウサギのように跳ね回っているカトレアを見ていると、不思議な事にベルズの苛立ちも少し収まってきた。
欲求が完全に消え去った訳ではないものの、ベルズは少し落ち着きを取り戻す事が出来た。
他人との会話で多少でも不満が紛れるような事は今まで無かったのでベルズも意外だったが、既にカトレアとも短いとは言いがたい時間を一緒に過ごしているし、少しばかり踏み込んだ話もしたりしている。いわゆる親友だろうか、そういう相手との会話だから溜め込んだ感情を吐き出したりできるという事なのかも知れない。
そんな事を考えているといつの間にか日が落ち始めている事に気付いた。ベルズは散歩をやめてカトレアと共に家に戻ることにした。
「いや、やっぱり駄目だ……!」
夜も更け始め、カトレアと別れて部屋に戻り就寝しようとベッドで横になって数分でベルズは家から飛び出した。
カトレアと話をした事で大分殺人に対する欲求は薄れていたが、やはりその場しのぎにしかならなかった。
一度薄められた衝動はその反動とでも言わんばかりにどうしようもないほど膨れ上がり、ベルズは衝動に突き動かされるままどこかの町へ向かおうとしていた。
カトレアを置いて行く事に不安を覚えもしたが、それを上回るほどの衝動がベルズの体を支配しているのだ。
まるで自分の体ではないかのように勝手に体が動いている、そんな気さえする。あまりにベルズの制御を外れすぎていて一瞬恐怖すら覚え、思わず助けてくれ、と呟いてしまった程だ。
決壊した川のように止まる事無く舟の方へと進んでいくと、砂浜の場所に誰かが立っていた。
カトレアかと思ったが、違う。今はカトレアは眠っているはずだ。
それに目の前の人物は全身を所々黒ずんだ汚れのようなものが付着した銀の鎧で覆われていて、頭も兜を着けており顔を見る事はできない。その体格はすらっとしていて美しさを感じさせるが、間違いなく男の体型。カトレアではない。
ベルズはすぐに足を止めて身構えた。鎧の男は微動だにせず棒立ちしている。
「そこのお前、こんな夜遅くにこんな場所に、何の用だ?」
「……助けを、求める声が、聞こえた」
鎧の男がぎこちない喋り方でそう答えた。ベルズは思わず噴き出しそうになったが、堪える。
「きっ、気のせいだ! 聞かなかった事にでもしとけッ! ……それより、他に用が無いならとっとと帰ってくれねぇかな。でないと死ぬ事になる」
「それは、できない。誰かが、助けを、求めていた。助けて、やらなくては」
随分とゆったりと喋りながら鎧の男は首を振った。そのノロノロとした喋り方と要望の拒否とが合わさり、既に限界を超え爆発中のベルズの中で燃え盛る炎は更に勢いを増した。
「……そうかい。いつもだったらそっちから襲ってこない限りはもう少し下手に出る所なんだが、あいにくと今日は死人が出るほど機嫌が悪くてな。丁度いいからお前で楽しませて貰おうか」
ベルズが鎧の男へと歩み寄る。素直に帰るなら見逃そうとも思っていたのだが、そうはしなかったので殺す事にした。
外に出ている間にカトレアが誰かに攫われてしまったらどうしようかという不安もこれで解消できる。ロメリアとリギアの時の分を取り戻さんとするべく長く長く楽しむつもりだ。
鎧の男はやはり微動だにしない。近付いてくるベルズを兜の目に当たる部分の僅かな隙間から見つめているだけだ。
「助けを、求めて、いたのは、君か? だとしたら、助けよう」
そう言って、男はベルズに手を差し伸べた。その言葉に再び先程呟いてしまった言葉が思い起こされて顔を赤くしたが、すぐに振り払う。
「だ、か、ら! それは気のせいだって言って…… いや、そうだな。実はちょっと手伝ってもらいたい事がある、かな。俺の事、助けてくれるんだよな?」
「ああ、助けよう、とも。私は、どうすれば、いい」
男の言葉にそうかそうか、と嬉しそうな顔でベルズが頷く。
ベルズはこういう困っている人を見捨てて置けない、勇者さま気取りの人間を斬って裂くのが大好きなのだ。
そういった人間の助ける、と言う言葉は助ける為なら何でもすると言ったも同然。この手の人間は特に前言撤回を嫌う傾向が多いから無理難題を押し付けてやると大抵面白い反応を返してくれる。
「それじゃあ、お前を殺させてくれ。でも、無抵抗じゃあつまらないから死ぬその瞬間まで全力で抵抗して欲しい。ただし逃げ回るのはナシだ。どれだけズタズタにされようとも最後の最期まで必死に立ち向かい、抗い、そして死んでほしい」
「わかった。この、騎士、セーバーが、君を、助けて、みせよう」
鎧の男、セーバーはそう言って頷き、腰の鞘から銀色に輝く細剣を抜き放った。喋り方とは裏腹に、剣を抜き構えるその動作は流れるように美しかった。
ベルズは非常に戸惑った。助けると言った手前断り辛いのかも知れないし断ろうが何だろうが最終的には押し付けるのだが、それでも明らかな無理難題を叩き付けられてまさか二つ返事とは。
いやいや、そもそも死ねと言われているのだ。難題とかではなくそのままDIEである。戦場では時に死ねと同義の命令が下される事もあるとは聞くがここは戦場でもなければベルズはセーバーの上司でも無いというのに。
頭がおかしいのではないだろうか。ベルズはすぐにそう考えた。
まあ、相手が異常だろうが正常だろうが付き合ってくれるならばベルズとしては何も問題ないのであまり気にしない事にした。
「……え? あ、いいのか? いや、別にいいならいいんだけど…… ま、まあできるだけ全力で抗ってくれ」
多少困惑していたもののベルズは右手を軽く振り、まるで手品のように剣を取り出しセーバーへと突き付ける。
あまりにセーバーがこちらの言葉通りに動くもので本当にいいのだろうかともベルズは一瞬迷ったが、風を貫くように突き出された細剣をかわし、セーバーの腹部を狙った横薙ぎの一閃と共に迷いも振り払った。
セーバーの刺突を潜り込むように避け、確実に命中する距離からの一撃。回避しようにもベルズへの攻撃のために体重は前の方にかかっている。そのため後ろに飛んで避けるにも一瞬の遅れが発生し、その一瞬が攻撃を命中させ、セーバーの腹を切り裂く事だろう。
ベルズは振り抜いてから、いきなり腹を割ったら話も出来ずに死んでしまうじゃないか、と思ったがすぐに構わないと思い直す。死んだら死んだでどこかの町まで行って満足ゆくまで人を切り刻むだけだから。
剣は振り切られた。しかし鎧が切り裂かれる音は響かず、ただ空を斬った音がしたのみ。
肉は斬れずとも鎧に傷口の一つでも開くとベルズは半ば確信していたので少しばかり面食らった。
気がつけばベルズとセーバーとの間には五歩分程の距離が開いている。ベルズにはまるでセーバーが瞬間移動でもしたかのようにも感じられた。
「おお、なんだ。そんななりだからてっきり接近戦が得意なタイプかと思ったが、もしかして魔術師とかだったか?」
少し驚いたような口調でそう言ったベルズだが内心少し焦っている。もしもセーバーが今見せたのが転移魔法で、他にも魔術が使えるとすると炎を操る魔術も使える可能性もある。
ベルズは熱に弱い。もしセーバーが低位でも炎の魔術が扱えるならばベルズには致命傷足り得る。これ以上距離を離されては手も足も出せぬまま焼き殺される事もありえるだろう。
「いや、私は、騎士、だ。魔法は、使えない。これは、私の、技術、だ」
「……そっか。それを聞いて少し安心できたよ」
魔術を扱えないと聞いてベルズはホッとした。少なくとも一方的な展開にはならないのだから。
しかしそうなるとセーバーは何らかの技だけで回避不可能に近い攻撃を避けたと言う事。それはそれでベルズが想像していた以上に厄介そうだ。
今のが一度限りの大技とでも言うのであれば何の事は無いがセーバーはそういった素振りを見せていない。そこから考えれば回数制限などは無いのだろう。
特に制限も無い絶対回避。何の対策もなければさぞ絶望する事間違いなし。だがベルズには絶望など無く、むしろ懐かしさすら感じる余裕がある。
同じ土俵に上がれるなら恐れることなどありはしない。類似の技を、ベルズも持っているのだから。
開いていた距離を激流のような速度でセーバーが埋めにかかる。構えられた細剣はベルズの頭部ど真ん中を貫かんと襲い掛かった。
しかしセーバーのその一撃もまた空を突く。その場所にいたはずのベルズは、一瞬消えたかと錯覚するような軌道でかわしていたのだ。
一歩下がり、驚愕と言いたげな体勢を取ったセーバーに、どうだ? と言いたげに不敵な笑みを浮かべながらベルズは腕を組む。
「これ、は」
「どうだよ、驚いたか。今のは秘されし舞い蝶の舞踏。こいつの前にお前は俺に指一本触れられなくなる。……だったかな」
カルムの口上を真似して言ってみたが、うろ覚えだったのでなんとも適当なものになってしまった。
強力ではあるがほとんど出番もなかったし、師匠とやらから授かった思い出とかもベルズには無いのでそれも止む無しだろうか。
何か決め台詞のような物があったほうがいいかと思い言ってみたのだが、締まらなかったし、羞恥の方が強かった。
セーバーはまだ固まっていた。いい加減恥ずかしくなってきたベルズが今の台詞を取り消そうかと悩み出した所でようやくセーバーは口を開いた。
「そう、か。君は、カルム、君、だった、のか。気が、付かな、かった、よ。大きく、なった、ね」
そう言いながらセーバーは懐かしむような、嬉しそうなような声で頷いた。
セーバーの反応を見て、ベルズは露骨に顔を顰める。どうやらセーバーはカルムと交友があったようだ。
それも相当に深い間柄のようだ。蝶の舞踏を見てそれに気付いた事から考えると、そういえばカルムは舞踏を師匠から授かったと言っていた。
セーバーの口ぶりから暫くぶりの再会である事を察せるが、果たしてカルムの技は師を越えられたのかはたまた途中で逃げ出したのか。
もしカルムの舞いが不完全なものであるとすればその欠点を突かれる事になるのだろうが、そこはベルズにとってはどうだっていい事だ。
ベルズが顔を顰め懸念しているのはカルムに体を乗っ取られるのではないかという事。
二週間前のフリッグの時のように、親しい者との接触によって、取り込んで自分の体の一部へとなったはずの人間に再び体の支配権を奪い取られはしないかとベルズは気が気でない。
あのような経験をするのはベルズは初めてだった。突然体の内側に引き戻され、自分ではない誰かが自分の体を使って勝手に動く。その感覚はベルズにとってこの上なく不快で、恐怖を覚えるものだった。
今の所それらしき兆候はないものの、いつ何の拍子にそうなるのかわからない以上はセーバーだけでなく自分の内側にまで注意を向けなくてはならなくなってしまった。
いつ爆発するかも知れない爆弾を抱え込んで自分と互角、ないしはそれ以上の相手と戦わなくてはいけないとはなんと理不尽な事だろうとベルズは心の中で嘆く。
「残念だったな、俺はカルムじゃない。ベルズだ。カルムなら死んだよ、俺が喰って、今は俺の体の一部になってる」
それはそれとして、ベルズはありのままを伝えてセーバーの見当違いを否定する。カルムは殺した、と。
二人の仲がどれほどのものだったかまではベルズは詳細を知らないものの、セーバーの口調からすると憎み合うような仲ではなかったはず。
親しい人を殺したと言われて怒りをあらわにしない者などいるまい。ならばわざとセーバーを激怒させ、冷静な判断をできない状態にしようとベルズは考えた。
いかにベルズが無敵の回避を得ていようと、相手も同じ状態では悠久の時が流れようと傷一つ付かずに決着も着かない。
だからベルズはセーバーの蝶の舞踏に隙を生み出させるべく挑発的な言葉を投げたのだが、セーバーは至って平然としていた。
「そう、か。……、彼、は、助けを、求めて、いた、かね?」
見え透いた挑発に乗るようなほど単純ではないのか、それともそこまで仲の良い訳ではなかったのか。
作戦は失敗に終わりそうだとベルズは半ば諦めながらも、もう少し続けてみる事にした。
「……ああ、そりゃあもう助けてくれと泣き喚きながら頑張って無駄な抵抗を続けてくれてたよ。いやあ、思い出してみるとあれは本当に傑作だったなぁ」
「そう、か。では、先に、カルム、君を、助け、させて、貰う、よ」
ベルズの返答を聞くや否やセーバーは開いていた距離を瞬時に詰め、逆袈裟の一閃を放つ。
まだ喋っている最中、突然の強襲にベルズは一瞬何が起きたのか理解できずに呆けていた。当然、防御も回避も間に合わなかった。
「ッ!? 何だ、急にッ! ヒトが話してる時に仕掛けるとかちょっと卑怯なんじゃないのかよ!!」
ばっくりとベルズの胸が切り開かれ、少し遅れて銀の血が撒き散らされる。しかしセーバーにもその剣にも血は付着することなく地面へと落ちていく。
セーバーは既に先程と同じぐらいの距離を離れた場所にいた。ほんの少し前までは言われた事を実行するだけの人形のようだったセーバーの感情を窺い知る事はできなかったが、気のせいだろうか今は何らかの感情を露わにしているようにも見て取れた。
ちょっとやそっと鍛えられたような剣では簡単に傷すらつける事のできないはずのベルズの体が容易く切り裂かれた事にもベルズは驚愕したがそれ以外にも信じられない事があった。
気を抜いてはいたものの、蝶の舞踏は発動していたはずなのに自身が傷を負った事に対してだ。
カルムの言では絶対の守りとの話だったはずだが、それが打ち破られたとなればやはり師であるセーバーはその弱点を知っているか不完全なそれの隙を突いたということだろう。
やはりこの世に絶対、などというものが存在しないのだとベルズは少しの間勝ち誇ったがいやいやそれどころではないとその話はひとまず隅に置いておく。
蝶の舞踏が通用しないとなると振り出しに戻ってしまう。今のままでは相手に何の痛痒も与える事ができずに一方的に切り裂かれてしまうのだ。
カルムと同じように取り込んでしまえば話は早いのだが、それは出来る限りしたくはない。何より一瞬で終わってしまう。ベルズが今したいのは絶望の淵にぶら下がっている者の指を一本一本外していくようなやり方の殺害だ。
それでもこのままではベルズは不利な状況のまま。背に腹は変えられないかとベルズは諦める。手も足も付いた状態で終わらせたかったが、楽しみ方は一つではないのだからと自分を説得し始めた。
既にセーバーも二撃目を放つ体勢に入っている。ベルズはその場から一歩も動く事無く両手を拡げた。
「……俺の話全ッ然聞いてないよな。まあそれならそれで別にいいけどな。……ココだ、ココ狙えよ、ほら」
親指で、銀の血に塗れ、ばっくりと開いたままの傷口を示す。普通の人間なら心臓がよく見えるような大きな傷だ。ベルズのそれからは銀色の液体が詰まっている所しか見る事はできなかったが。
素直に何度もこちらの言う事を聞くか不安になったが、ベルズの言葉を聞いてセーバーは風となって走り抜けた。
胸の傷へと滑り込んだ剣先はベルズの背中から顔を出し、痛みはないもののその衝撃を受けベルズは少し仰け反った。
そこで再びセーバーは距離を取ろうとするも、できなかった。セーバーが動かない足を見れば、先程飛び散ったベルズの血が鎧を纏う足の裏に触れており、足裏の部分の鎧だけが取り込まれているのだ。
刺し貫いた剣も既にベルズの体に同化し始めている。飛び退くと同時に引き抜くつもりだったのだろうが、足に注意を向けた瞬間に一気に細剣を取り込み、セーバーが気付く頃にはもう剣の柄から手を離せない状態になっていた。
「こ、これ、は」
「ハハハッ、そんなに怯えなくて大丈夫だぜ。すぐに殺したりしないからな」
作戦は、完全にベルズの思い通りに進んだ。今のセーバーは文字通り手も足も出せない。
だがこのまま放置すればすぐ全身がベルズ自身に取り込まれてしまう。それではベルズが困るので急いで次の行動に移る。
まず、セーバーの両足を切断する。鎧と鎧の隙間を狙い、膝上辺りに剣を突き入れると、違和感を覚えるほどすっぱりと断ち切られた。
セーバーは叫びも、呻きも上げずにガチャガチャと音を響かせながら腕を動かそうとしている。腕を引き抜こうとまだ自由だった片腕をベルズの胸の傷口付近に当て引き抜こうとするも何の効果もなく、無事だった腕もベルズに取り込まれ始めてしまう。
腕の一本でも残しておけば這いずり回って逃げようとして非常に面白い姿を見る事ができるのでベルズは順序を間違えた、と後悔した。
「そんなに暴れるなって。すぐ動けるようにしてやるから、さッ!」
ベルズは今度は剣を両手を使って持つ。片手は柄に、もう片手は剣先の方を掴む。
そして、振り下ろすというより叩き付ける、押し付けるように両腕を一挙に切り落とす。それに続くようにベルズにくっ付いたままの腕が体内へと取り込まれ、同時にセーバーも後方へと仰向けに転倒する。
足を斬った時と同じく、腕も簡単に切断された。本来なら途中で骨に当たるような感触があるはずなのだが、それが無かったのだ。
不思議に思ったベルズが切断されその場に残っているセーバーの足の中を見てみる。そこには、闇だけが広がっていた。
月明かりだけしかない夜だからよく見る事ができないというのもあるのだろうが、ベルズは納得できず、手を突っ込んでみる。しかし、鎧の感触以外は何も無い。
それだけではない。セーバーの鎧には血が付いていない。足が斬られれば血は出るし、それを覆うものにも必ず付着するはずなのに。
「……? ど、どうなってんだ、これ」
気のせいだろうかともう一度触ってみると、温度も感じない事に気が付く。人が着けていた物とは思えないほど、冷たい金属の温度だった。
何かの奇術だろうかと思いベルズが倒れているセーバーを見るも、更に困惑する事となった。
その中にはセーバーが入っているはずなのに、そこには今見ていた足と同じように闇が広がっているのだ。
「ッ!? なんだよこれ、本当にどうなってやがる、お前ッ!!」
混乱したベルズはセーバーの頭を鷲掴みにして持ち上げる。するとずるりと兜が外れ、セーバーの素顔が明らかになった。
兜の下には、顔すら存在していない。首の部分から鎧の中を覗いてみるも、やはり何もそこにはなかった。
眉を顰め、なおも困惑の表情を浮かべてベルズは固まっている。すると何も入っていないはずのセーバーの兜から声が漏れ出している事に気が付く。
「助け、なくては。カルム、君を、助け、なく、ては」
セーバーは今までと同じくたどたどしい物言いではあるが、その声に苦悶を感じる事はできなかった。
どうにか立ち上がろうと手足を失った鎧部分がガチャガチャと音を立てもがいている。
「助ける、助ける、ってしつっこいなぁお前。そんな状態で何を助けられるってんだか。……いや、そもそもどうやって死なないでいられるんだよ。手も足も首と胴体と離れてるんだから大人しく死んどけよ、そんなんじゃまるで……ん? ああ、そうか」
セーバーの兜を顔と顔が触れ合う距離まで近付けてそこまで言った段階でようやくベルズは合点がいった。
執念深さを感じさせる、助けるという事に対しての異常なまでのこだわり、そして鎧の中身が空である事にも。
セーバーの正体は怨念、もしくは幽霊と呼ぶような存在だろう。
正確な名称としてはリビングアーマーと呼ばれるそれは、鎧を着ていた者が強い未練を持ったまま死んだ後、その者の叶えられなかった望みを叶えるために生前の一部の記憶と共に鎧だけが動き彷徨い出すらしい。
リビングアーマーが上げるのは怨嗟の呻きばかりという話だが、ゆっくりとではあるがここまで人の言葉を話せるという事は相当の心残りがあったという事だろう。
大切な人を見捨てて逃げてしまったのか、強大な力の前に成すすべなく全てを叩き潰されたのか、そこまではベルズにはわからないが。
「人じゃあなかったのか。って事は、どんな拷問したって面白くないよな……」
今までの事から考えて痛覚などは皆無のようだし、鎧からは血も出ない。それに思い至ったベルズの気分は谷の底より深く落ちていく。
そして今もなお助けなくては、助けなくてはとノロノロと呟き続けるセーバーを見てベルズは少し思案する。
「……うん、まあ、人じゃないなら、まだ入るかな」
ベルズは自分の腹と相談し、鎧だけなら大丈夫だろうと判断した。
このまま海にでも放り投げてもよかったのだが、放っておいたらいつの間にか鎧が再生して襲ってくるかもしれない。それは少し面倒なので吸収してしまう事にした。
「助け、なく、ては。皆、を、助け、なく、ては」
似たような事を延々と呟き続けるセーバーの兜をベルズは優しく抱きしめる。抱きしめ方とは裏腹に表情は非常に邪悪であった。
「心配しなくっていいぞ、お前はもう誰かを助けなくっていい」
「それ、は、駄目だ。助け、を、呼ぶ、声が、する。彼ら、を、助け、なく、ては」
「大丈夫だ、そいつらは全部俺が助けてやる。ついでに、お前の事も俺が助けてやるよ」
ベルズがそう返すと、起き上がろうと暴れていた鎧の動きが止まった。
「本、当、か?」
「ああ、もちろん」
セーバーの言葉にベルズは爽やかな笑顔で返す。それを聞き、セーバーは安心したと言わんばかりに吐息を漏らすような音を立てる。
「全部嘘だ」
そこまで見届けてから、ベルズは溜めていた言葉を吐き出し、鎧を踏みつける。
直後、セーバーが周辺一帯を粉砕するのではという程の絶叫を放ち、爆発するかのように鎧が暴れ出す。
しかし、どちらも何の意味も成さない。セーバーの兜は既に半分以上がベルズの銀に飲み込まれ、鎧もすぐにその後を追うように色を変えて行き、動きを止めた。
「ふふふ、楽しいな」
平静を保ち続けようとする者の感情が爆発する瞬間と言うのは、とても楽しい。
セーバーが人ではなかったとわかった時にはベルズもしてやられたと思ったが、最後にセーバーに一泡吹かせる事ができた。
セーバーの全てを飲み込み終わり、ベルズは一息ついた。多少気分は晴れたものの、やはり収まりがつくようなものではなかった。
「うぅっ……思ったより、キツいな……」
しかし、ベルズが思っていた以上にセーバーは量があったらしく、ベルズの体は今張り裂けそうになっていた。
頭の中で声が響き、痛みを覚える。耐え切れず、ベルズは頭を押さえた。立っているのがやっとな程、頭痛が激しい。
セーバーが体内で暴れているのだろうかとベルズは考え、少し挑発が過ぎたかと後悔する。
今もまだ血を見に行きたいという衝動は強くあるがそれをもって余りあるほど体調が優れない。
こんな状態では外出どころではないし、その前に舟から落ちてもおかしくない。ベルズは一旦引き返し、ベッドに戻って休む事にした。




