第13話 妹、リギア
侵入者を発見してベルズが真っ先に抱いた感情は驚愕だった。
ベルズと同じ黒く長い髪、白い肌に加えて瞳の色も同じく藍色。
ほとんどベルズと瓜二つな姿だったが鑑に映った自分を誤認したという事はない。明確にベルズと違う部分がある。
まず服。見るからに女性物の純白のブラウスとロングのスカートを着用していて、頭にはファッションとしてか赤色のカチューシャが着けられている。
そして胸の部分に少し膨らみがあるのだ。侵入者はベルズそっくりの女性だった。
それに驚いたのはベルズだけでなく、相手も同じだったらしく目を大きく見開き口を手で覆って固まっていた。
ほんの数秒の静寂と沈黙の後、先に口を開くのはベルズだった。
「……驚いたな。今度はどんな奴が来たのかと思ったら俺のそっくりさんとはな。でも、いくらそっくりだからって用件次第じゃ容赦はしない。……言え、何しにここまで来た?」
体内から剣を取り出し突き付ける。相手は驚愕した表情をしてはいるがそれは凶器を向けられたからではない。
女はベルズの顔を凝視し、信じられないものを見たとでも言いたげな表情を未だ崩さない。もしかしたら剣を向けられている事自体に気付いていないのかもしれない。
不意に、女の瞳から涙が流れ落ち、ぽつりと言葉を漏らした。
「……さま」
「? 何て言った、聞こえないぞ」
女はよろよろと歩き、少しずつベルズとの距離を縮めていく。剣を向けられている事などまるで気にしていない様子だ。
「お兄さま……」
両手を伸ばし、ボロボロと涙を零しながらそう呟き、そのままベルズの胸めがけて飛び込んできた。
突然の出来事にあっけに取られ、ベルズは剣を振るう事も忘れてそれを受け入れてしまっていた。
「やっと、やっと見つけました……! 会いたかったです、お兄さま!!」
女はそのままベルズの背中に手を回して抱きしめ、歓喜の涙を流しながら嗚咽を漏らしている。
女のまるで感動の再開とばかりの反応とは対照的に、ベルズはただひたすら困惑するだけだった。
「……?? な、何の話だ……?」
自分そっくりの女が自分の事をお兄さまと呼んで抱きしめてくる。考えれば、どういう関係なのかは分かるだろう。
しかし、ベルズには理解できなかった。それはいわゆる兄弟、この場合兄妹と言うものであるが、ベルズにはそんなものはいない。
産みの親と呼べるような存在から生まれたりするモノではない。魔族は魔力の濃く溜まった場所に、いつの間にか生まれるのだ。まあ強いて言えば大地、この星がベルズの親とでもいうべき存在といったところだろうか。
ともかく、ベルズに親と呼べる者が明確にはいない以上、妹がいるというのはおかしな話。
ならば、この女が何か嘘を吐いている可能性が一番高い。誰かベルズと似た人物と勘違いしているという可能性もあるが。
ベルズが問いただそうと思い口を開きかけるもそれより先に女が口を開く。
「お兄さま、私をお忘れですか? あなたの妹のリギアです」
ベルズから一度離れ、リギアと名乗った女は丁寧に一礼をした。
「リギア……? 聞いた事無いような、でも覚えはあるような……」
その名前をどこかで聞いた事はないはずなのだが、ベルズはどこかでそれを知ったか、覚えていたような気がしていた。
単語に覚えはあるのだが、記憶はぼんやりとしていて思い出せない。
ベルズの様子を見て、リギアは落ち込む様子を見せたが、それも致し方ないとすぐに首を振って寛容に頷く。
「思い出していただけないのは、少し残念です。……ですが、仕方の無い事ですよね。あれからもう何年も経ちますもの」
そう言ってリギアは少し上を見る。懐かしそうに何かを思い返しているようだが、一体何から何年も経つのかベルズには何の見当もつかない。
ベルズがリギアにまず何から聞くべきか悩んでいるとベルズの後方から声がした。
「お話は聞かせて頂きました!」
いつの間にやって来たのかベルズのすぐ後ろにカトレアが堂々とした格好で立っていた。
驚いて一瞬呆けたベルズだが、今更意味はないかもしれないがカトレアがリギアの視界から隠れる位置に立ち、カトレアに小声で話す。
「お前っ、何勝手に出てきてるんだ! コイツが敵だったらどうするつもりで……!」
「でも妹さんなのでしょう? でしたら用心する必要も無いですし、それにご家族の方がいらっしゃったら挨拶していいと言って下さったではありませんか」
「…………た、確かに言ったけどさ、それ言われると俺としては弱いんだけどさ、まだコイツが本当に家族と決まった訳じゃあ……」
ベルズは自身の家族と会ったら好きにしていいと言ってしまった事を強く後悔した。
一度言った事を曲げたくないベルズとしてはカトレアの言葉に返す事ができない。
いや、それ以前にちゃんとカトレアの認識の間違いを言葉にして指摘するべきだったのだと文字通り後悔する。
ちゃんとした事実を伝えなかったベルズにも問題はある。今になって悔やんでも遅いのだからとベルズは他に出来る事をする事にした。
「……そういえば、まだ聞いてなかったな。お前のお兄さまとやらの名前は何て言うんだ?」
そこでベルズは思い出す。リギアは名乗ったがベルズはまだ名乗っていない事を。
カトレアもベルズの名を出してはいなかった。今のうちにこれを聞けばリギアが何をするつもりだったのかがはっきりするだろう。
ここで答えに詰まればそれはすなわち妹と言うのはこちらを欺く為の嘘。知らない名を答えれば人違いか、もしくは当てずっぽうだろう。
ベルズの質問を聞いたリギアは何を言っているのかと困惑顔をしながらも答えた。
「……ええと、お兄さまはフリッグお兄さまですけど、どうしたのですか、お兄さま?」
ベルズはリギアの答えを聞き、安堵した。
お兄さまお兄さまと自分そっくりな顔が何度も言ってくるものだから、本当に自分には妹がいたのではないかと錯覚しかけていたのだ。
だからベルズではなくフリッグという自身の名前ではない誰かの名前を挙げられ、心底ホッとした。
ふふんと腰に手を当てながらリギアの間違いをカトレアが訂正する。
「ふふ、あなたこそ何を言っているのかしら。この方のお名前はベルズさんよ」
「ベルズ……?」
「その通り。俺はフリッグとかいう名前じゃあない。俺の名は、ベルズだ!」
カトレアに便乗しベルズも自信満々に名前を叫ぶ。ベルズの名を聞き不思議そうにするリギア。
しかしそれもほんの一時だけだった。すぐに何か思い出したようにそういう事かと納得の表情に変わる。
「……ああ、そういえばそうでしたね。なるほど、昔の名前は捨てられた、という事でしたか」
そう言って勝手に納得するリギア。だがしかしそれではベルズは納得できはしない。
「おいおい、それじゃあこっちはどういう事なのかわからねぇんだよ、もう少し詳しく話して貰いたいんだがな」
詳細を、とベルズが求める。
これが咄嗟の嘘なら言葉に詰まるであろうし、その場合は切る。つもりだったのだが、わかりましたと頷きリギアはあっさりと話し始めた。
「そうですね、それでは少し長くなるやもしれませんが、お付き合い下さい。――私にとってフリッグお兄さまはとても優しく、そして知と勇に溢れた素晴らしい方でした」
リギアの語り出しを聞いたベルズはああこれは長くなるやつだ、と頭を押さえた。
カトレアはベルズの過去の話が聞けるのではと目を輝かせてワクワクしている。
「お兄さまは暗黒の魔術師を目指しておられました。闇の魔術師とは違うのかと尋ねるとしどろもどろになりながらも違うという事だけは教えてくれました。まあ、闇の魔術はあまり良い評判のある魔術ではありませんでしたが、お兄さまが目指すというのであれば私も応援しようと思いました。私にはよくわかりませんでしたが、実際に魔術の特訓もしていらっしゃったのです。両親がどれだけ止めても、毎日欠かさずに」
美しい過去を語るように話すリギアとは違い、少しずつベルズは頭が痛くなってきた。
ベルズにそんな過去はなく、となればこれは他人の話。顔も知らぬ他人のどうでもいい過去話となっては頭痛くらい覚えるというもの。
止めてもよかったのだがカトレアの方はベルズの話と勘違いしているのか純粋に興味があるのか真剣に聞いている様子なのでもう少し付き合う事にした。
「そんなお兄さまはある日、俺は暗黒の魔王になる、と言って家を飛び出していってしまったのです。父の愛用していた一着のコートを羽織って」
「…………ん?」
リギアの話が進むに連れてベルズは少しずつ違和感を覚え始めた。
語られるフリッグという男の事が明らかにされるにつれ、頭痛が増してくる気がしてならない。それだけでなく、胸の辺りを締め付けるような感覚もし始めている。
そしてそのフリッグという男はコートを着ていたという。ベルズも同じくコートを着ている。偶然だろうか。
「お兄さまは本当に素敵な方なのです。私には使う事ができませんでしたがたくさんの誰にも知られていない魔術の詠唱呪文を教えてくださいましたし、誰も見たことのない魔物や伝説の武具の事を教えてくださったのです」
リギアがフリッグの素晴らしさを語れば語るほど、ベルズを蝕む正体不明の頭痛も胸の痛みも鋭く尖り大きくなっていく。
身体も、異常なまでに熱い。まるで身体の中にある火山が噴火するのかといわんばかりの熱量。
そこでようやく、ベルズは思い至る。これは、この痛みは、何なのかに。
「私はお兄さまが大好きでした。私の知らない事をたくさん教えてくれたお兄さまが。本当はお兄さまが家を出ようとした時も一緒に行きたかったのですが、両親にそれを許していただけず……あと数年して、大人になれば自由にしていいと仰ってくれたので去年、成人してすぐにお兄さまを探す旅に出たのです。そしてついに、見つけました」
どうして他人の話を聞いているだけでここまでベルズが苦しむのか、ようやく思い出した。
隅の方へと追いやっていた過去の記憶を探り、なぜフリッグという名に心当たりがあるのかを理解した。
そう、フリッグとはベルズの――
「それで、ようやくちゃんと思い出せました。お兄さま、家を飛び出す時に『次に俺に会う時は俺がヒトから魔王へと生まれ変わった時。そう、その時には――俺の事は、暴食の魔王、ベルズとでも呼んで貰おうか』と、仰ってましたものね。ごめんなさい、私ったら気が利かなくて」
「や、やめろ! もういい! もういいから!!」
「そんなに遠慮なさらなくっても。ベルズという名を名乗っておいでなのですから、もう魔王として生まれ変わられたという事なのでしょう?」
リギアがフリッグの去り際の台詞を再現し始めた辺りでとうとうベルズの全てが限界に達した。
赤熱した鋼の如く顔を真っ赤にして涙ながらにリギアを止めにかかるも、追撃が見事に突き刺さりその場に倒れ伏す。
叩き付けられるように床に倒れたベルズを心配し、話に聞き入っていたカトレアが駆け寄ってくる。
「し、心配しなくていい、これはちょっと、俺個人の問題で……」
「大丈夫ですか、暴食の魔王、ベルズさん!?」
唐突な不意打ちを受けてベルズは一瞬気を失いかける衝撃に襲われた。死体蹴りとはまさにこの事だろう。
「お前、それ、わざと言ってるのか……?」
「ご心配なさらなくとも大丈夫です暴食の魔王、ベルズさん! 私はかっこいいと思いますし、センスもあると思いますよ!」
精一杯のフォローなのかと思ったがカトレアの目を見るに本当にそう思っているようだった。
だが嘘であれ真実であれ、言葉とは時に凶器に変わるのだ。ベルズの精神は今四方八方から針を突き刺された達磨のように傷だらけになっている。
このままではベルズの精神が、身体が死んでしまうのではないかというほどの苦痛を必死に堪え、ベルズはなんとか立ち上がった。
「や、やめろ、もうそれ以上言うな。……確かに、俺はベルズと名乗っているしリギアの話にも心当たりはある」
「ああっ、やはり貴方はお兄さまだったのですね……!」
そう言って瞳をうるうるとさせながらリギアがベルズの元へ抱きしめようと駆け寄る。
だが、と言って片手でリギアを制し、言葉を続ける。
「心当たりは確かにある。あるにはあるが……俺はお前の兄では、フリッグではない」
ベルズの言葉を聞き、リギアは理解できないと首を振る。
「申し訳ありません、お兄さまの言う事は私には難しくてよく理解できませんでした。それは一体どういった意味で……?」
「お前の兄は、もう死んでる」




