第12話 家族なんていない
「あー、クソ、あそこで目を離さなけりゃあなぁ……」
ロメリアを取り逃し、アルスと共に逃走を許したベルズは食堂のテーブルに突っ伏し愚痴をこぼしていた。
カトレアの分の食事だけ用意し、もはや何の役にも立たない後悔を続けている。
「そもそもなー、敵意の有る無し関係無しにブッ殺した方が手っ取り早いんだよなあ、今度からそうしようかなあ」
「そ、それじゃあベルズさんに用事のある人まで巻き込んじゃいますよ」
カトレアは皿に乗せられた焼いた肉をナイフとフォークで上品に切り分けながらベルズの話に付き合っていた。切り分けられた肉を口に運ぶ動作さえも、流石お嬢様というべき品の感じられる所作だ。
「まー心配しなくても俺に用のある奴なんて俺に殺されるために来るような奴だけだからな、その辺は配慮しなくて問題ない」
突っ伏したまま手をひらひらさせてカトレアに返す。
友好的な関係を結んだ覚えのある人間自体一人もいないのだから、人型なら問答無用で殺してもベルズには何の痛手もない。
あまり無差別にそんな事をしていると必要以上に敵を作り、厄介な相手に目を付けられる可能性があるので本当はあまりしたくないが。
ともかく、狙った獲物にあと一歩という所で逃げられるのはベルズにとって想像以上に苛立つものでもあった。
「で、でも、もしかしたらベルズさんのご家族とかがいらっしゃったりするかもしれませんし……」
「家族? いやいや、俺に家族なんて……ん、あれ? いる、のか? 」
カトレアの問いに家族などいない、と返そうとしたがいないという訳でも無いかもしれない。
ベルズの種族は同族同士で子孫を残したりはしないので家族と呼べる存在は無い。しかし人間の場合は実際に血のつながりがなくとも兄弟とか家族という表現を使う事もある。
ならば同じ種族の者であれば、兄弟、もしくは家族と呼んでも差し支えないかもしれない。
「うーん……まあ、いるって言えばいる事になるかもしれないが、いや、やっぱこれは違うか」
「いらっしゃるのですか!? それなら是非とも、ご挨拶したいものですね」
ベルズの微妙な肯定にカトレアは嬉々として返してくる。きらきらと目を輝かせながら手を組んで祈るように空を見ていた。
カトレアの考えているものとベルズの一応家族と呼べるようなものとでは随分と意味が違うのだがカトレアは特にその辺りには気付いていないようだ。
「え? あ、ああ、まあ、会う機会があるかは知らんけど、会えたら好きにしていいんじゃないかな? 」
そもそもベルズの仲間がどこにいるのかはベルズにもわからないので、会うことはまずないだろう。
少なくともベルズの種が苦手とする水が多量に存在する海に浮かぶこの島までわざわざやってくる事などありえないため、ここにやって来る者にベルズの仲間が混じっている可能性は考える必要がない。
「よろしいのですか!? では、いつベルズさんのご家族と見えてもよろしいよう、今まで以上に身嗜みは整えておかないとですね! 」
そう言って決意を新たにするカトレア。ナイフとフォークを握り締めてやる気の満ち溢れた表情のカトレアは、その部分だけ見れば可愛らしい子供のようでもあり微笑ましいものだ。
間違いなくカトレアの解釈とベルズの解釈とでは大分齟齬があるのだが、面倒なのでベルズは訂正せずに流す事にした。
カトレアの考えているベルズの家族と会うという可能性はまず無いものなのだし、わざわざ訂正しなくても問題ないだろうと考えて。
「……おう、そうだな。まあ頑張ってくれ」
「ええ、今まで以上にベルズさんにふさわしい素敵な女性になってみせます! ……それと、ベルズさん。一つお聞きしたいのですけど」
半分ほどまで食べ終えた食事にカトレアが目を落とし、ベルズに質問を投げかけてくる。
「これって、何のお肉なのでしょうか」
ロメリア達との戦闘から一週間が経った。
あれから暫く経つというのに、一向に新手が現れない事を見るにロメリアはやはり道中で力尽き果てたのだろう。
カルム、ロメリアと連日連戦だったので、最初の二日三日はベルズもいつ次が現れるのか、既に自分の居場所は割れているのではないかと警戒して深くは眠れなかったが、四日、五日、と経つに連れてああきっと偶然だったのだろうと安堵し、最近はグッスリだ。実際に偶然だったのだが。
カトレアの方はというと最初からその事にそれとなく理解がいっていたのかあまり深刻には考えておらず、楽観的な方であった。
それよりも自分が食べているのは何の生物の肉なのかという事に対しては非常に真剣に考えている様子だ。ベルズにも何なのかはわからないので答えは聞かれる度適当にはぐらかしている。
とはいえ出されれば残さず食べる。今日も自身に出された食事の原材料が何なのかについて宇宙の謎を紐解くかのような面持ちで考えながら口に運んでいる。
しかしだんだんと食べる速度が下がり、三口目程でナイフとフォークを置き、カトレアはベルズを心配するような声色で話し掛けた。
「……あの、ベルズさん」
「ん、どうかしたか」
「えっと、その。……私の食事を用意して頂けるのは嬉しいのですが、ベルズさん自身の分が見当たらないのですけれど」
そう言ってベルズの座るテーブルの方へ視線を向けるカトレア。
言葉通り、そこにベルズの分の食事は置かれていない。今食事をしているのはカトレアだけだ。
ベルズの家にカトレアが来てからずっと、カトレアはベルズが食事を取っている光景を見た事が無かった。
それでもベルズの顔色は健康そのものだったし、栄養不足という様子も見られないが一週間もそれだと流石に不安になってくる。
「もしも食料が殆ど無いと言うのであれば、私の分は減らすか、無くすかしていただいて構いませんので、ベルズさんも何か食べて下さい。いつか倒れてしまうのではないかと気が気でなくて……」
食べ掛けで申し訳ありませんが、と言ってカトレアがベルズに食事を差し出してくる。
顔を見ると、カトレアは本当に申し訳無さそうな顔をしていた。それを見てベルズも同じような顔になる。
「あ、いや……別にもう食べる物が無いとかじゃない。それは腐るほどあるから気にしなくていい」
まあ腐らないのだがと心中で呟いて差し出されたカトレアの食事を送り返す。
気にしないで食べてくれていいとベルズが言うも、カトレアは納得できていない様子。
本当はもう底を突きかけているのを誤魔化しているのではと思われてしまったのだろうかとベルズが考えていると、もしかして、とカトレアが呟いた。
「……もしかして、私と食事を共にするのは不快、という事でしょうか? 」
そう呟くカトレアの表情は、怖がるような、悲しむようなものであった。何と言うか、これから捨てられに行くと分かった猫のような。
それを見てベルズは慌てて本当の話をする。
「いやいや、そんな事はない! 言ってなかった俺も悪いんだが、俺は食事をしなくても平気なんだ! 」
「そうなのですか……?」
「ああそうだ。食べようと思えばまあ、食べられなくもないんだが必要ないって言えば無いし……それに何だ、今はちょっと食事制限とか、ダイエットとか、そんな感じの時期だからなおの事食べないだけで、お前と食事するのが不快とかって訳じゃないからそんな顔するな」
泣き叫ばせると決めた相手やベルズに危害を加えようとする相手がこういう表情を見せてくれるならベルズも歓迎するが、そういったつもりのない者からこう不意打ちを貰うとベルズはちょっと脆くなる。
だからといって嘘を吐いた訳でもない。食べ物を食べずとも吸収した生物の生命力が続く限りは何も食べなくともベルズは飢え死にはしない。
話を聞いていたカトレアの曇り顔にも、ようやく日の光が差し込んできた様子だ。
「……なんだ、そうだったのですね! 良かった。もしかしたらベルズさん、私の事喋る害虫くらいにしか考えてないのかなって考えたら、泣きそうになっちゃいました」
少し震え気味の声でそう言いながら指先で目の端の涙を拭い取るカトレアを見て、ベルズは平静を取り戻し始めた。
「流石にそこまで思っちゃいないよ。普通に一人のエルフの女の子として見てるし」
「……!」
虫ではなくてちゃんとした知能を持った意思疎通のできる相手だと思っている、というような意味のつもりで言ったのだが、ベルズは何か違和感を感じた。
少し考えれば誤解を招く表現だったと思い至るのだが、ベルズは対人経験が少なく、何かおかしいとは思いはしたがすぐには気付くことができなかった。
ようやく違和感の正体に気付いたのは顔を赤くし、暫く口元を両手で覆って硬直したように動かなくなっていたカトレアが再起動し、両手をベルズの両手に重ね合わせ、紅潮した頬と潤んだ瞳でじっとりとベルズを眺めはじめたあたりからだった。
「ベルズさん……! 」
「いや、違う。ちょっと表現に誤解を招くものがあったが、そういう意図で言ったつもりじゃ」
「ベルズさん……!! 」
熱の篭った瞳と声でベルズの名を壊れたレコードのように繰り返しながら、ベルズの両手を握ったままテーブルを迂回してカトレアが迫ってくる。
その熱意に思わずベルズはたじろぎ後退するとカトレアはベルズが一歩下がり遠ざかるとその差を埋めんとすべく二歩進む。
繰り返される二進一退の末にベルズは壁まで追い詰められ、カトレアも逃がさないとばかりに顔を上気させながら獲物を締め上げる蛇のようにピッタリとベルズに密着する。
「あ、あの、カトレア……さん? 」
「嬉しいです……! ベルズさんが、そんな風に私の事を見ていてくださったなんて……! 私もベルズさんと同じく、ベルズさんの事を一人の男性として愛しています……!! 」
「いや俺はそこまでは言ってな、近い! カトレア、顔近い! 」
カトレアの息が顔にかかるほどの距離。どちらかがあと少し顔を前に出せば唇と唇が触れる程度にしか間にはない。
少し引いた目線から見れば躊躇う事の無い状況かもしれないが、ベルズからすれば蜘蛛の巣に絡め取られて喰われるのを待つ虫の心境だ。
このまま流れに身を任せてみてもいいのかもしれないが、ベルズとしては出来れば逆らいたい流れだ。
カトレアの言う愛が本物かどうか……は、まあ行動から考えると大分真に迫るものを感じさせはするが、ベルズの方はそうではない。
今の所カトレアに嫌悪や不快な感を覚えはしないものの、好意を抱いているわけでもない。
嫌いではない、かといって好きでもない相手と……と言うのはベルズとしては気が引ける。
カトレアの真剣な気持ちにはベルズも真剣で応えたい所だが、今のベルズにはそのために抜き放てるような真剣な思いを持ち合わせてはいなかった。
せめてこれ以上身体と身体が触れ合う前にカトレアの気持ちが変わる事を祈りながら必死に顔を上の方へ伸ばそうとして時間を稼ぐ事しか今のベルズにはできなかった。
「良いではありませんか、良いではありませんか……! 」
「ま、待って、こっちは心の準備とかできてないし……! 」
ああこれじゃあ性別が男女逆だな、などと半ば諦めながら考えていると、音が聞こえた。
かすかにだったが、少し離れた所、玄関の扉が開けられた音が。
「……? ベルズさん、どうかされましたか? 」
突然動きの止まったベルズを不審に思いカトレアが尋ねてくる。カトレアには聞こえていなかったようだ。
「久しぶりの来客みたいだ。出迎えてくるからカトレア、今回はここまでって事で」
本来ならまたカトレアを捜しに来た奴か殺されるためだけにやって来た馬鹿かと面倒に思うところだったが今はむしろ最高のタイミングの来訪にベルズは感謝していた。
これ幸いとばかりにカトレアを引っぺがして迎え撃ちに向かう。
「そ、そんなあ……まだ何も始まっていませんでしたのに……」
ベルズは自身の何かが終わってしまう前で本当に良かったと心の中で胸を撫で下ろしていた。
がっくりと膝を付くカトレアに、安全になるまではあまり動き回らないように忠告してからベルズは玄関へと向かった。




