第11話 ひとときの幻
「待たせたな。水と食料と、それから道に詳しい奴を連れて来たぞ」
そう言いながらベルズが手に持った水の詰まった大瓶と肉を渡してやる。ロメリアも何の肉なのか非常に聞きたそうな目をしてこちらを見てくるが、ベルズは無視する事にした。
早速カトレアに道案内を頼もうかと思ったが、思いのほか純情な所もあるらしく真っ赤になって固まっている。
仕方なくカトレアが動けるようになるまでベルズはロメリアと当たり障りのない話をして場を繋ぐ事にした。
「腹空かしてるんだろうからちょっと多めにくれてやるけど、だからって妹の分だけ少なく分けたりとかするんじゃないぞ」
「……妹?」
「ん、ほら、後ろにいるだろ。……ああ、背が低いから妹かと思ったけど、もしかしてお姉ちゃんだったか? はは、そりゃあ失敬失敬……」
出来る限り場を和ませて穏やかな雰囲気を作ろうとして冗談めかした口調でベルズはおどけてみせたつもりだったが、ロメリアはすこぶる不快そうな表情を見せる。まるで竜の逆鱗にでも触れたかのようだ。
「……こんなポンコツ、お姉ちゃんなわけがないじゃない」
軽く後ろにいる女に視線をやりながらそう呟いたロメリアの口調からは、憎しみが、怒りが、ありありと感じられる。それはもはや殺意にすら近いものだった。
当たり障りのない話を、と考えていたベルズだが、当たっている上に障ってしまっているようだ。非常に険悪なムードが漂うのを感じる。
ベルズが何か言うべきか言葉に詰まってしまい出してから少しして、ようやくカトレアがこちら側に戻ってきた。
「おおカトレア、気が付いたか。丁度いいタイミングだ! 」
「はっ。ベ、ベルズさん、ここは……」
多少悪い空気が広がり始めてはしまったがこれで話は進められる。進めていくうちに、すぐに空気も入れ替えられる事だろう。
「その子が道を知ってるの? なら、とっとと本題に入りましょ! さあ! 」
ロメリアもそれを察してくれたのか、早く教えてくれとカトレアにせがみ始めた。
「え、ええ。それでは地図をお貸しください」
グイグイと迫ってくるロメリアに押されつつカトレアは地図の催促をする。
それに頷いてロメリアは携帯していた地図を差し出し、カトレアがそれを広げると眉をひそめて唸り出した。
「うーーん……? 」
「あー、やっぱりわかんねぇか? 」
ベルズもそうだろうとは予想していたが、やはり少々無理難題が過ぎたようだ。
結果自体はベルズはある程度わかっていたのでどうこう言うつもりはなかったが、ロメリアの方はそうもいかないらしい。
「ちょっと、どういうこと!? この辺に詳しいんじゃなかったの!? 私に嘘吐いたって事!? 」
「い、いや、そうじゃなくて、俺よりは詳しいかなーと思って呼んで来ただけで……」
「聞いてないわよそんな事ッ!!! 」
ベルズに掴みかかり、烈火の如く怒りの声を飛ばすロメリアを見て、慌ててカトレアが訂正に入る。
「ああっ、ごめんなさい! わからないわけではなくてですね、ちょっと時間がかかりそうなんです! 」
「……嘘じゃないでしょうね」
カトレアの言葉を聞きロメリアが止まった。そしてフーフーと息を吐きながらカトレアの方を凄まじい形相で睨みつけている。
「も、もちろんです。少しお待ちいただけたら必ずお教えしますので、そんなに睨まないでください……」
ふんと鼻を鳴らし、掴んでいたベルズを離す。そのままロメリアはその場に座り込んだ。
ベルズが解放された事に安心したのかロメリアの機嫌を損ねずに済んだ事に安堵したのか、ふうと息を吐いてからカトレアは再び地図へと視線を戻した。
静寂が訪れる。ベルズも静かなのは嫌いではないが、この沈黙は少し重く感じた。
「あ、あのさ、お前はわざわざ舟に乗ってどこに行こうとしてたんだ? 」
その重圧に耐え切れなくなり、ベルズはもう一度、ロメリアと軽く話をする事にした。
この空気を作り出してしまった原因の大半はベルズ自身にあるし、少しでも雰囲気を明るくしなくてはと考えたのだ。
「なんでそんな事、アンタなんかに言わなくちゃ……っ、ゴホッ、ゴホッ」
急にロメリアが咳をした。手で口を押さえ、咳が止まるとロメリアは自棄気味に小さく笑った。
「……はは、ま、いいや」
途中までは離す気がなさそうな口調だったが気が変わったのか、ロメリアは話してくれるようだ。
「最近さ、どっかの貴族のとこのお嬢様が誘拐されたらしいんだよね。……で、誘拐犯をぶっ殺して、無事にお嬢様とやらを連れ帰ったら望むだけの金をくれるとか言う話。ただ、私も噂程度に聞いただけだから誘拐犯の特徴とかを知らないから、もっと詳しく聞こうと思ってその貴族の両親のいる町まで行こうとしたんだけど、そしたらこの通り海に放り出されててね」
肩を竦めてそう語るロメリア。ロメリアの言葉を聞いてすぐ、ベルズは一瞬硬直してすぐさまカトレアの方に視線を向けると、カトレアもベルズと同じような感じで固まって冷や汗を流しベルズの方を見ていた。
迂闊すぎた。ベルズは遭難者だと聞いてただの一般人かと思い込んでいたがそんな事はなかったのだ。
幸いな事に誘拐されたのがすぐ傍に居るカトレアとは気付いていないようだが、危ない所だった。
既に誘拐されたのが誰か知っていればベルズは先手を打たれていただろうし、火炎の魔術を使える人間だったら不意を突かれて殺されていたかもしれない。
「へ、へえーそうなのか。見つけられるといいな……はは」
乾いた笑いを零しながらそれだけロメリアに言って、出来る限り不審がられないようにソロソロとベルズはカトレアの方へと歩いていく。
「……すまん、追っ手だったみたいだ」
「ええ、その、私も聞いてましたので、知ってます……」
声を小にしてひそひそと話す。少しむっとした声ではあったが、声色から察するにどうやらカトレアはベルズの無鉄砲な行動をそこまで責めてはいないようだ。
それでもベルズは酷い失敗をした以上は当然の事だが、カトレアに謝罪する。
「その、すまなかった。別に知っててわざと連れて来たわけじゃないんだ。普通の一般人かと思い込んでて……」
「いえ、私もそんなに怒ってないですから、気になさらないでください。……それに、昨日の事もありますし、今回はこれでおあいこという事で」
でもこれからはちゃんと何かするときは先に説明してくださいね、と付け加えてからカトレアが微笑んだ。
ベルズもそれに対して頷きを返し、もう一度小声で話し始める。
「ああ、約束する。これからはちゃんと……」
聞かれては困る内容だったので仕方ないのだが、明らかに不審な二人のその姿にロメリアはいぶかしんで声をかけた。
「ねー、あんたら何の話してんのー? 」
「あー!! いや、なんでもない!! ちょ、ちょっとした世間話だから気にしなくていい!! 」
慌ててベルズが言い訳をすると、不審がりはしたものの、それ以上は追求しては来ないようだ。
怪しいと言いたげな顔をしてはいるが、納得してくれたのか連れの女となにやら話を始めたようだ。
それを確認したベルズは再びカトレアとの内緒話を再開する。
「……とにかく、カトレアが件の誘拐されたお嬢様だって事は隠し通す。難しいかもしれないができるだけ自然に振舞ってくれ。そうしたら俺が隙を突いてあいつらを殺す」
「わかりました、やってみます」
ロメリアの目的がベルズの命であるとわかった以上は生かして帰すわけにはいかない。
仮に生きてここから逃げられてしまった場合、確実にロメリアは戻ってくるだろう。たくさんのお仲間を連れて。
十数人程度の数ならベルズにもどうにか対処できるだろうがロメリアが万全を期し数千の規模の軍団を連れて来た場合はそうもいかない。
そこまでの人脈がロメリアにあるかは不明だが、ベルズにかけられているという報酬の話をすれば集まってきてもおかしくはない。
それにしてもいくらでもと来たか。随分とまたカトレアは両親から寵愛されているらしい。
しかし娘のためとは言えそこまで出せるとは凄い事だ。カトレアの両親はひょっとすると相当名の知れた貴族なのかもしれない。
ベルズは想像している以上に恐ろしい相手を敵に回したのかもしれない。だが今はそれは深く考えない事にした。
軽くカトレアと打ち合わせをしてから、ロメリアの方へ戻った。
「いやあ、悪いな。もうすぐカトレアの方も道がわかるそうだからもう少しだけ待っててくれ」
できるだけ怪しまれないように気を付けつつにこやかにロメリアに近付くベルズだったが、ロメリアの様子が少しおかしい。
連れの女の影に隠れるようにして凄まじい形相でベルズを睨みつけている。
「……? おい、どうしたよ? 」
「……あんたさ、壁に耳あり障子に目ありって言葉知ってる? 」
そう言い終わるや否や、ロメリアの前に立つ女が握り締めた拳を振り上げ、頭部めがけて凄まじい速度でベルズへと襲い来る。
避けられないほどではなかったものの回避すればカトレアへ攻撃がが向かう可能性を考慮し、ベルズはその豪腕の一振りを受け止めた。
ガギン! と鋼と鋼を打ち合わせたような音が響いた。ベルズは受け止めた一撃を両腕で掴んで振り回し、ロメリアの方へと投げ返す。
「ッ! いきなり何しやがるッ!? 」
「ふん、随分とおとぼけてくれるじゃないの。……コイツは、アルスは私の姉としては出来損ないの成り損ないだけど、兵器としては悪くない出来なのよ」
よく見れば、確かに人間ではなかった。アルスと呼ばれたモノは人間ではなく機械の人形だった事に今ようやくベルズは気が付いた。
「おお、言われてみりゃあ確かに人間じゃあないみたいだな」
「……気付いてなかったっての? こんな機械丸出しの顔付き、見分けがつかない以前の話だと思うけど」
「うっ、うるせえなッ! 俺からしたらあんま大差ねぇんだよッ! 」
言われて思い返せば、目は赤く光っていたし、人にしてはやけに鉄っぽい顔色だった。
明らかに人ではなかったのだが、ベルズはまあそういう人間もいるんだろうとあまり考えずに見過ごしてしまったのだ。
「その話はもうどうだっていいけど。あんた達の話はコイツの集音機能を使って聞かせてもらったわ。えーっとベルズだっけ。あんたには死んでもらうわ」
そう言ってロメリアはベルズから距離を取った。そしてその間に立ちはだかるようにアルスがベルズと対峙する。
「やれやれ、酷い奴だ。せっかく水と食料をくれてやったのに恩を仇で返そうなんてな」
「聞いてたって言ってんのによくもまあぬけぬけと。不意を打って騙し討つつもりだったくせに」
ベルズの嘆きに対してロメリアは親指を地面へと向けながら返し、アルスへと命令を下す。
「それじゃお姉ちゃん、そいつ殺して」
「了解しました」
お姉ちゃん、と言う部分だけ躊躇いと不快感の混じった口調の命を受けてアルスが電子的な音声で返事をし、赤く光る視線をベルズへと定めた。
ロメリアが離れた距離からこちらを見ているだけと言う事から考えて、最初ベルズは魔術師かその他の遠距離攻撃を得意とするのかと思ったがそうではないようだ。
魔術の触媒を取り出す様子も、飛び道具を構える動作も、呪文の詠唱を行う気配も見せない。
そして、どちらかと言えば戦うというよりもいざという時は自分だけでも逃げるつもりだと言わんばかりに援護ではなく逃走の隙を窺っているように見える。
その構えと服装を見れば、警戒するに値しないとわかる。何か隠せるとしてもあのボロ布のスカートの中くらい。そこにガトリング砲でも隠れていれば多少は脅威かも知れないがそんな人間そうそういるものではない。
かといって逃げられては援軍を呼びに行かれる可能性が非常に高い。殺す優先度としては最優先するべき存在だ。
反対にベルズを殺すように命令を受けているアルスは後回しで問題ない。機械は与えられた命令を実行するだけのもの。ロメリアが逃走を命じなければ逃げる事はないし、ロメリアさえ死ねば破壊は容易だと考える。
だから、ベルズは最初にロメリアから潰す事にした。
「カトレア、流れ弾だけ貰わないよう気をつけててくれ」
「は、はい。わかりました」
カトレアに死なれて困るのはベルズもロメリアも同じだ。ベルズはカトレアを避難させてから改めてロメリア達と向かい合う。
「……さてと、それじゃあお前らに悪夢を見せてやる。手も足も出せない恐怖、お前らにも見せてやる」
ロメリアはベルズを殺す事を宣言したが、当然ベルズはそれを良しとしない。
昨日と同じく自分の身を守るために、二人には死んでもらう。
アルスがどれほどの強さを誇るのかは不明だが、先程の奇襲が全力とあらばベルズには負ける要素がない。
そして奇襲に加減を施す事もあるまい。そう考え、その全力を容易く返せると判断したベルズは捕食者の表情を浮かべる。
「ふん、言ってくれるじゃないの。さっきはうまく防いだみたいだけど、コイツの攻撃は人が食らえば一発で粉微塵に変わるのよ。そう何度も上手くかわせるだなんて思わない方がいいんじゃない? 」
「ハッ、そんなもんおととい来やがれってんだッ! 」
ベルズが笑い飛ばすと同時に、アルスの豪腕が風を切り裂き豪速で迫り来る。
当たったところで人並み外れたベルズはどうという事でも無いのは分かっているが今度はあえて避ける。
アルスの腕がベルズの肩に叩き付けられる直前の所で、ひらりとかわしてみせた。まるで、空を舞う蝶のように。
「ッ!? かわしたッ!? あの距離で!? 」
直撃を確信していたであろうロメリアは突然の出来事に激しく動揺している。
その驚愕振りを見てベルズは昨日の自分のそれと重ね合わせ、そのロメリアの姿に対し楽しそうに表情を歪めてみせた。
「くくくっ。そうそう、そういう反応だよな。俺もあの時はビックリしたもんだよ」
ベルズが見せたのは、昨日のカルムが見せたあの舞踏。
蝶が舞うかのようにあらゆる攻撃を回避するその舞踏は見よう見まねで会得できるものでは決して無い。
だがカルムを吸収したのは、ただ肉の壁として身を守るためだけではない。
取り込んだ生物の身に着けた技能を、魔力を、そのモノの全てを自身の力として体内に取り込むのだ。
当然取り込んで自分の物となった力の全ては内側にて眠らせるだけでなく、取り出して行使する事もできる。
だからベルズの見せた舞踏は寸分違わずカルムのものであり、今はその全部がベルズの物でもあるのだ。
「ま、あの時と違う所があるとしたら、今度はこの舞いを破る手段が無いって事くらいだろうな」
舞踏を使うついでにカルムの記憶を覗き見てみると、本当にこの舞いが破られた事はなかったようだ。
銃弾すらもかわせるし、ほぼ光速と同じ速度の攻撃さえもかわせるらしい。可愛らしい名称とは裏腹に大分凶悪な舞いだ。
攻撃を避けられたアルスは即座に二撃目を放つ。それもまたベルズには触れることすら叶わずに空を切る。
「ははははっ、どうしたどうしたぁ! 当てられたならノーガードで食らってやるぞッ!? 」
まるで怒るかのようにアルスは瞳の赤い光を増幅させ、激しい乱打をベルズへ繰り出すも一つたりとも当たりはしない。
両腕を大きく拡げ、当てて見せろと挑発すると、アルスの攻撃速度はどんどんと上がっていくもやはり全てが届かない。
その光景を見続けていたロメリアの元々悪かった顔色がより一層悪くなっていく。
「う、嘘でしょ……そんな、一発も当たらないだなんて、そんなこと……」
「なんだよ、出来損ないだのポンコツだの散々言ってた割に随分と度肝を抜かれてるみたいじゃないか」
多分、ロメリアにとっていくつもの修羅場を潜り抜けて来た相棒のような存在なのだろう。
その攻撃がいとも容易くかわされれば、本当にロメリア自身に何も力がないのなら今頃さぞ恐怖し、怯えている事に違いない。
ベルズはそれが大好きだ。自分の持つ力と、希望と、その全てをへし折り打ち砕かれ、絶望しながらも必死に生きようと足掻く姿が。
一番好きなのは最後にそれを摘み取る瞬間だ。全てを奪い、最後に命を奪う。
「いやあ、俺を殺そうだなんて考えなければお前も死なないで済んだだろうに、残念だなぁ」
攻撃を続けるアルスを無視し、ロメリアの方へとゆっくり歩いていく。
ベルズが進むのに合わせてロメリアも後ずさる。ロメリアの目は泳ぎ、額からダラダラと汗が流れ落ちていた。
「そ、それはこっちの台詞よ。残念だったわね、私は病気でもうすぐ死ぬの。報酬で治療のための薬を手に入れるつもりだったけど、アンタを殺せそうにないのもわかったし、諦める事にするから……するから、お願い見逃してっ」
そう言って浜辺の方に向かって走り出すロメリア。だが10秒もしないうちに立ち止まりゴホゴホと咳をし始め、それを押さえる手の隙間からドロドロと血が流れてくる。
しかしベルズにはそんな事は関係ない。恐ろしい速度でロメリアへと迫り、アルスはそれに反応できずに大きくベルズから突き放された。
ロメリアの元へと走る間に右手の平から銀色の液体が溢れ出し、カルムから奪い取った剣の形を取る。
血を吐きその場に座り込んだロメリアの首元へとその剣を当てると、ロメリアは上を向きベルズを見た。
「駄目だ」
「あはは、ちょっと容赦なさすぎるんじゃないの。……見ての通り、ほんとにもうすぐなんだけど」
言っている間にもロメリアの口からは血が流れ出して止まらない。
瞳も少し濁り、体にもほとんど力が入らないようだ。おそらく、この島までやって来た時点で既に限界が近かったのかもしれない。
ロメリアの言葉通りにこのまま逃がしてやった所で増援を連れてくる前に力尽きる事だろう。
「いやそうかもしれんが、俺を殺すと言った以上は楽には死なせないぞ? できるだけ産まれてきたことを後悔させてやるような痛みを与えてから殺してやる」
「ああ、そう。……まあ、やるならもう好きにしていいわよ。もうほとんどなんにも見えなくなってきてるし、そんな事してる時間ないかもだけど」
そう言ってロメリアは祈るかのように天を仰ぎ、瞳を閉じた。
ベルズは両手で剣を持って振りかぶり、刃をロメリアの顔面中央へと狙いを定めた。
「いい度胸じゃねぇか。それじゃあ頭っからケツまで串刺しに――! 」
高く掲げた剣を振り下ろそうとするその直前、ベルズの体に衝撃が走る。
アルスがベルズに追い付き、強烈なタックルでベルズの脇腹に突っ込んで来たのだ。
それなりの距離を離し、今更追いつかれた所で何もできないだろうと舞踏を中断していたので、転倒まではしなかったものの大きく横にスライドするように押し込まれてしまった。
アルスを振り解こうと腕を引き剥がしにかかるが最初の殴打からは考えられないほどの力でガッチリとベルズにしがみついていて離せない。
「……ッ! この、一番いいトコで邪魔しやがってッ! 離せ、この鉄クズがッ!! 」
振り上げたままだった剣をアルスの背中に思い切り突き刺すと、ようやく拘束が緩み、ガガガガと音を立てながらその場に膝立ちの姿勢で硬直した。
お楽しみを妨害され不快な気分のベルズはアルスの顎の部分を蹴り飛ばし、粉砕した。鉄の仮面の下のパーツがあらわになり、バチバチと音を立てながらアルスはロメリアの方へと吹き飛ぶ。
「チッ、水差しやがって。折角途中までテンション最高潮だったってのに。……まあいいや、仕切りなおしだ。今度こそ見事な串刺しにして――」
片手で顔を覆い、さて再開といこうかとベルズがロメリアの方へ向き直ると、すでにそこにはロメリアもアルスもいなかった。
だがロメリアの残した血痕が浜辺の方へと続いており――
「クソッ! 逃げられたッ! 」
目を離したのは一瞬だったが既に二名の乗った舟は遠くの方まで進んでおり、もはや追いつくのは不可能な距離だった。
あの状態では今更どこへ逃げようと結末は変わらないだろうが、ベルズは目の前に出された好物を通りすがりの動物に掻っ攫われた気分になり、その怒りを足を通して地面に叩き付けた。
「ごほっ、なんで……」
ロメリアが目を開くとそこには闇が広がっていた。
まだ日が落ちたわけではないのだが、ロメリアの目にはもう何も映らない状態になっている。
体も動かず、ずっとズキズキ痛んでいた頭も今はなぜかクリアに感じている。
「助けろだなんて、私、言ってない、のに」
アルスがいるであろう方へ向かってロメリアがそう言うと、何かがロメリアの頭を撫でた。アルスの手だ。
「……なによ。そんな事しろなんて、命令してないわよ。なんの、つもりで」
「――ロメリア」
アルスの声を聞いた途端、ロメリアは驚愕した。それは今までアルスが響かせていた電子音声とは違う、それでいて聞き覚えのある声だった。
ロメリアにとって大切で、大好きで、大事な、かけがえのない人の声。
「っ、お、お姉、ちゃん……? 」
確かに、間違いようがない。それは昔に幾度となく聞いたロメリアの姉の声だ。
それに気付くとこの頭の撫で方も姉と同じだという事に思い至る。とても懐かしい気分だ。
「ああ、そっか。私、もうすぐだから一足先に来てくれたんだ、お姉ちゃん。ありがとね。……でも、お姉ちゃんがお迎えに来てくれるんだって分かってたら、もっとちゃんと綺麗な服、着てくるんだったなあ。こんなカッコじゃ、恥ずかしいよ」
「大丈夫よ、ロメリア。もう何も心配しなくていいから、これからはお姉ちゃんが一緒にいるから、ね」
アルスがロメリアの体を抱きしめる。本来は機械で出来たゴツゴツとした感触のはずだが、ロメリアには姉の身体が優しく自分を包み込んでくれているようにしか感じない。
ロメリアの体の感覚がおかしくなっているのか、それとも本当に姉に抱きしめられているのか、ロメリアにはもうどうでもいい事だった。
「うん、そうだね。行こ、お姉ちゃん。お父さんとお母さんもいるんでしょ? 」
「ええ。でも、二人ともビックリしちゃうかもね。いつの間にかロメリア、お姉ちゃんより大きくなってるんだもの」
「あ、そうなの? 私、今何にも見えないからわかんないや、あはは」
自分では今笑ってみたつもりだったが、今自分の表情が変えられたのかどうかもわからない。
自分がもう死んでいるのかまだ生きているのかも、よくわからない。
少し前までは苦しかったのに今はちっとも苦しいとは思わないから、きっと自分は既に死んでいるのだろうと思ったがそれももう知ったことではない。
今、ロメリアは幸せなのだ。大好きだった姉にまた、会う事ができて。
できれば、もっと早くに出てきて欲しかったが。そうしたらもっと、苦しい事が少なく終われていたのに。
「ま、どっちでもいいや。早く行こうよ、お姉ちゃん」
「もお、どっちでもよくないわよ。これじゃどっちがお姉ちゃんなんだか……もう、いいの? 」
「うん。もういいし、もう無理だよ。私はずっと、お姉ちゃんと一緒にいたかったんだもん。今さら未練なんてないし、お姉ちゃんと一緒がいい」
「そっか。……それじゃ、行きましょ、ロメリア」
「うん、お姉ちゃん――」
波の音だけが響く海の真ん中に、舟が浮かんでいる。
そこには、安らかに眠るような表情で死んでいる少女と、それを優しく抱いた、壊れた人形が横たわっていた。




