甘酒商売
普段はこれっぽっちも信用しないくせに、年に一度、情報番組の物知りぶったコメンテーターの言うことを鵜呑みにしたくなる日がやってくる。やっかいなことに今日がたまたまその日だった。
人間相手の商売はもう古い。今の時代は物の怪を相手に商売すべきだ。コメンテーターがそう言ったので、私もどれ一つ、物の怪相手に商売をしてみようと思い立った。
とはいえ、大きな商売を企てられるほどの資本がないので小さく商売する。借りたのは屋根と障子が市松模様の古風な屋台で私はこれで甘酒を一杯五十円で売ることにした。
幸い町外れには物の怪が出ると評判のうら寂しい竹薮があった。私はこさえた甘酒をたっぷり釜に入れてそれを炭火で温めながら、竹薮目指して屋台を引いた。そのうち国道から外れた道を歩くようになると道の左右で熊笹が足元でカサカサ鳴っていた。そのうち突然薄暗くなったと思ったら、カサカサという音が頭の上から降ってきた。頭を仰ぐと背の高い竹が風に揺らされ、左右の枝葉をもみ手するようにこすり合わせていた。
夕暮れ時の竹薮は暗く、竹の葉は薄闇に隠れてからもカサカサ鳴り続けている。少し広がった場所にほったらかしにされた古いお堂があった。私はそこで店を開くことにした。
「甘酒ェー、甘酒。一杯五十円。甘酒ェーだよー」
声を上げると、りんと鈴の音がして石の地蔵の後ろから小鬼がひょっこり顔を出してきた。小さな女の子の鬼だった。小鬼と言っても、その頭から二本の角が生えていることと赤の着物に黄色い帯を結んでいること以外は普通の女の子と変わらなかった。
「甘酒一杯おくれ」
と、かわいらしい声で言った。小さな手のひらにのせたきらきら光る五十円玉を見せてから、漆塗りの赤いお碗を差し出してきた。私は五十円玉を受け取ると、竹の柄杓で甘酒をすくい、お碗に注いだ。
小鬼は甘酒を大事そうに、少しずつ、ちょびりちょびりと、もったいなさそうに、だがとても美味しそうに飲んだ。甘酒がなくなると、物欲しそうな顔をして、《あまざけ》と書かれた提灯を眺めたり、しゃがみこんで地面の草をむしったりしたりしていたが、私が少し目を離した隙にふいっといなくなってしまった。
結局、その日の客はその小鬼だけで、売れた甘酒は一杯だけ、売り上げは五十円だった。
翌日、情報番組のコメンテーターは自家製の食べるラー油を自慢していて、物の怪商売のことはきれいさっぱり忘れているようだった。しかし、私は忘れていない。客筋というものができてしまったのだ。もちろん、あの売り上げでは何もしないという選択肢もあったのだが、あの小さな鬼の子が美味しそうに甘酒を飲む姿を思い出すと、このまま何もしないのはあんまりではないかという気がしてくる。もしかすると、あの鬼の女の子は私がやってくるのを赤いお椀を持って待っているかもしれないのだ。
結局、私はまた暮れ時に同じ竹薮に屋台を引いてやってきた。
「甘酒ェー、甘酒」
と、呼び声を上げると、またりんと鈴の音がして地蔵の後ろからあの女の子の小鬼がひょっこり姿をあらわした。
「甘酒一杯二十五円。甘酒ェーだよー」
小鬼は明らかに昨日よりも嬉しそうな顔をし、五十円玉とお椀を差し出して、
「甘酒二杯おくれ」
と、鈴の転がるような声で言ってきた。一杯注いで飲み終わると、もう一杯。満足げに、でもまだ足りないといった様子で屋台のぐるりをまわると、小鬼はあらわれたとき同じようにりんと鈴を鳴らしていなくなってしまった。
その日の客はやはり小鬼だけ、売れたのは二杯で、売り上げは五十円。
この二日間でえらい損をかぶってしまった。もう行くまい。そう思いながら、甘酒を仕込む自分がいる。
「甘酒ェー、甘酒。一杯十円。甘酒ェーだよー」
その日の客はもちろん小鬼だけ、売れたのは五杯で、売り上げは五十円。
「甘酒ェー、甘酒。一杯五円。甘酒ェーだよー」
十杯売れて、売り上げは五十円。
「甘酒ェー、甘酒。一杯一円。甘酒ェーだよー」
五十杯売れて、売り上げは五十円。
情につけこまれているつもりはないのだけれど、こういう仕儀に至った。
「まるで貢いでいるみたいだよ」
まったく鬼の女の子ほど甘酒を飲む物の怪はいない、と家で甘酒を仕込みながら、友人相手に愚痴をこぼしていると、友人は私の商売を甘酒商売だといった。
「甘い、甘すぎる。こってこてに甘すぎるよ、きみは」
つまり私の商売に対する姿勢が甘酒並みに甘いということだ。
うまいこと言うな、お前、と言いつつ私は屋台の梶棒を握って走り去った。
そして、竹薮の中でいつものように私は叫ぶ。
「甘酒ェー、甘酒ェ」
りんと鈴が鳴って、いつものように小鬼があらわれる。五十円玉と赤いお椀を差し出してくる。私は半ば捨て鉢になって、
「一杯も百杯もタダ。甘酒ェーだよー」
と、言った。これはもはや商いではなく施しだ。小鬼は五十円玉を引っこめた。私は竹の柄杓を彼女に持たせ、彼女が好きなだけ甘酒をすくい取るのにまかせた。小鬼はなかなか躾けられた小鬼だった。彼女は竹の柄杓から直接飲むことはせず、ちゃんと赤いお椀に入れてから、小さな両手でお椀を持って、こくこくと甘酒を飲むのだった。
甘酒を全部飲んだ小鬼は私の前まで歩いてきた。私は初めて見た。小鬼の顔はちっとも物欲しげなところがなく、すっかり満ち足りているそれであった。
小鬼は帯の中から小さな鈴を取り出して、私の手に押しつけた。赤い紐が結び付けられた銀の鈴だ。
「ごちそうさまでした」
小鬼はそういって、トテトテと竹林の中を走って消えた。
次の日、一応甘酒を仕込んで、竹薮に行ってみたが、小鬼はもう姿を見せなかった。
もうお腹いっぱいなのだろう。私の甘酒商売もここまでだ。明日からは甘くない毎日がやってくるに違いない。銀の鈴一つのためにあれだけの損をこうむった私を知人友人は大いに笑うだろう。だが、当の私は別に困り果てたつもりもなく、余った甘酒を飲みながら、自室の畳に寝そべって、何とも言えぬ期待を抱きながら小鬼からもらった銀の鈴を軽く振った。
りん、と鳴る。
拙作をお読み頂きありがとうございました。
次回1月19日午前7時ごろから二万字ほどの小説「ロザリオ・ロゼッティ」を
上げたいと思います。
もし、よろしければご一読くださいますようお願い申し上げます。