(四)
(四) あけぼの町会館
しんしんと、雪が降る。
函館中が、真っ白に塗りつぶされる。
「暑いーー」
「お疲れ、皐月さん。お餅焼けてるよー。何枚食べる?」
「二枚、磯辺巻きでー」
「磯……?」
「海苔」
「そう言ってよー」
カラカラ笑いながら、若菜が小皿に醤油を取り、ストーブの上に掛けた網から焼きあがった餅を二切れ乗せる。
雪かきを終えた皐月は玄関先でコートに積もった雪を払い、応接室へと入ってきた。
「これね、鈴木さんからもらっちゃった」
「みかんたくさん! わー。大地くん喜ぶねぇ」
「あのひと延々と、みかん食べ続けるからね……」
「鈴木のおばあちゃま、大地くん狙いだよね。貧弱オタク男子にしか見えないのに、需要はあるところにはあるんだなあ」
「聞こえてる。午前中の温泉、俺一人で行くってことで良いのか」
「すみませんごめんなさいドライバーお願いします。お餅何枚食べるー?」
「四枚」
「若菜の分、無くなるじゃん!」
暦は既に、十二月。
なんだかんだと、あけぼの町会館に住み着く若者が三人。
青山 皐月。二十九歳、臨時事務員。来春までの契約だが、状況次第で正規雇用の機会有。
早瀬 若菜。二十歳、凖社員へ昇格。掛け持ちのバイトを辞めたことで、少しずつ生活に落ち着きが見えている。
日高 大地。三十五歳、レンタルビデオチェーン店勤務。相変わらずの深夜勤務多め。市内系列店内での転勤の話はあるが、引っ越しの予定はない。
「来年には、皐月さんも三十路かー。感慨深いですね!」
「越えると楽になるって。早くこっちおいで」
「……あなたたち」
冬の手前。不審者が、この界隈をうろつくということがあった。
警察へ通報し、調べた結果……皐月の就職予定だったオープン前のカフェへ関連しており、真っ当な職種ではないとのこと。
珍しくもないけれど―― 近所の誰かがそう言った。
真っ当な職種でなくたって人は生きている。町の何処かで生活をしている。
それでも、ずっと不安と戦っていた皐月の心の糸を切るには充分だった。
正式にカフェへは就職辞退の旨を告げ、それまでの経験を活かせる職を探した。
「そも、なんでカフェだったんです?」
「なんだかオシャレじゃない。ハコダテのカフェよ。友達にだって紹介できるし」
「皐月さん、お友達いたんですか!」
「失礼ね、居る―― ……」
「青山さん、嘘でも良いからいるって言うところですよ」
「嘘って何よ!」
「函館に来てから、二回り以上年上のお友達が増える一方ですもんねー。あ。再来週のクリスマス会、大家さんにアイディア頼まれてるんだった。何やります? 皐月さん、チキン焼きます?」
カフェ志望仕込みの。若菜の言葉に、今度こそ皐月がクッションを投げつけた。
「皐月さんが怒った! シワ増えますよー」
「夜明け前って時間に、なんで君たちはそんなに元気なんだよ」
二枚目の餅を頬張りながら、大地が呆れて二人を見遣る。
「だって」
「おとなしくしてると、屋内で凍死しかねないでしょう。寝る時が一番寒いのよ、ここ」
気が付くと、大地の帰宅に合わせて三人が揃うことが習慣づいていた。
一日の他愛もないことを話し、軽い食事を共にし、夜が明ける頃に眠りへ就く。
不安がある。
守りたいものがある。
余裕なんかない。
眠れぬ夜を眠らず過ごし、つかず離れずの距離を温める。
いつまでここで過ごすことが許されるかはわからないけれど、次に羽ばたく力を蓄えるための時間を、どうか。
夜が明け、朝日に向かって歩けるようになるまで、この町で。この場所で。
『いいところだよ。一度、行ってみるといい。君もきっと、好きになる』
今は遠い誰かの声を思い出し、皐月は小さく頷いた。
(了)