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(三)

 (三) 日高 大地

 午前二時までの店舗営業。閉店してから事務処理を終え、朝番への連絡事項を念入りに確認してから帰途につけば夏ならば薄っすらと空が明るくなり始める。

 まだまだ闇色の濃い空を遠くに見て車のハンドルを切りながら、今までは必ず寄っていたコンビニを通り過ぎた。

 月極駐車場から数分足らずで、今の住処へ。

 『あけぼの町会館』、古ぼけた看板に似つかわしい、古ぼけた建物だ。

 あかとき荘へ越した時、これ以上の物件は無いだろうと感じていたが上には上があるものだ。

 屋根と壁があって布団で眠れるのなら、恵まれたものだろうと俺は思う。

 生活に必要最低限のものがあって、仕事があって、食べる物があって、何が不満だ。

 最低限だけの生活の、その先に何があるかは……蓋をする。

 将来に不安が無いかといえば嘘になる。

 可愛い嫁さんが要らないかといえば嘘だが、その前に可愛い恋人がいなければ成立しないものであり、可愛い恋人を迎え入れる備えが俺にはないという自覚はあった。

 容姿、財力、生活時間帯、いずれをとっても『どうみてもお一人様ですありがとうございます』だ。

 なので、現状維持。



 レトロな合鍵を差し込み、未明の町会館の引き戸を開ける。

 玄関の電灯のスイッチを手さぐりで入れると、左手靴棚の上へ掲げられているホワイトボードに俺宛の伝言が箇条書きで記されていた。

「トイレの電球交換…… ストーブの配線、そんな時期か。あ、町会長の奥さんが豚汁作ってくれてる。ラッキー」

 食事は青山さんが最低一食分を用意してくれていて、他は各自。でも、たまにこうして町会のオクサマたちから差し入れがあったりする。

 アパート暮らしの時には考えられない現象だった。

「おかえり」

「……ただいま。起きてたんですか」

 たまにはこうして、帰りを出迎える人も、いる。

「ちょっとね。ビール飲む? 第三だけど」

 食卓代わりの応接室で、青山さんが目元を赤くしてソファに沈み込んでいた。

「いただきます。あれ、豚汁あったかい」

「そろそろ帰る時間かと思って」

「……ありがとうございます」

 その日に炊いた白米と、豚汁。それから漬物と第三のビールを冷蔵庫から取り出し、俺は調理場から戻る。

 グラスに唇を付け、子供のように足を伸ばして、青山さんは視線を落としたまま。

 経歴は全く違うが、年が近いせいか彼女とは時折、こうして何を話すでなく過ごすことがあった。

「寒くなってきましたね」

「もう、十一月が見えてるからね」

 見たくない。言外に、青山さんは答える。

「カフェ…… あ、いや」

 自分たちが、この町会館へ居ついて一ヶ月以上が経っている。

 今までになかった地域の人たちとの交流は思いのほかに悪くなく、不思議な距離感へ甘えているのは俺と若菜だけか。

 俺たち二人は函館に実家があって、なんだかんだで頼れる存在もある。働き先で軽口を叩きあう相手もいる。

 その中で、青山さんだけが異質だ。

(中学生の頃、クラスに必ず一人はいたよな)

 真面目すぎて、浮いてしまう存在。

 それは今の勤め先でも、バイトとして入りすぐに辞めてしまうタイプに散見する。

 若菜のようなタイプは、根性据えてバイトだろうが何だろうが甘く見ないで全力で取り組むし頭も回る。

 大学を出て、それなりの会社へ就職して、事情があって辞めたのだという青山さんの深くを俺は知らない。

 何をどうすることもできないのだから、聞いたって仕方がない。

 もっとはっきり言えば、女の愚痴は面倒くさい。青山さんは、完全にその部類だ。

「他に、どこか探してないんですか?」

「退いたら負ける気がして」

「何に?」

「……なんだろう」

 いつ見てもキッチリと結ってある黒髪は、隙を見せてなるものかという彼女の心を表しているようだ。

 『そういうタイプ』なのだと、若菜は言っていたっけ。

「『一度、行ってみるといい』って、言われたのよ」

「誰に?」

「昔の上司。函館が出身なんだって」

「あー……」

「私、思ったんだけど……。函館の人って、地元が好きよね。尋常じゃなく」

「尋常じゃないよな」

 青山さんの上司という人が、どういった語りをしたのかなんとなく想像できた。

 気候も食べ物も申し分なく恵まれている。惜しむらくは仕事が無い。それくらい。

 正社員枠で働こうとすれば、無いことも無いが茨の道だ。

 フリーターでの自活は人とのネットワークがあればやってやれなくないだけ、タチが良いのか悪いのか。

「景気が良いわけでもないし、地元民が遊んで楽しい施設が多いでもないし、仕事が豊富なわけでもないし、田舎町なんだけどな」

「日高さんは、函館が嫌いなの?」

「好きでも嫌いでも。生まれはここじゃないんだ。室蘭」

「むろらん」

「小学生で越してきたから、まあ…… なんともだけど」

 たぶん、青山さんは室蘭がどこにあるのかわかっていない。あとで勝手に調べてくれるだろう。説明は省く。

「もっと、良いところだと思った」

「たとえば、どんな風な?」

「町中を白黒の牛が歩いているとか」

「タクシーなら走ってるな」

「山に入れば大きな鹿がいるとか」

「運が良ければキツネなら会えるよ」

「一面のラベンダー畑とか」

「青山さん、ここへ引っ越す前に旅行ガイドくらいは読んできた?」

 絵に描いたような、北海道誤解あるあるだ。

「劇的に、変わると思ったの」

「町会館暮らしは、地元民でも劇的ですが」

 俺の言葉に、ようやく青山さんは笑顔を見せた。

「そうね……。うん」

 滅多なことで笑わない青山さんだが、いつも泣きそうな表情と紙一重だなと思う。

 そんなに不安なら、泣いてしまえば良いだろう。

 そんなに不安なら、親元へ帰ればいいだろう。

 赤の他人の俺なんかは、そう思う。

 夢を持って訪れたならともかく、そうではないのなら。

 愛着を持って暮らしてこそ、『函館は良いところ』なんて言えるのだろう。

 あるいは、数日間の旅行で眺めるだけに留めるか。

 好きでもないのにやってきて生活をするのなら、苦しいだろうと想像できる。

 それは、函館に限った話じゃないけれど。

「まあ、ここは家賃も安いですし差し入れなんかもありますし、悪くないんじゃないですかね。雪かきの仕方も教えてもらえますよ」

「何それ?」

「雪かき。力任せだと腰を痛めるし、適当に寄せると近所内で争いが勃発する冬のイベントです」

 決して、ロマンチックなことばかりじゃない。

(今の状況もだよな)

 年下の女性二人と一つ屋根の下だなんて、と職場で散々からかわれたが、全くロマンチックなものではない。


「大地くん、大地くん! 起きてるッ?」


 ほら、夜明け前だというのに騒がしく玄関を―― ……騒がしく?

「どうした?」

「変な人っ、外…… 町会の外に」

 鍵を外すと、週三で入っている居酒屋のバイト帰りの若菜が滑り込んできた。

 何事かと、青山さんも顔を出す。

「こ、ここ最近、ね、誰かウロウロしてるなーって思ってはいたの。近所のオジサンかな、散歩かなって思っていたの」

 古めかしい照明の下で、青ざめているのがよくわかる。

「や…… やのつくひと、だとおもう」

 拭いた風が雲を払い、淡い月明かりが姿を照らしたという。

 左手の指の数が、足りない。それから、上着の袖口から覗く――


 ガタン


 音は、背後で起きた。

 若菜に負けず、血の気の引いた顔で、青山さんが口元を手で覆っている。

「うそ」

「皐月さん、知ってるの? 心当たりあるの? 関係してるの?」

「落ちつけ、若菜。まくしたてるな」

「違う、私は関係ない、私は違う……」

「それなら、あの」

 悪い噂の絶えない、一向にオープンする気配のない『カフェ』。

 それが、関係している?




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