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(二)

 (二) 早瀬 若菜

 絶え間なく吹く潮風や、わかりやすく移ろう函館山の緑や、開放感のある空と海の青や。

 新鮮な魚介類や、美味しい野菜や果物、がたんごとんとマイペースな路面電車。

 坂道ばっかりの街並み、観光地から一歩進めば取り繕うことなく田舎風景。

 そういった『函館』が、あたしは大好き。

 グループを作らなきゃ行動できなかったり、笑顔の裏で陰口をネットにアップしたり。

 ありもしない噂を作り上げて広げることをがんばったり。

 身長、体重、ルックス、センス、家庭事情。

 ちょっとした差を僻んだり妬んだり貶めたり、自分のことをどんどん棚に上げて――『女の子』は好きじゃない。

 わかりやすくシタゴコロだけの『男の子』もいかがかな、と思う。わかりやすいだけ、まだマシっていう程度。

 それでも、女手ひとつであたしを育ててくれたお母さんには感謝してもしきれない。

 若菜を可愛く産んで、育ててくれてありがとう。

 だけど、お母さんは男性を見る目が無いと思うんだ。

 せっかく入れてくれた高校。それと同時に再婚した『お父さん』は、世界で一番嫌いな人になった。

 逃げるように、時間という時間をバイトで埋め尽くしてお金を貯めて、成人するのを待って家を出た。

 お母さんに、本当の事なんて話せない。話すわけにはいかない。友達にも話したことはない。

 これは、あたしが『墓まで持って行く』唯一の秘密なんだ。

 あたしは、あまり頭がよくない。でも、機転は利く方だと思う。

 大事にしたいものの一つくらい、どうにかして守りたいんだ。



 あかとき荘の取り壊しは、大家のおじいちゃんから聞いていた。

 知っていたけど、他に行くところを結局見つけられなくて、はぐらかしたままだった。

 そうこうしているうちに、不動産屋さんがやってきて……。あたし以外にも立ち退きの済んでいない住人さんが居るという話。

 正論しか知らない感じのお姉さんと、なまっちろいオタクっぽい男性、二人とも顔を見るのも名前を聞くのも初めてだ。

「町会館へ、住むかい?」

 あたし一人だけだったら、大賛成って喜ぶところだけど――三人、で?

 年齢も生活時間帯もバラバラなあたしたちは、困ったような顔だけは同じで、互いに意見を伺い合った。

 何事も『言ったもの勝ち』といった空気は存在するけれど、こればかりは簡単に頷けない。

 女だけ、ならまだしも……ずっと年上の男の人だっているのだ。これは、健全ではない。

「そうなると、家賃はどうなります?」

 ザクっと切り込んだのは、オタク男子だった。

「今まで通りで構わないよ、光熱費は町会館の月平均から足の出た分を家賃から頂戴する形にしよう」

「なるほど……。部屋数ってどれくらいですっけ」

「応接室、事務室、調理場、小会議室、大会議室、物置、ああ、それから使ってない管理人室がひとつ」

「普段から使っているのは?」

「教室や行事に使うのは大会議室だねえ。小会議室、物置、管理人室は埃をかぶっているね」

「じゃあ、それで行きましょうか」

「どれで」

「行くんですか」

 淡々と話を進めるオタク男子に、あたしとお姉さんの声が重なった。

「え、だって他に行くところがないでしょう。少なくとも寝室を分けられるんだったら問題はないと思うんですけど」

「問題だらけじゃない……!」

 お姉さんが、ヒステリックに声を荒げる。うわあ、怖い。

「お風呂は市電で三駅のところに市営温泉がありますし、徒歩でも自転車でも行ける距離ですよ。逆方向に銭湯もあるね」

 オタク男子は、超然としている。なんだこの人、凄い人なの?

「休日を無駄にしたくないんですよ、休めるものなら休みたい許可さえ下りれば今から引っ越し始めるつもりですが」

「そ、それは若菜だって夜からバイトあるし荷物だけでも置いちゃいたいけど」

 ああ、自分の世界以外には興味ない系の人だったか。納得した。ある意味で無害……。

 お姉さんだけが『こんなはずじゃなかった』なんて眉間にしわを寄せてブツブツ言ってる。

「……一緒に行きませんか? うら若き乙女とオジサンが一つ屋根の下だと不安です」

「…………」

 般若、ってこんな顔だっけ。

 お姉さんから凄まじい形相で睨まれてしまった。

 あたしなりの、助け舟だったのにな?

 オジサン呼ばわりされた方は、どこ吹く風といった感じで、大家さんと話を詰めていた。


 ゴネたところで、行く宛が無いという現実は変わらない。

 二時間後には、あたしたちは埃まみれの町会館の掃除をしていた。

 あかとき荘に負けず劣らずの築年数。木造二階建て、床なんて下手したら踏み抜きそうに軋んでる。

 壁や床の薄さ以前に、隙間風が絶対気になる。これで冬を越すのは至難と見たわ。

「こんな住宅街のど真ん中にあったんですねー。なんか懐かしい匂い。あ、大地くん、これ玄関に出しちゃってくれる?」

「爺さん婆さんの家を思い出すよな。って、その集会所みたいなものなんだっけか。……重! 若菜ちゃん、見かけによらず力あるね」

「間借りするわけですし、日中は出入りもあるのですから……あまり、悪く言わない方がいいと思いますよ」

 うーん、皐月さん、カタイ。

 『そういうタイプ』なんだろうなというのは、一目見た段階でわかっていたつもりだけど。

 アレね、自分の間違いを信じたくないとか『こんなはずじゃなかった』を延々と繰り返す感じ。

 オタク男子呼ばわりをしてしまった大地くんは、そういった外見評価も承知した上での淡々とした人だった。

 良い意味で遠慮が無くて、気楽だな。一回り以上も年上だけど、そんなのバイト先にもお客さんにもゴロゴロいるわけだし。

「ちょっと良いかしら~」

 コンコン、絶賛掃除中の小会議室の入り口をノックし、老婦人が顔を覗かせた。

「向かいに住んでる、鈴木です。大家さんから話を聞いたの。ここにお引越しだそうね」

 真っ白に色の抜けきった髪を丁寧に梳いた、品のあるおばあちゃまだ。

「良かったら使って頂戴? 家の余り物で恐縮だけれど」

 ……隙間風を埋める、スポンジテープ。それから、床に敷くマットタイプの断熱シート。

「張り切って買ったはいいけど、張り切りすぎちゃって」

「わあ、助かります」

 大地くんの目が、わかりやすく輝いた。

「男の人の手があるって助かるわぁ。もしもの時は、町会の事もお願いできるかしら?」

「できることであれば。といっても、仕事の関係で昼間は寝てることが多いんですけど……そうですね、メモを残してくれれば空いた時間にでも」

 良い人だ、大地くん。

「孫がねぇ、貴方くらいの年頃でねぇ……。結婚しちゃって九州に住んでいるから滅多には会えないの。何だかうれしいわ」

 ご老人には、オタクっぽく見えるとか貧弱な体つきとかはあまり関係ないのかしら。

「若いんだから、たくさん食べなさいね。あとでお夕飯作ってきてあげる」

 むしろ、プラスポイント……?

「大地くん、マダムキラー……」

「いや、それは違うだろう」

 あたしが耳打ちすると、大地くんは呆れて笑った。

「青山さん、高いところや力仕事は俺がやるから、コレお願いしていいですか」

「…………、はい」

 長い沈黙、睨みつけるような眼差し、それから皐月さんはスポンジテープを受け取った。

(お仕事の不安があれば、落ち着かないよねぇ)

 そういうことに、しておこう。

「あ、そうだ。今のうちに役割分担しましょっかー。生活時間帯がバラバラだし、シェアして楽になる部分はシェアしません?」

 わざとらしく、あたしは手を叩いて提案する。

 できることなら誰とも深く関わりたくないけど、カンジ悪いまま薄い壁越しの生活の方がヤだな。

 誰にだって『やらなくちゃ』があれば、意識は自然と変わるもの。あたしは、そう考えてる。




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