先生を怒らせてはいけない
「先生は、まだ若いのに魔導師の業界ではとても有名なんだ。……ちょっと変わった方だけど」
「先生ご本人も八歳くらいの頃に異世界から飛ばされて来たみたいで、異世界人の保護に力を入れてるんだ。ボランティアで異世界人保護協会の顧問魔導師も務めてる。……ちょっと変わった方だけど」
「だから君のことも悪いようにはしないよ。……ちょっと変わった方だけど」
魔導師の偉い先生とやらのところへ向かう道中、ジュンはそういう風に魔導師先生のことを説明した。先生がいかに立派な人間かを説明しながらも、言葉の最後に決まって「ちょっと変わって」いることを付け加える。そんなわけで私はものすごく不安であった。「ちょっと変わった方だけど」という言葉を私が確認した限り十六回も使ったのだ。尋常ではない。ただちょっと変わっているだけの人間が十六回も「ちょっと変わった方だけど」と言われるはずがない。これは日本的な婉曲表現というやつで、本当はきっと言語を絶する変人にちがいないのだ。そして異世界暮らしが長くても日本人は遠回しな言い方を好むようだ。
ジュンは自身のことについても少しばかり話してくれた。十歳の頃跳び箱を跳んだらそこが異世界だったこと。それから先生に拾われて異世界人保護協会の支援で小中と学校に通い、今は先生の手伝いをしながら魔導師になるためラウレン王立魔導学院という学校に通っていること。同級生には異世界出身のものも何人かいること。卒業試験と国家試験に合格して初めて学院の外で魔法を使うことを許可されること。
私は少しでもこの世界の知識を得たい気持ちから真剣にジュンの話を聞いた。地球に戻ることはちっとも諦めていないがだからと言ってこの世界について知らないままでいていいとは思わなかったのだ。
「さて、着いたよ」
そう言ってジュンは一軒の屋敷の前で立ち止まった。立派な門があって、隙間から中を覗くと幾何学式の優美な庭園が見えた。
「随分立派なお家に住んでらっしゃるのね」
あまりに立派すぎて生まれてこの方ずっと平凡な庶民であった私は恐れをなしていた。
「先生は放っておくとふらっとどこかにいなくなって何年も帰ってこなかったりするからね。それに困った王様がいつも首都にいてくれって贈った屋敷なんだ。使用人まで付けての大盤振る舞い! でもここが先生のおかしいところで、こんな屋敷貰ったら不自由になるだけだって言って断ったんだって。お前は王様の贈り物を突き返すのか不敬罪でたたっ斬るぞって友達に脅されてしぶしぶ受け取ったらしいよ。でも高価な花瓶を薬調合するときのフラスコ代わりに使ったり階段に掛かってる絵を薪代わりに暖を取ったりするから、使用人の皆さんひやひやしてる。正直先生はあんまりこういうお屋敷に住むのは向いてないと思うんだよね」
このエピソード一つとっても変人である。友達も何だかかなり物騒な奴みたいだし。
ただ、変人ではあるが、同時に国のお偉いさんでもあるらしい。益々門をくぐる勇気がなくなる話だった。
「ねえ、私ものすごく帰りたくなっちゃった……」
「でも君ホームレスじゃないか」
「そうだったー、私ホームレスだったー、あははははは」
笑えない、笑えないぞこの状況。ホームレス、国のお偉いさんを尋ねるの巻。
「大丈夫だよ。先生、あんまり生活力はないけど、魔法に関しては一流だから。君のこともネイティブ並みのラウレン語スピーカーにしてくれるし、君の身の振り方も一緒に考えてくれると思う。そうそう、先生のすごいところはもうひとつあってね、人の才能を見抜くのが滅法うまいんだ。王様もどっちかって言うと魔法よりこっちの能力の方を宛てにしてるらしくって、人事とか軍の采配のこととかでよく相談にいらっしゃるんだ。宰相はそれを快く思ってないみたいなんだけど、先生に言葉の攻撃は効かないし、こっそり送り込んだ秘蔵っ子の暗殺者は魔法で大事な部分を鉛筆に変えられて泣いて帰るしで、ものすごく悔しがってるらしい」
大事な部分を鉛筆に……ご愁傷様。
「ちなみにいろんな人が手を尽くしたけど呪いは解けなかったらしくって、今も彼、大事な部分が鉛筆らしい。『ラウレンの圧し折り烏』っていう物騒でとっても痛そうな通り名で呼ばれてたのが今じゃ『ラウレンの鉛筆男』……最近田舎に帰ったって。男としてはあまりに気の毒で笑うに笑えないよ……」
「うん、女の私でも笑えないよ……」
「百合香、何があってもぜったい、ぜーったい、先生を怒らせちゃいけないよ。先生は自分の研究やら仕事やらを邪魔されさえしなければ基本無害だから。……無害? あれれ? 先生が無害なこととかあったっけ? 僕いっつもすっごい馬鹿にされてるような。あれ?」
割と心から疑問らしい。とにかくかかわり合いにならないほうが良さそうな人種だということは分かった。ジュンはしばしの間考え込んだがやがて悟りを開いた僧侶のごとき表情を浮かべた。なにがしかの答えが閃いたのだろう。知りたくもないが。
「さて、無駄話してる場合じゃなかった。先生に早く会おう」
そう言ってジュンは、門をくぐり、屋敷の玄関へ続く道を歩いていった。私はジュンの切り替えの早さに戸惑いながら屋敷の敷地に足を踏み入れた。幾何学式庭園の壮大さに、そしてその奥にどっしりと構える屋敷の荘厳さに圧倒されながらも、ジュンに続く。先生という人がどうかまともでありますように、という望み薄な願いを唱えながら。