歩くときは前を見たほうがいい
歩くとき、私はついつい下を向いてしまう子供だった。
たぶん道行く人たちには陰気に見えていたことだろう。
前方への注意も疎かになってしまう。
良くない癖だった。
様々な人から注意をされたし、頭では分かってはいたのだが、長い時間をかけて身についてしまった癖は簡単に治ることもなく、つまりその日――私の人生に大きな変化がもたらされたあの日――も私、野江百合香は下を向いて歩いていた。
下を向いて歩くと、路上には様々なものが落ちていることに気づく。
小銭(狭い田舎町でのこと、誰が見ているか分からないため私は拾わなかった。大抵は一円玉か五円玉である)、誰かが捨てた煙草の吸い殻(副生徒会長として地域の清掃のボランティアに強制的に駆り出されることも多かった私としては、ポイ捨ては許されざる罪である)、同じくマナーの悪い誰かが捨てた空き缶(踏まれてぺしゃんこ)、その他様々なゴミ、冬は手袋の片割れ、そしてなぜかたまに靴。
そんながらくたたちの上を知らず知らずのうちに飛び越え、あるいは踏んづけてゆきながら、人は目的地を目指しひたすら歩くのだ。
私もその中の一人だった。
大抵目的地というのは家か学校だった。
あの日のあの瞬間、あの水溜りを覗くまでは。
読者の皆様、この物語から得られる教訓は私の気づく限りたった一つだ。
――歩くときは前を見たほうがいい。
私はこれから語る物語の中で多くの経験をするが、その中であなたにアドバイス出来ることは本当にこれだけなのだ。
それ以外の諸々のこと――例えば好きな仕事に就いた方がいいのか適正のある仕事に就いた方がいいのか、結婚はすべきか否か、優しい人と厳しい人どちらを恋人にすべきか、持ち家か賃貸か、受験がどうとか、など人生に関わる下らなくも切実な問題の数々――は本当に人に依るから、私からアドバイス出来ることは何も無い。
それらの答えを得たくてこの物語を読もうと言うのならおすすめできない。
今すぐ家族なり友人なり弁護士なりカウンセラーなり占い師なりに相談した方がいい。
彼らは的はずれな意見を口にし、あなたを興醒めな気持ちにさせるかもしれないが、ごくたまにあなたの視野を広げてくれることもあろう。
話がそれてしまった。
だが最初の方で断りを入れておかないと後から文句を言われても困るから、慎重すぎると言うこともなかろう。
もうすでにお聞き及びかもしれないが、これは第六世界から第八世界、つまり地球の日本からジレア・ミナスのラウレン王国に飛ばされてしまったおっちょこちょいであるところの私が、恐らく同様の立場であり今右も左も分からずお困りであろう読者の皆様に向けて、自分がこの数十年いかにしてここで生きてきたかを語ることで皆様に希望(あるいは絶望かもしれないが)を与えるという趣旨のノン・フィクションである。
異世界人保護官のドラトノール氏に依頼され筆を執ってはみたものの、果たして皆様の参考になるかどうか。
自分で言うのも何だが、かなり数奇な人生を送ってしまったのだ。
私の生き方がジレア・ミナス流の生き方だとは、決して誤解なきようお願いしたい。
こういう生き方をする人もいるんだな、くらいに考えて頂ければ幸いである。