第27話~本当の気持ち~
叶子が住むマンションの前に車が止まる。いつもの様に彼女を部屋まで送るため、ジャックはシートベルトを外した。
「?」
当の本人は車から降りる気が無いのか顔を俯かせ、重ねた自分の手をじっと見つめているのが気に掛かる。
(もうこれ以上引っ張るのは無理かな)
今日、叶子と会ってから幾度となくこんな姿を目撃しては知らぬ振りをして来たが、流石に自分でも意地が悪いと感じたのだろう。ジャックは半ば諦めたように叶子に問いかけた。
「どうしたの?」
声を掛けると、叶子はまるで魚が酸素を求めているように口を開けたり閉じたりしている。何かを吐き出そうとするも上手く出来ないのか、苦しそうに顔を歪ませていた。
ジャックはそれ以上何も言わず、彼女が話し出すのを待っていた。言わんとしている内容は彼女が醸し出す雰囲気で察しがつくが、自分にとって喜ばしくはないであろう事をわざわざ自分から促す気にはなれなかった。
「あ、のね?」
「ん?」
沈黙が流れる。暫くして叶子が大きく深呼吸したのを合図に、落ち着いた面持ちで話し始めた。
「実はまだ会社に何も言って無いの」
「うん」
「驚かないの?」
「……驚いたよ?」
ジャックは微笑みながらハンドルを抱え込み、『とうとう言われちゃったな』と心の中で呟き肩を落とした。
思っていたよりもリアクションの少ないジャックに、叶子の方が驚いていた。ジャックは全く気付いていないと思っていたのだろう、虚を衝かれたと言うような顔をしていた。
今度はジャックの方が大きな溜息を吐く。そして、ハンドルを抱えたままフロントガラスの向こう側を見つめた。
「で? どうするの?」
「わ、かんない」
後わずか一週間で日本を発つと言うのに、まだ会社に言っていない時点でこの答えは既に出たも同然だろう。ジャックは叶子の方へと視線を移し、煮え切らない彼女に意地悪な言葉を投げかけた。
「じゃあ、別れる?」
「それは嫌っ!」
即答する叶子に穏やかな笑みを浮かべていたが、内心冷や汗ものだった。何度も確認したくなるほどの不安な気持ちは、未だ完全に拭いきれていない。叶子の気持ちを確認する度、安堵の表情を浮かべた。
艶やかな髪に手を伸ばし指を滑らせる。
「僕も……嫌だ」
そう呟くジャックに、叶子は言葉足らずだったと慌てて言葉を足した。
「あ! そのっ、貴方と一緒にいたいって気持ちは本当なの。でも、今の仕事を放り出してアメリカへ行く事が出来なくて。……だけど必ず行くから! 少し遅れるけど一ヶ月。一ヶ月後には必ずアメリカに行くから! ってやっぱり我侭すぎるよね」
ジャックは頭を振りながら、黒髪を滑る自分の指先を見つめている。髪を撫でていたその指が叶子の頬を包み込み、親指で頬をそっと撫でた。
「大人になるとどうしても自分の気持ちを押し殺してしまう。でも、君はちゃんと自分の意見を持ってるし、周りに流されるような人間じゃない。僕はそんな君の正直な所が好きなんだ。だから、君の好きにしてくれていいんだよ?」
ジャックは精一杯の虚勢を張った。
彼女を丸め込む策は幾らでもあったのに、もうほんの少しの嘘も彼女には吐いてはいけないのだと必死で自分を押し留めた。
ぱあっと雲間から太陽が差し込んだ様に笑顔を見せた叶子を見て、皮肉な事に自分の決断は間違っていなかったのだと自覚する。
「ありがとう、ジャック」
「ん」
叶子の方から自分の胸に飛び込んで来たと思ったら久しぶりに名前を呼ばれる。ここぞとばかりに甘い飴を与えられたジャックは、この時ほど勝手に緩み始める自分の顔が憎いと思ったことは無かった。
◇◆◇
(一ヶ月……か)
ステレオから聞こえてくるのはある意味二人に運命的な出会いをもたらしたとも言える、初めて彼と会ったときに貰ったCD。それを聴く事で初心に戻れるかもと思った叶子は、ベッドの上でまとまらない頭を抱え込んでいた。
「――?」
突然鳴り出した携帯電話に体がビクッと跳ねる。彼からの着信だとわかると、嬉しい反面複雑な気持ちになった。
「もしもし?」
「あ、僕だけど。今日、今から時間ある?」
「大丈夫だけど。貴方は仕事じゃ?」
「うん、今日はリハーサルがあるんだけど、良かったら見においでよ」
突然の誘いを受けた叶子は、電車を乗り継ぎ彼の仕事場へと向かった。リハーサルが行われるという会場に到着すると、聳え立つ近代的な建物を前に溜息が零れ落ちた。
「はぁ、凄いなぁ。って、……どうやって中に入るんだろう」
入り口らしき所には警備員が何人かいて、どう考えても顔パスで入れる様には思えない。ジャックに電話をしてみても全く繋がらず、叶子は途方に暮れていた。
(困ったな。ちゃんと入り方聞いておくんだった)
携帯電話を片手にウロウロと辺りを徘徊していると、ふいに誰かに肩を叩かれた。
「――?」
振り返ってみれば、彼のお抱え運転手のビルが二カッと笑いながら親指を立てて立っている。叶子は見知った顔にホッと胸を撫で下ろした。
「お迎えに上がったよ。その様子じゃどうせジャックに何の説明もされてないんだろ?」
「そうなんです! 有難う御座います」
ビルと共に関係者入り口から中へと入り、最初のドアを通り抜けて薄暗い廊下の中を進む。しばらくすると、分厚くて頑丈そうな大きな扉の前でビルの足が止まった。
扉の向こうからは軽快な音楽に併せて時折歌声も聞こえる。その曲と独特な歌い方から、今回担当したアーティストだと言う事が音楽に疎い叶子でもわかった。
「こっから先は関係者しか入れないから。あんたはここから中に入って」
「あ、はい」
ビルはそう言うと、さっさと暗闇の奥へと消えていった。
重い扉を体重をかけて開く。一気に中の空気がぶわっとぶつかり、一瞬目を閉じた。と、同時に、大音量の音楽が耳を劈き、ビクッと肩を竦める。
「ひゃっ! ……え?」
暗闇の中、目を凝らしてよく見ると、ステージの上で何やら指示を飛ばしているジャックを見つけた。
こんにちは、まる。です。いつもご訪問下さり有難う御座います。そして温かい拍手もいつも沢山頂き、喜びで一杯です。
さて、後、2話程で第3章が終わります。
3章が終わったら、途中でほっぽりだしてる『青い空の下で君を想う時』の更新を先にやっつけようと思っています。
こちらは後10数話で完結しますので、宜しければお付き合い下さいませ^^
そして『運命の人』の方は一応、まだ続きがあったりするので、このまま第4章でスタートしたいと思っています。
新しいキャラ(俺様紳士)が登場しますので、宜しければ又引き続きご覧頂ければと思います。
それでは、これからも『運命の人』を宜しくお願い致します。