第13話~近い未来の約束~
楽しかった時はあっという間に過ぎ去り、次にやって来るのは別れの寂しさだけ。名残惜しむ間もなく二人は最終列車に飛び乗ると、あっという間に車窓から見える雪景色は姿を消した。
停車する度にプラットホームを見れば徐々に人が多くなっていくのがわかる。それは二人の別れが近くなっていると言う事を意味するものであった。
叶子の家の最寄り駅に到着すると、二人は手を繋ぎながらトボトボと歩き出した。気付けば会話も無くなっていて、普段は歩くのが早いジャックも心なしか随分足取りが重くなっていた。
「ねぇ、次いつ逢える?」
叶子からこんな台詞を言ったのはこれが初めてだった。
彼の重荷になりたくないと思うがばかりに今までは中々言えなかった言葉だったが、昨日、今日と一緒に過ごした時間が楽しすぎたせいで、これから訪れる別れを肌で感じてしまう。また、今度会えるという確約が欲しかった。
たった一言でいいから近い未来の約束を取り付けたい。それがもし不可能になったとしても、今この寂しさを埋める為の保証が欲しかった。
「んー、正直わからないなぁー」
「そ、う」
そんな叶子の思いも虚しく「わからない」の一言で片付けられてしまい、酷く動揺した。
「?」
ジャックの携帯電話が鳴る音が、現実の世界に戻ってきた事を知らせている。
「ちょっとごめんね」
胸のポケットから電話を探り当てると、叶子に一言詫びてその電話に出た。
「うん、そう。……ああ、いいよ。うん、じゃあよろしく」
通話を終えると、何か考え事をしているかの様な面持ちで胸ポケットにしまった。
「……? ああ、ビルからだよ。道が混んでて少し遅れるって」
「そう」
横目に叶子の視線を感じたのか、訊ねてもないのにわざわざ話した内容を説明した。
いつものように部屋の前までジャックが送ってくれる。叶子がドアの内側に入りドアノブに手を掛けながら彼を見上げた。
「じゃあ、また。電話……待ってる……?」
「うん。電話する」
扉を閉めようとした時、ジャックがとても悲しそうな表情を浮かべているのを感じながらもそのドアを閉じた。
ジャックが立ち去る靴音が聞こえない。玄関の鍵が閉まる音も聞こえない。一枚のドアを隔て、二人はじっと佇んでいるのがお互いにわかる。
すぐにでもこの扉を開け、ジャックに抱きつきたい。そんな衝動に駆られるものの、引き止めてしまう事を叶子は恐れた。
明日からお互い仕事が始まる。叶子の仕事はなんとでもなるが、きっと彼は明日からまた怒涛の日々を過ごさなければならないだろう。そんな事は、先程の彼の口振りから良くわかった。
――きっとまた、当分会えなくなる。
次に会う約束が無いと言う事がこれほどまでに自分の気持ちを不安定にさせるとは思ってもおらず、苦しくて悲鳴を上げる胸をぎゅっと掴んで唇を噛み締めた。
「!」
――コツンッ。その靴音にハッとした。
離れたくないという気持ちが一気に溢れ出し、次に叶子の思考を停止させた。
考える事を放棄した叶子は勢い良く扉を開けると、驚いて半身振り返ったジャックの胸ぐらを掴み、そのまま扉の中へと引きずり込んだ。
◇◆◇
叶子は、今自分のした事が信じられなかった。
あれ程身体を繋ぐ事を拒絶していたのが、今では自分から彼を求めてしまっている。しかも、相手の気持ちも考えず、言葉も無く行動に移したのだから。
今朝、いざと言う時に寝てしまい落ち込んでいたのはジャックだけではない。叶子も又ショックを受けていたからこそ、このまま彼を帰らせてしまえばもう二度とタイミングを掴めないんじゃないかと思った。
「んっ」
玄関の扉が閉まるよりも早く、まるで当たり前かのように二人は口づけを交わす。啄ばむ様な優しいキスではなく、最初から濡れた舌を激しく絡め合わせた。
叶子はジャックの首に両腕を巻きつけ、ジャックは叶子を強く抱きしめる。狭い玄関の壁に叶子の背中を押し付けると、互いの両手の指を絡めながら歯が当たるほど深く口づけた。
まるで我慢して来た事を一気に放出するかの様に、激しく互いの口腔内を貪り続ける。深く、深く、――時には浅く。叶子を追い詰めるようにして口腔内を駆け回る彼の舌に、文字通り身も心も溶かされていった。
すぐに熱を帯びた身体は甘い吐息を溢れさせ、もっと、もっと――と、更なる快感を強請る。足元には二人のコートと上着がポトリ、ポトリと落ちると同時に、ジャックの唇が叶子の首筋を捕らえた。瞬間、叶子の身体は一気に脱力し、壁にもたれながらゆっくりと二人はその場に崩れ落ちた。
自分の家の玄関で欲情している事に悪びれる事も無く、ただ、目の前にある“果て”を味わいたくて、上気した身体を、心を、彼に預けた。
ジャックは玄関に座り込んでしまった叶子を廊下側に移し、そしてすぐに覆いかぶさった。
背中に感じる床の冷たさを感じるよりも、ジャックの肌の暖かさの方が勝っている。もとより、床の冷たさを訴える事でジャックが冷静になってしまう方が辛い。このチャンスを逃せば、忙しい彼の事だ。結ばれないどころか逢えなくなるのではとまで叶子は思った。
ドアを閉める時に見たジャックの表情は、以前、彼に振られた日の事を叶子に思い出させた。あの時、ジャックに何も言えなかった事をずっと悔やんでいたからこそ、もう二度と後悔しない為に今の自分の気持ちに正直になる事を選んだのだった。
「――っは……ぁ、ん」
ジャックの暖かい手がスカートを捲り上げ、程よく肉付きのある太腿を這いまわり始める。と、同時に互いに更に息が上がり、興奮状態にあるのがよくわかった。
乱れた息遣いで何度も、「カナ、愛してる」と、耳元で囁くジャックに応えるように、叶子も何度も小さく頷いた。
「……?」
突然、ジャックの携帯電話が鳴り響き、二人は動きを止めて彼の上着を見つめた。上にいるジャックは、又しても邪魔が入った事に一際大きな溜息を零した。
どうしていつもいつも上手くいかないのか。やはり二人は結ばれてはいけない運命なのだろうかとさえ勘繰ってしまう。
「――ビルだ……」
少し考えて、のろのろと上体を起こすとジャケットに手を伸ばした。電話に出る事を選択したジャックに、叶子の胸は張り裂けそうになった。
呼吸を整えながら携帯電話を探している彼の横で、露になった胸元を隠すように両手でシャツをかき集める。上体を起こした叶子は耐え切れずジャックから目を背けた。
「……」
そんな叶子の様子を見ながら、ジャックは受話ボタンを押した。
「もしもし、うん。……悪いけど帰っていいよ」
「――」
その言葉を聞いた叶子は驚いた表情でジャックを見つめた。目を丸くしている叶子にジャックはおどけた表情でウィンクをすると、はいはいとビルの文句に耳を傾けていた。
「大丈夫、一人で帰れるから。じゃ」
「ジャック! 俺はそんな事を言ってるんじゃな……!」
携帯電話から漏れ出す程の大声で喚いているビルが憐れに思う。一方的に電話を切ると、そのまま電源も切ってしまった。
ジャックは、驚きを隠せない表情の叶子の頭を抱き寄せ、額にそっと口づける。
「もう、限界。君を一人にはさせないよ」
そう言って叶子を軽々と抱き上げると、部屋の中へと進んで行った。