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運命の人  作者: まる。
第2章 恋人達の戯れ
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第3話~良からぬ噂~

「送って下さって、ありがとうございました」

「うん。──じゃあ、おやすみ」


 玄関の扉を閉めようと叶子がノブに手をかけた時、彼が忘れ物をしたかの様な顔をした。

 一歩前に出て扉が閉まるのを片手で防ぐ。叶子の首の後ろに手を伸ばすと顔を傾け距離を狭めた。


「……っ」


 重なりあった唇は、まるで別れを惜しむかのようにゆっくりと離れる。伏せていた瞼をゆっくりと上げると、少し照れた様な顔をして彼は微笑んでいた。


「じゃあ、……また電話する」

「は、い」


 扉がピッタリと閉まったのを見届けてから、ジャックはいつも帰って行く。叶子もドアの内側で息を潜め、彼の靴音が小さくなっていくのを聞いてから部屋の中へと入った。


 ジャックの家に行っても叶子が嫌がる事は何もしない。その約束をちゃんと守ってくれた彼に安心感を覚える。自分勝手な事を言っているのだと良く分かってはいたが、そんな叶子の気持ちもジャックは理解してくれている様子だった。

 彼と過ごす時間はとても楽しいせいか、一人になった瞬間に一気に孤独に襲われる。決して広いとは言えない1LDKの部屋にペタリと座り込むと、まるで魔法が解けたかのように寂しさで一杯になった。

 今まで一人で居る時間の方が長かったというのに、今は一人で過ごす時間が辛い。いつの間にか、自分の心の中はたっぷりと彼の愛情で満たされてしまっていて、たった今別れた所だと言うのにもう逢いたい気持ちがすぐに沸いてくる。胸の前で手を組んで瞼を閉じれば、彼の笑顔ばかりが自然と浮かび上がる程だった。

 まるで初めて恋をしている少女の様に、叶子は胸をときめかせていた。




 ◇◆◇


「お待たせビル。いつも遅くまでつき合わせちゃってすまないね」


 車内の時計を見ると、もう既に夜中の三時を過ぎている。その現実にジャックは思わず目を逸らした。


「いや、俺はこれが仕事だし時間に余裕があるから別にいいんだが、ジャックの方がキツイだろ?」

「うーん、確かに結構キツイけど……。かと言って会えなくなるのはもっとキツイよね」


 走り出した車の窓の外を眺めながら、肩を少し上げると眉をひそめて苦笑いを浮かべた。


「──」


 昼間に見るのとは全く違う外の景色を、ジャックは瞬きもせず見つめる。持って行き場の無い感情が歯痒くて親指の爪を噛んだ。



 ◇◆◇


 オフィスのドアに入る直前、眠い目をこすったと同時に大きな欠伸が飛び出した。


「でっかいあくび」


 手で口元を覆って目を赤くしている叶子に、タイミングがいいのか悪いのか、健人が声を掛けてきた。


「……おはよう」

「凄い不細工な顔してたよ」

「うるさいなぁ。てか、ここ会社なんだけど? 敬語使ってないじゃない」

「もう止めた。カナちゃんにはね」

「……」


 ついこの間エレベーターの中でとんでもない事をしでかしたくせに、との意味合いも込めてギロリと睨み付けながらオフィスの扉を開けた。


「おはようございま――、……?」


 何故か皆の視線が入り口で立っている叶子に集まる。

 いつもと違う雰囲気に少し息が詰まりながらも席に着こうとすると、ボスが慌てて飛んできた。


「ああ、ちょっとカナちゃん。こっち来てくれる?」

「はい?」


 誘導されるままにボスと会議室へと向かった。とりあえず座るように促され、まだ暖まりきっていない部屋のソファーに恐る恐る腰掛ける。案の定、まだ冷たかった事に驚き僅かに声が出た。

 膝に肘をつく様にして対面にボスが座る。はぁーっと大きな溜息をつくその様子からして、何処から話をすればいいのやらと迷っているのか、いつもと違うボスの態度に少なからず違和感を感じた。


「あー、あのさ」


 叶子の顔を見ようともせず、ボスはそっぽを向いたままで硬く握った拳をもう一方の手に殴りつけながら、その重い口を開いた。


「はい、何でしょう?」

「こんな事言うの、正直馬鹿らしいんだけど……。君と()()社長との事について色々噂が飛び交っていてね」

「噂……ですか?」


 ボスは口ごもり、話しにくそうにしている。


「うん。その、……君があの社長と、その、あー、関係? を持って仕事を取った……みたいなね」

「関係?」

「あー、ほら。“枕営業”的な?」

「はぁっ!? なんですかそれ! ありえません!!」


 ボスのその言葉で、先ほど感じた皆の視線の意味を理解した。


「いやっ、ほら、うん! そんな返事が返って来るとは思っていたけどな! まー、部下の管理も俺の仕事だから、噂が立ってしまった以上は一応確認しないといけなくてな」

「はぁ」

「まぁ、とにかく。むこうさんは外資だからそんな事気にもしないだろうけど、うちは純国産中小企業だからね。そういった所にはとても敏感なんだよ」


(何処からそんな噂が? 昨日、会社の前で抱きしめられたのを誰かが見てた? にしても、たったそれだけで枕営業してるだなんて……。話が飛躍し過ぎだよ!)


 反論したくても上手く言葉が出てこない。彼はデザイナーとしての腕を買ってくれたのだと、胸を張って言えるほどの自信もないからだ。それに以前はともかく、今は恋人同士。そんな風に思われても仕方がないのかもと、悔しさのあまり膝の上に重ねた手をぎゅっと握り締めた。

 奥歯に何か物が挟まったかのように、ボスは喋りにくそうにしている。叶子はボーッとした頭でただ黙って話を聞いていた。


「まー……てな事で。すまないけど」

「はい。……わかりました」



 ◇◆◇


 会議室から出るとまた、皆がこっちを見てヒソヒソと小声で話していた。その光景にうんざりしながら席に着く。


「(……らしいよ)」

「(えーー? 本当に!?)」


 何処からともなく聞こえるひそひそ話が、燗に障る。そんな話は根も葉もない単なるくだらない噂だと、大声を上げて怒鳴りつけたい心境に陥った。

 確かに、今となっては彼と恋人同士ではあるが、それを餌にして仕事を取ったわけではない。自分に女としての価値はそこまで無いのだからと、自虐めいた言葉がぐるぐると頭を駆け巡った。

 でも、きっと彼女が何かを言っても誰も信じてはくれないだろう。そう思うと、無駄な努力をするよりも黙り続ける事を選び、グッと奥歯を噛み締めた。


「あーやだやだ。これだから女って嫌なんだよなー」


 オフィス内にピーンと張り詰めた空気が漂う。叶子を庇う様にそう話し出したのは、他でも無いあの健人だった。

 手にしていた書類をバンッと大きな音を立ててデスクに叩き付ける。


「くっだらねー」


 切れ長の目で周囲をギロッと睨みつけ、皆を黙らせた。

 面白くなさそうに少し口を尖らせている健人。社内で人気者の彼が嫌われ役を買って出たことにより、ヒソヒソと陰口を叩いていた輩はパラパラと散り始め、漸く(ようや)叶子に平穏が訪れたのだった。




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