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運命の人  作者: まる。
第1章 導き
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第43話~理性~

「もう、わかった! わかったから!」


 とうとうジャックは観念し、後ろに隠した小さな箱を差し出した。勝ち誇った様な顔で叶子はその箱を受け取り、一粒口に放り込む。すると、すぐにもう一つ手に取って彼の顔の前にそれを近づけた。


「はい、あーん」

「――」


 目の前に出されたチョコを見て、そのまま指伝いにその先にいる叶子に視線を向けた。嬉しそうにしてほほ笑む顔を見ると思わず口元が緩む。

 仕方なく開けた口に叶子がチョコを放り込むと、ジャックの薄い唇にほんの少しだけ彼女の指が触れた。それに気付いているのかどうなのかはわからないが、満足気に笑みを浮かべ自身の指についたチョコを彼の目を見つめながらペロリと舐めた。

 その仕草に今までに無い色気を感じ、ドキッと胸が一段と大きな音を立てた。……が、そんな気分に浸る間もなく、すぐにジャックの眉間にも皺が刻まれることとなった。


「ほんとだ、かたっ」

「でしょ? でも、おいしいですよね」

「うん、味は……まともかな」

「生クリーム足すとかしたら柔らかくなっていいですよ」

「へーそうなの? 良く知ってるね」

「まぁ、こんな私でもチョコレート位作った事はありますから」

「ふぅ、ん」


 その言葉を聞いてチクンと胸の奥が痛んだ。たったこれしきの事で、自分の知らない彼女の過去の相手に嫉妬しているのだと気付く。

 彼女にだって過去に恋愛の一つや二つくらいあるだろう。相手を想うがあまり眠れない夜を過ごしたこともきっと――。自分にもそんな過去があるのと同じく彼女にもあったのだろうと無論わかってはいたが、持って行き場の無い思いがぐるぐると感情の渦を巻いた。


「あ、さっきの手品。もう一回やって下さい」


 きっと、話の流れで何気なく言っただけであろう。ジャックの今の思いに全く気付いていない様子だった。きょろきょろと周囲を見回しテーブルの上にあったリモコンに手を伸ばすと、ジャックの手を取りそれを乗せた。


「さすがにこれは大きすぎて無理だよ。掌に隠れる位の大きさでなきゃ」


 まるで子供の様な彼女に、ジャックは苦笑いを浮かべている。不満気に眉間に皺を寄せた叶子は、仕方なくもう一度チョコの入った箱をジャックの手の上に乗せた。

 ワクワクとした顔で彼の手にグッと近づくと、至近距離でその魔法を見破ろうとしている。たかが、これしきの事でここまで喜んでくれた事に驚き、そして嬉しかった。


「仕込んでからでないとできないよ」

「そうなんですか?」

「そりゃそうさ、ちゃんとタネがあるんだから。ほら、目を瞑って」

「はーい」


 膝の上にちょこんと両手を揃えて置くと、言われた通りに目を瞑りながらニコニコとあどけない表情をしている叶子がいとおしくてたまらない。彼女がいるだけで自然と笑顔になれる、そんな気がした。


「まだだよ。ちゃんと目、瞑ってる? 薄目したらもうやらないよ?」

「大丈夫、ちゃんと瞑ってますよー」

「……」


 タネを仕込みながら目を瞑っているのをいい事に、無防備な彼女をじっと見つめた。

 長い睫に小ぶりな鼻、ぷっくりとした唇に、笑うとキュッと細くなる顎。細くて白い首筋やはっきりと浮き出た鎖骨には、細いチェーンのネックレスが引っかかっている。いつかそこに顔を埋めたいと思わず心の中で本音が漏れた。


「まだですか?」

「う、うん。まだだよ」


 急に声を発したのに驚いて、ジャックの声が思わず裏返った。

 明るい声で話す彼女に対してなんて卑猥な事を考えてるんだと、後ろめたさで一杯になる。それでも視線を逸らす事が出来ず、逸らすどころかその視線を徐々に下げていった。

 着ているシャツは明らかに余裕のある二の腕。その割りに窮屈そうにしている胸元に初めて気付き、思わず喉を鳴らしてしまう。キュッとくびれた腰にぶら下がったものは、腰の細さとは反比例して女性らしい丸みを帯びていて何とも扇情的な気分にさせられる。膝まであるタイトなスカートから伸びた足はスラッとしていて、程よい筋肉で引き締まっているのが伺えた。

 二十代だと見紛うほどの童顔な顔立ちからは想像出来ない、三十三歳の大人の女性の身体をしている彼女に、まるで脳天を打ち抜かれた様な気持ちにさせられた。


「――」


 先ほど繰り広げられた争奪戦により、二人の距離はぐっと近くなっている。少し腕を伸ばせばいとも簡単に抱き締められる距離に彼女が居る事に、今更ながら緊張感が走った。腕の中に閉じ込めてしまいたいという本音と、そんな事をしてしまえばせっかくここまで打ち解けてくれたのに、全てが水の泡になると言う理性とが激しくぶつかり合う。二つの感情で葛藤し、頭が混乱した。


(もう、無理……、かもしれない)


 徐々に理性を失いつつあるジャックは、とうとう目の前にいる彼女を自分のものにしたいという願望に打ち勝つ事が出来なくなった。

 そもそも、叶子が家に来ると聞いた時点で、心の何処かで(やま)しい気持ちがあったのかもしれない。どんなに紳士を気取ってみても、内にある欲望を抑えきることは難しい。人気の多い外で会うならまだ理性も働くのだろうが、普段自分が寝起きしているこの部屋で手を伸ばせばすぐにでも抱き締められる距離に彼女が居て、何もせず我慢できる男などこの世に存在するのだろうか。

 これからする自分の行動は雄が雌を求めるのと同じで自然の摂理なのだと、まるで自分に言い訳をしているかのようだった。


「あの……」


 見つめていた唇がゆっくりと開き、蕩けるような彼女の甘い声がそこから零れ落ちた。

 ジャックはチョコが入っている小さな箱を置くと、タネを仕込む手を止める。


「うん?」


 子供を扱う様な優しい声音で彼女の言葉を受け入れる。先程迄とは違った低音の落ち着きのある声。


「どうして私にチョコを?」


 まだ手品のタネを仕込んでいると思っている叶子は、目を閉じたままでそのチョコには何か意味があるのかをジャックに訊ねた。


「僕の育った国ではね、バレンタインデーは男性から愛する女性にチョコを贈るんだよ。ロマンティックなディナーを楽しんだりしてね」

「へー、そうなんですね」


 さらっと言った「愛する女性にチョコを贈る」という言葉の意味を叶子は気付いていないのか「国が違えばイベントの習慣でさえも変わるんですね」と感心している。

 察しの悪い彼女にもどかしくなったジャックはとうとう理性を失い、行動に出てしまった。

 彼女の唇にふわんと柔らかい何かが触れる。


「――? ……、――っ!?」


 ゆっくりと目を開けてみれば目と鼻の先にジャックの顔があった事に驚き、肘をついた状態で後ろに倒れこむ様にして仰け反った。

 完全にパニック状態になっている彼女を余所に、じっと見つめているジャックは先ほどまでの拗ねた子供の様な表情とは全く違い、トロンとしたその目は妙な艶っぽさがあった。

 大きな目で何度も瞬きを繰り返す叶子に、ジャックがクスリと笑う。


「ちゃんと言ってなかったね」

「――え? 何、を?」

「僕は君を愛しているって事を。――心の底からね」

「――」


 ――「愛している」

 その言葉の持つ意味の重さがズシンと心に響き渡る。そんな言葉を言われた事は今だかつて一度も無ければ、「好きだ」という言葉でさえもさほどない。過去に付き合った事のある数少ない男性達からは、付き合い始める時に一度聞いた切りで、叶子にとっては聞き慣れていないワードの一つだった。

「好き」と言う言葉すら耐性が無いというのに、「愛している」と彼が言う。初めて聞かされたその言葉は彼女に安らぎを与え、同時に彼への想いを加速させていった。


 彼に対する気持ちが大きく膨らみはじめていたのを確かに自覚してはいたが、かといって何と答えればいいのか返す言葉が見つからない。叶子はただじっと彼の目を見つめ返す事しか出来なかった。

 そうこうしている内にソファーが沈み、彼が手を前について更に彼女に近づいて来ようとしているのがわかった。


「あ、の……?」


 彼の手が叶子の顔にかかった髪をかき上げる。その手をそのまま首の後ろに回し、肘をつき姿勢が苦しそうな叶子の肩をそっと支えながら二人は唇を重ね合い、そのままゆっくりとソファーに沈んで行った。


「……っ、……」


 幾度も唇を啄ばんでは笑顔を見せ、彼は短い口づけをもったいぶるかの様に楽しんでいる。叶子の方はと言うとほんの少しの抵抗を見せてはいるが、繰り返し浴びせられる甘い口づけに完全に虜になってしまっていた。離れた時に魅せる彼女の潤んだ瞳を見ると、今した所なのにすぐにもう一度触れたくなりまた唇を寄せてしまう。そんなループをただひたすら繰り返していた。


 叶子の下唇を軽く食みながら少し距離を取った時、寸分の狂いも無い眼差しが叶子に向けられる。

 そして、まるで叶子に言い聞かせるように、 


「愛しているよ」


 と、もう一度そう告げると、より彼女の深い所に潜り込む為に、顔の角度を変えながら貪る様な甘い口づけを交わした。







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