第24話~すれ違い~
「はぁー……」
大勢の人が行き交う街中。ショーウィンドウにもたれながら、叶子は大きな溜息を吐き肩を落としている。まだ幼い頃、ため息を一つ吐くたびに幸せが一つ逃げていくと、母に言われた事を思い出して苦笑いが出た。
気付けば彼の事で頭が一杯で、彼の事を思うとため息が出てしまうと言った無限ループ地獄に陥っている。こんな事ではいつまでたっても幸せになれないな――と、自分で自分を皮肉った。
「……?」
コツコツコツとヒールの音が近づいてくるのが聞こえ、顔を上げると笑顔の友人が小さく手を振っていた。
「カナ! 久しぶり」
彼女の笑顔に触れ、少し落ち込んでいた叶子の顔も思わず緩んだ。
◇◆◇
「それでさ、彼なんて言ったと思う?」
久しぶりに会う友人は、最近出来たと言う彼の話を嬉しそうに話している。幸せそうな彼女を見ると、まるで自分の事のように嬉しくなるものだ。
運ばれてきたアイスティーにミルクとシロップを入れ、ストローでくるくるとかき混ぜながら彼女の話に耳を傾けていた。
「ねぇ」
「うん?」
「カナ、もしかしていい人出来た?」
「えっ!?」
「なぁんか綺麗になったよね?」
「そ、そう?」
長年付き合ってると微妙な変化にもすぐに気付くのか、自分から話し出すつもりが先に言われて戸惑ってしまった。叶子が話し始めるのを待ち構えて居るような友人のわくわくした顔を見ると、自然と眉尻が下がった。
「もう、絵里香にはかなわないなぁ」
「やっぱり! ね、どんな人?」
ジャックと初めて会った時の事から順に話し始めると、目の前の友人はとてもびっくりした様子で彼女の話にただ黙って耳を傾けていた。
「――て言う事なんだ」
「……」
様子を伺う様に上目遣いで絵里香を見ている彼女は、絵里香に何て言われるのだろうと内心びくびくしていた。
「ちょっと。――いいじゃない!」
「あ、え? そう?」
『ほいほいついていくなんて、お手軽すぎる!』と言うようなお叱りを受けるのかと思いきや、全く逆の事を言われ叶子は少し面を食らった。
「なんですぐOKしないの?」
「うーん、自分の気持ちがまだよくわからなくて」
「なんでわかんないのよ!」
「だって、私には釣り合わなさ過ぎるよ」
「あんたね。初めて恋愛するってワケじゃぁあるまいし、今までだって恋愛の一つや二つして来たんでしょ? もうちょっと、こう――貪欲。……そう! 貪欲になってもいいんじゃない?」
「はぁ」
『取りあえず付き合ってみたら?』と言う絵里香のアドバイスを聞いたものの、当の叶子は肩を落とし再び手元のアイスティーをストローでくるくるとかき回している。それはまるで“迷っている”と言う自分の気持ちを表しているかの様にも見えた。
「私は、」
叶子が重い口を開くと、小声で話す彼女の声を聞き漏らさないようにと、絵里香は身を乗り出した。
「ちゃんと自分が好き、って思える様になってからじゃないとイヤなの」
そうポツリと呟くと、一際大きなため息を吐いた。
そんな叶子の言葉を聞いた絵里香は乗り出していた身体を戻し、椅子の背もたれに深くもたれ掛かった。安心したように、少し微笑んだ絵里香がそっと手を伸ばすと彼女の頭をなで始めた。
「?」
「カナの頭の中はその彼の事で一杯なんだね。なら大丈夫! じきに自分の気持ちの答えが出るよ」
「そう……、かな?」
「うん!」
絵里香に相談してよかったと心から思う。彼女は無理強いするような事は一切言わず、手を差し伸べて答えを導く手助けをしてくれる。他の誰よりも自分の事を良く理解してくれている絵里香に話したことで、ほっと心が安らいだ。
「あり、がとね」
叶子の溜息も底をついたのか、この時以降、彼女の口から吐き出される事は無かった。
◇◆◇
「ジャック。書類ここに置いておくわよ」
「ああ、ありがとう。カレン」
彼は脇目も振らず、デスクに向かって全てを片付けるかのように仕事をしている。
カレンは彼のデスクの上に軽く腰を掛け、少し不機嫌そうな声で話しかけた。
「何をそんなに焦ってるの?」
「ん? ああ、この仕事さっさと片付けたいんだよ」
「そうじゃなくて、……あのカナって言う子猫ちゃんの事よ」
書類に走らせていたペンをピタッと止め、彼はカレンを見上げた。
「……今日これから会うのね?」
「いや、まだわからないよ。約束してるわけじゃないし」
そう言うと又書類に目を向けた。
会う約束はしていなくとも、会おうとしているのだと思ったカレンは、心の中で何かが熱く煮えたぎるものを感じた。
「あんな小娘の何処がいいの?」
ジャックの頬にカレンの手が触れる。彼はその彼女の手から逃げるように、くるりと椅子を動かして窓の外を見る振りをした。
「……カレン? 僕は早くこれを片付けたいんだ。つまらない話で邪魔をするのはやめてくれないかな」
ジャックのその態度で、自分を拒否していると言う事がわかってしまったカレンは思い切った行動に出た。
「? ――っ!?」
ジャックの側へと回り込み椅子を自分の方に向け、彼の頭を両手で抱え込んだ。強引に重ねた唇は形を崩し、逃れようとしているジャックを追いかける度、歯列がぶつかり何度も音を立てた。片膝を彼の椅子の上に乗せ、豊満なその身体を押し付けるようにしてジャックの唇を貪っている。硬く閉じられたそれを無理にこじ開けようと歯列をなぞるが、彼は招き入れる所か顔を背けてカレンの舌を拒絶した。
「っカレン!?」
カレンの両肩を持ち、自分から引き剥がす。すると、次にカレンの手はジャックのシャツのボタンに手を掛けた。
「なっ何を、一体どうしたんだ!」
両手首を捕まえカレンの動きを封じ込める。突然起こった出来事にジャックはただただ困惑していた。
いつも強気なカレンの目は涙で溢れている。そんな弱々しい表情を見せつけられては、ジャックも強く怒ることが出来なかった。
徐々にカレンの手の力が弱まっていくのを感じ、彼も手首を掴む手を緩めた。
「私は、ずっとあなたを想ってきたのよ? ジャック」
「カレン……?」
カレンの突然の告白に驚いたジャックは動揺を隠し切れない。カレンが自分の事をずっと想っていたとは、容易に信じられる事は出来なかった。
過去の結婚もまるで自分の事の様に祝福してくれたし、カレン自身も確かに今は別居中ではあるが、それでも他の男性と婚姻状態にある。
何で今頃そんな事を言い出したのか、ジャックには皆目検討もつかなかった。
「貴方の二度の結婚も私は祝福してきた。貴方が幸せになるのなら、ってね」
「僕は――」
「だから、次は私が幸せになる番だって思ってたのに……。なのに、あの娘が急に現れて。横から貴方をかっさらって行くのを、もう指をくわえてただ黙って見ているのはイヤ!」
「カレン……」
顔を塞ぎ泣き崩れてしまったカレンに近づき、震える彼女の肩にそっと触れる。小刻みに揺れるその肩をそっと胸に引き寄せると、カレンは堰を切った様に声を上げて泣いた。
デスクの上で彼の携帯電話が音も無く光っている。
叶子からの着信とも知らず、二人はただ静かに抱き合っていた。