第23話~悪夢~
「――、――、……ナ、――カ、……ナ」
徐々に戻っていく意識の中、誰かが自分の名前を呼んでいる。うっすらと目を開けた途端、眩しい光が差し込んだ。
「誰? 誰なの?」
その眩しい光を遮るように、手で目元を覆いながら声のする方へと問いかけた。ぼんやりと人影が映っているのはわかったのだが、逆光でその人影が一体誰なのかは確認する事が出来ない。
(誰? 誰が私を呼んで居るの?)
「僕、――僕だよ。ジャックだよ」
「ジャッ……ク?」
途端に眩しかった光が収まり、そこに居る彼の姿が徐々に浮かび上がってきた。彼はいつもの様に笑顔を浮かべ彼女の顔を覗き込んでいるが、なんだか様子がおかしい。
「やっと目を覚ましたね」
「――ここは?」
(何処?)
上体を起こし辺りを見回した。真っ白なベッドの上、壁も窓もない真っ白な空間の中に居る自分。今の状況を全く飲み込むことができず、放心状態になっていた。
ベッドに腰掛けて居る彼が彼女の手を取る。そして甲にそっと口づけた。
「あのね、カナ。よく聞いて」
「?」
「僕はもう行かなくちゃならないんだ」
「何処へ?」
「遠い所さ」
「……。」
「しばらく会えなくなるけど、僕は君のそばにいるからね」
彼は叶子の返事も聞かずにベッドから立ち上がると、大きな掌で彼女の頬にそっと触れた。ぎりぎりまで彼女の温もりに触れていたいのか、名残惜しむように最後に指の先が触れた後、そのぬくもりは離れていく。
(待って! まだ私貴方の事何も知らない。こんな状態で放置されたら苦しくて息が出来なくなる)
今、このまま彼を行かせてしまえばもう二度と会えなくなる。直感的に感じた叶子は、いてもたっても居られなくなった。
「……いや」
ポツリと呟くが彼は構う事無く彼女に背を向け、歩き出していく。
「何処へ行くの? 私も行く! 置いていかないで!!」
伸ばした手を何かが邪魔をする。いつの間にか彼女の手首には鉄の鎖が何重にもかけられていて、それを解こうとした所で全くびくともしない。
(待って! お願い!)
段々と小さくなっていく彼の後姿を夢中で追い求めた。どれだけ引っ張っても手首に巻き付いた鎖はびくともしない。
叶子の願いも空しく、彼の背中に大きな白い羽が姿を現したかと思うとそれはバサバサッと大きく羽ばたき、再び眩しい光が彼女の目を襲った。
「──! っ……」
そして、光が収まった頃には既に彼の姿は忽然と消えていたのだった。
「行かないで!」
彼が消えた途端、自由になった手を目一杯伸ばし夢中で彼を探した。
何処からともなく機械的な音が鳴り、叶子はゆっくりと瞼を開ける。先程まで白い空間に居たはずが、ふと気付くと真っ暗な自分の部屋にいることがわかった。
(彼は何処に行ったの?)
キョロキョロと辺りを見渡してみても、ここに彼が居ない事に動揺していた。
いつまでも鳴り響く携帯電話。何が起こっているのか理解出来ぬまま、それを手に取りディスプレイを見てみると、そこには今一番会いたい彼の名前が映し出されていた。
受話ボタンを押し、恐る恐る声を出す。
「……もしもし」
「あ、もしもし? 僕だけど。今日はごめんね」
「今……何処?」
「え? まだ会社だけど」
「嘘」
「う、嘘じゃないよ!?」
「……」
「??」
「どうして私を置いて行ったの?」
「え? いや、急な仕事が入って……仕方なく?」
「……」
「??」
「行かないで」
「……っ」
「お願い。何処にも行かないで……」
「……何処にも行かないよ」
「本当?」
「本当さ、誓うよ」
彼は何処にも行かない。それを確かめる事が出来ると叶子は安心しきった表情を浮かべ、そのまま静かに目を閉じた。閉じた眦からは、一筋の涙が頬を伝っている。
「もしもし?」
「……」
電話の向こうから叶子の寝息が聞こえてきたことで、彼女は眠ってしまったんだなという事がわかると、クスリと微笑みながらジャックは携帯電話をパタンと閉じた。
「……かわいいなぁ」
今日の昼。ランチタイムを一緒に過ごそうと彼女の家の近くの駅で彼女を待ち伏せた。せっかく会う事が出来たというのに、突然胸元で鳴りだした携帯電話に出てしまったせいで会社に呼び戻されたジャックは、一緒に過ごせなかった事を詫びる為に電話をした筈だった。
なのに、詫びるどころか思わぬ拾い物をして自然と顔が緩みだす。その後の仕事が手につかなくなる程、ジャックの頭の中は彼女で一杯になってしまった。