第21話~ただ会いたくて~
勢い良く開け放たれた扉から、眉根に深い皺を刻んだジャックが顔を真っ赤にしながら飛び出してきた。
「ったく! みんなどうかしてるよ!」
扉付近のデスクに座っていた秘書のジュディスは、予定よりも早く社長が出てきた事に驚きながらも、慌ててデスクの上に広げた書類をまとめ始める。
「社長? 会議はもう終わりですか?」
そう声を掛けるとジャックは足を止めることなく、とっくに通り過ぎた秘書に振り返った。
「ああ、終わり終わり! 話になんないよ!」
普段は温厚な社長が珍しく怒っている様子を見て、ジュディスは中で一体何があったのかと首を捻った。そのままの勢いで自室に戻るのかと思いきや、何かを思い立ったのか大きな歩幅で歩いていたのをピタリと止め、顎に手を置きながらゆっくりとジュディスの方へと振り返った。
「ジュディス、次の予定は?」
「? あ、はい。会議が午前中一杯の予定にしておりましたので、次は……十三時からプロジェクト会議になります」
その言葉を聞くや否やジャックは右の袖を捲りあげ、時間を確認した。
「十時……半か」
するとさっきまでふくれっつらをしていたのが嘘のように、ジャックの顔はみるみる笑顔に変わっていった。
「ジュディス、ちょっと出かけてくるよ」
「え? あ、私は……?」
「昼寝でもしてればいいよ、じゃあ後はよろしくね」
そう言うとジャックは足早にその場を去った。
社長付秘書だからといって常に社長と行動を共にしなければならないというわけではないが、ジャックの行き先によっては自分も同行しなければと思っての発言だった。何処へ行くかも話そうとしないところをみると、社長の外出先はどうやら仕事関係では無さそうだ。
急いでここから離れる準備をしていたジュディスは、少し肩透かしを食らったような気分になった。
首をひねりながら残りの書類を片付ける為にデスクへと向かう。開いている会議室のドアからざわついている部屋の中の様子が見え、中では携帯やノートパソコンを手にした多数の社員が何故か列を作っていた。
「写真を撮った奴は先に申告する事! さもないと給料五割カットの二階級降格だぞ! いいか、今から片っ端から調べるからな!」
なんだか恐ろしい内容の話が聞こえた事に思わず肩を竦めてしまったが、もっと恐ろしいのはその問いかけに対して次々と手が上がった事だった。
一体これは何なんだと、又ジュディスは首をひねった。
◇◆◇
社長室に戻るとジャケットの内側のポケットから携帯を取り出し、おもむろに電話を掛け始めた。呼び出し音が鳴っている間、彼は自然と溢れ出る笑顔を抑えることも無くその声の主を待ち続ける。だが無情にも留守番電話のメッセージが流れ始めた事で、彼の笑顔はかき消された。
途端、じっとしていられなくなったのか、移動しながら何度も電話を掛け続けている。だが、何度掛けても繋がらない電話に、もどかしい気持ちがどんどん込み上げてきた。
エレベーターに乗り、地下駐車場に停めてある車に飛び乗る。再び携帯電話を握りしめると今度はすぐに繋がり、電話口に出た相手にいつになく早口で話し始めた。
「あ、僕だけど。彼女、もう帰ったよね? ……そう。あ、いや、いいんだ。うん、じゃあ」
もうとっくに帰ったと聞いた途端、繋がらない電話に少し心配になる。片手でハンドルを握りながら無意識に親指の爪を噛んでいた。
(今日休みだって言ってたけど、まだ家に帰ってないのかな)
気付けば前に一度送った事のある、彼女の家の近くだという駅に向かって車を走らせている自分が居た。
◇◆◇
サイドブレーキを踏み、彼は車から降りて再び彼女へ電話を掛けた。
「――?」
途端、背後で携帯電話の着信音が鳴り響き、振り返ると駅の改札口からバッグの中をごそごそと探している彼女がこっちへ向かって歩いてくるのが見えた。
――やっと見つけた。
安心感と彼女に会えた嬉しい気持ちで一杯になり、彼の顔がみるみる笑顔で満たされる。昨日――、いや、ほんの数時間程前に会っていたと言うのに、何日も会ってないかの様な気持ちになっている事に自分自身驚いた。
初めて昼間に会う事が、彼を浮き足立たせてしまったのかもしれない。さっき会ったばかりだと言うのに、自分がここに居たらきっと彼女驚くだろうな。そんな少年の様な悪戯心が湧いて来て、顔の緩みを戻す事が出来ないでいた。
彼女はバックの中から携帯電話を探り当て、ディスプレイ画面を見ている。すると彼女もまた笑顔を浮かべていて、その表情をばっちり見届けた彼は今すぐ彼女を抱きしめたくなる衝動に駆られた。
慌てて電話に出た彼女を見つめながら、すぐ側に電話の相手がいる事を教えるわけでも無く、そのまま携帯電話を通して話を始めた。
「もしもし?」
「もしもし、僕だけど」
「あ、はい。――どうしたんですか? お仕事じゃ?」
「うん、近くまで来たから寄ってみたんだ」
「……え? 近く、……って?」
「一緒にランチでもどうかなって思って」
電話の向こうから聞こえる彼と同じ声が、何故か近くから聞こえる。
「……」
彼女が顔を上げると、ポケットに手を突っ込みながら車にもたれかかり、片手で携帯を握り締めているジャックが叶子を見つめながら満面の笑みを浮かべていた。
呆気に取られている彼女に構わず、片手で携帯電話をパタンと閉じる。
「おかえり」
そう言って、ジャックは叶子に手を差し出した。