第14話~宣告~
「――? おい、何やってんだ」
脱いだ靴をブランドンが玄関に片付けに行っている間に、叶子はふらついた足でキッチンへと向かい、客用のカップを食器棚から出していた。
「え? 何って、お茶をと思って。ブランドンさん、コーヒーと紅茶どっちがいいですか? あ、それとも――」
「無茶するな、俺を客扱いしなくていい」
そう言うと、彼女が手にしたカップを奪い取り、また食器棚に片付けだした。
「いや、でも」
「いいから。取りあえず座れ」
ダイニングの椅子を引きブランドンが足を組んで座ると、叶子も渋々コンロの火を止め、ブランドンの前に腰掛けた。あんなことがあった後だと言うのに背筋をピンと伸ばし、膝の上に両手を重ねて他人行儀に振舞う叶子にブランドンは溜息を吐いた。
顎のラインに切り揃えられた髪が、首筋についた赤紫色の痕を隠しきれず痛々しくて見ていられない。こんな状態でも、あの男を庇う理由は一体何だと言うのだろう。そして、弟の過去の女を寝取るろくでもない自分の様な男に対してまで、何故そこまで気遣う事が出来るのか。
人に怨まれる事はあっても、敬われる事は今の今まで一度も無かった。実の弟にまでカナコの存在を隠し通そうとされる程どうしようもない兄だと言うのに、責める所か事あるごとに『ありがとう』と感謝の言葉を寄越す。
今まで出会ったきた中で一人もいなかったタイプの彼女に、ブランドンはどう接すればいいのかもわからなくなっていた。
「――」
「あの?」
「……。あ、ああ、何だ?」
いつまで経っても何も語ろうとしないブランドンに、痺れをきらした叶子が声を掛けた。
「伝えたい事があるって」
「……ああ、そうだったな」
足を組みなおすと、ふーっと大きく息を吐く。じっと目を見ながら話し始めたその内容は、とてもじゃないがすんなり受け入れられるものでは無かった。
「――昨日、カレンとの事はじきにわかるって言ってたが、多分明日にでもわかるだろう。ジャックは何故だか急に俺を避け出してるから話はちゃんと出来なかったんだが、きっとあいつからお前に連絡が来るのは大分後になるだろう。だから、お前が第三者に言われる前に俺が先に言っておく」
「――」
不安気な表情でゴクリと息を呑む叶子を見て、流石のブランドンも胸が痛くなる。今からなされる話は彼女にとって何の利益も無い所か、死刑宣告されている様な気分にすらなり兼ねない。だが、こうなってしまった以上、事実を黙っている事の方が彼女にも自分にも辛く伸し掛かると思い、ブランドンは心を鬼にした。
「……今日のパーティーでカレンの親父さんが来て、囲まれたマスコミにジャックとカレンの婚約を発表した」
「……え?」
「ジャックは勿論突然の事で驚いていたが、否定は出来なかった。……カレンとは確かに婚約をしていたから」
「――っ、そ、それっ……て」
「どう言う事ですか!?」と、声を張り上げ、叶子は椅子から立ち上がるとブランドンに詰め寄った。
「例のJASONの件で、水面下でジャックの相手――つまりカナコを必死で探していたマスコミが大勢いただろ? 一社位、お前が取り上げられてもなんらおかしくないのに、翌日の新聞雑誌には何一つ出ていなかった。何故だと思う?」
叶子はゆっくりと首を横に振った。
「カレンの親父さんはアメリカの最大手通信社、APA通信の重役だ。アメリカ国内の放送局や新聞社は勿論、例え国外、……それが日本であったとしても、ひとたびAPA通信に睨まれると会社の存続自体が危ぶまれるからな。騒ぎを収めたいが為に、親父さんに今回の話を潰して貰えるように頼んでくれと、ジャックがカレンに頭を下げたんだ。――まぁ、タダでとは流石のジャックも思ってはいなかったが、したたかなあの女はカナコと別れて自分と婚約する事を条件にしたんだ。あいつも『絶対他者には口外しない』『二年は籍を入れない』……それと、『マスコミもカレンもカナには一切近づくな』とかのいくつか条件をつけて仕方なくカレンの要望を呑んだ。まぁ、利害の一致、てところか」
「そ、んな」
「まぁ、これも全てジャックが自分で撒いた種なんだから、当然自分で刈り取らなければならまい」
「でも、それって、元はと言えば私が……」
「そう、全てお前を守る為だ」
腰が抜けたように叶子は椅子に崩れ落ちた。
「――」
ブランドンは茫然自失になっている彼女を慰めるように、何度も頭を撫で付ける。自然としてしまったらしくない行動に、ブランドン自身も驚きを隠せなかった。
「ま、まぁ、あいつはそのまますんなり言う事を聞く様な奴じゃないから、何か考えがあっての事だろう。口外しないとの約束を破られたから、それをネタにして婚約を解消するとかいう手もあるかも知れんが、今はまだカレンの親父さんを利用しないといけないからな。今すぐにどうこう――、ってのは無理だろうが、あまり不安にならなくても大丈夫だ」
体を小さく丸めながら叶子はコクンと頷いた。
「――」
――あんな事があった後にこんな酷な話をする事になろうとは。
(こんな細い体で全てを背負い切れる筈が無い。もっと他人を……いや、俺を、頼ればいいのに)
何も文句を言わずじっと耐えている彼女に、ブランドンの胸の奥が締め付けられる。「心配するな、俺がお前を守ってやる」そんな言葉が喉元まで出てきて、慌てて飲み込んだ。
「っ、」
こんな状態の叶子を残し、この場を離れるのは少し後ろ髪をひかれる。だが、胸の奥にジリジリとくすぶり始めた熱い何かを察した今となっては、もうここに残ると言う選択肢は残されていない。
「じゃあ、俺はこれで帰る。ああ、それと、――これは俺の携帯の番号だ、すぐに登録しとけ。何かあったらすぐ連絡するんだぞ、いいな?」
ブランドンは立ち上がると胸ポケットから名刺を一枚取り出し、テーブルに置いた。
「?」
その場を離れようとすると、ぐっと引っ張られる感じがした。振り返ると、まるでブランドンが帰るのを引き留めるかのように、ジャケットの裾を叶子が力なく掴んでいた。
「なんだ? どうし――」
大きな丸い瞳に涙を一杯溜め、一つ瞬きでもしようものならその雫が頬を伝うだろうと安易に推測出来る。下唇をキュッと噛み締め、何かを言いたそうに眉をひそめている彼女を見ると、自分の立場も忘れて思いっきり抱き締めてやりたくなった。
「な、んだ?」
努めて冷静に振舞おうとしているが、後少しのきっかけでそれは脆くも崩れ落ちるのは自分でもわかっていた。
「ブランドンさん、ありがとうございます」
叶子はそう言って微笑むと同時に、涙が一筋頬を伝った。無理をして作られる笑顔が更に胸を締め付けて息苦しい。
なぜ、自分を苦しめる様な事ばかりを言う相手に、『ありがとう』と言えるのか。
「なん、でそんな」
「え、だって……。ブランドンさんが今日来てくれなかったら、私どうなってたかわからなかったでしょう? さっきの正博の事も、――ジャックとの事も。だから、本当にブランドンさんには感謝し――」
「っ!」
次に続く言葉は発せられる事は無かった。言葉が紡ぎだされる器官がブランドンにより塞がれてしまっていた。




