第10話~兄弟の確執~
ブランドンはビールを一気に飲み干した後、グイッと手の甲で口元を拭った。
「――俺があいつの女と寝てたから。しかも、あいつが入れ込んだ女は全てと言っていいほどな」
「……。――っ、」
衝撃的な内容に頭の処理が追い付かず、言葉を失ってしまった。
ジャックがブランドンをあまり好意的に思ってはいないということは薄々感じてはいたが、そんな事があったからだとは思っても見なかった。その話を聞いただけでも驚きなのに、更に驚いたのはブランドンに悪びれる様子は一切感じられないということだ。間違いを犯してしまったと自責の念に苛まれるどころか、開き直っている様にも見えた。
「ジャックの三人の子供達いるだろ? あれの一番下なんて、本当にジャックの子かどうかもわからんからな」
「なっ、……それって彼は知ってるんですか?」
「ああ、勿論。ガキが生まれる直前にいたたまれなくなったのか、丁度その時期に俺とそんな関係だったって事を女が言いやがってな。でも、ジャックは決して女を責めはしなかった。誰がなんと言おうとその子は自分の子だと言い張った。で、女を許す代わりにこの家を出て行く事を条件にして、そして二人は離婚したんだ。子供は三人ともジャックが引き取ってな」
「……」
何て言っていいのか、丁度いい言葉が思い浮かばない。
彼の三人の子供達はまだ会った事は無いが、写真がデスクに飾られているのを何度も見た事がある。一番下の男の子は彼に良く似ていて、黒髪で目が大きくまだ幼い印象だった。でも、もしかしたら彼に似ているのでは無く、彼と瓜二つの双子の兄、ブランドンの子だったとすればどうやって見分けがつくのだろう。
そんな風に考えていたのが、またしてもブランドンに見透かされたのか、
「黙ってりゃわからんと言うのに。女って奴は面倒臭い生き物だな」
フッと鼻で笑うと、新しく運ばれたビールをまた煽った。
今の今まで、ブランドンは態度こそ冷たいけれど、本当は優しい人なんだと思っていた自分を――この時ばかりは恥じた。
「ひ、どい、です」
ずっと前を向きながら呑んでいたブランドンが、その言葉を聞いて叶子の方へ向き直る。何故だかその瞳は少し寂しそうにも見えた。
だが、すぐにいつも通りの無表情に変わり、更なる毒を吐き出す。耳を塞ぎたくなる様な言葉の羅列に、胸がつまる思いだった。
「何が酷いんだか。みんな俺から誘ったんじゃない、向こうから抱いてくれとせがんでくるんだ」
「っ、そんな嘘」
「嘘なもんか。ジャックは仕事が生き甲斐なんだ、仕事の為ならその他を犠牲に出来る男だ。お前も薄々感じてるだろ? あいつは仕事の事になったら、自分が大切にしているものも何もかも見えなくなる。現に今回のJASONの騒動で、あいつからちゃんと話はあったのか?」
「そ、れは」
あった、と言うと少し語弊がある。ジャックの口からはちゃんと詳細は聞かされていない。でも、その前にブランドンからマスコミに狙われているという事を聞いていたし、実際追い回されてしまったし。
(え? 私、彼の口からは何も聞かされてない?)
ブランドンとあたかも恋人同士の様に演じていたあのお芝居のこともそうだ。カレンを騙してまであんなふざけた事をした理由も聞かされておらず、結局あの事は未だに謎のままになっている。
「……」
思い当たる節がどんどん出てきて、急に不安になる。一気に思いつめた様な表情になった叶子を見て、ブランドンが鼻で笑った。
「ほらな? カナコも過去のあいつの女達と同じだ。あいつの事がわからなくなって、その内、同じ顔ってだけの俺にあいつを重ねて、自分から求めてくるんだよ」
「そ、そんな事しません!」
「はっ、どうだか」
これ以上、話すことは何もないと言わんばかりに、ブランドンは叶子と視線を切った。
「――」
これが本当の話だとしたら、当て馬にされたブランドンの悲しみの深さはきっと計り知れないものだろう。この話を聞いた時は何て酷い人だと思ったが、こういう事は相手があってこそ成立するのであって、全てをブランドン一人の責任にするのは確かにフェアでは無いのかもしれない。当の本人も自ら誘ったわけではないと言っているし、ジャックもその事を把握していたからこそ相手を深く問い詰めず、自分の側から離れさせたという事も考えられる。
一つ一つ、真実を解き明かさねばならないと、恥を忍んでブランドンに詰め寄った。
「教えてください。カレンさんを騙したアレは一体何だったんですか?」
「――お前、俺の言った意味、理解してる?」
「え?」
「俺の口から聞きたいのか? どうしてもと言うなら教えてやる。――だが、それじゃ本当に過去の女達と一緒だぞ? お前が付き合ってるのは俺じゃない、ジャックだ」
「わ、わかってます」
「なら、ジャックに聞け」
「それが、……『言いたくない』って言うんです!」
ああ、段々恋愛相談みたいになってきた。どこでどう話がこうなったのか良くわからない。どうしたらジャックから話が聞けるのか、どうすればジャックの心の扉を開く事が出来るのか解決方法が全然見つからない。
「まぁ、とにかくカレンの件はもうじき嫌でもわかってくるだろう。俺がジャックの立場だとしたら、まずカナコに事の成り行きを説明するが、果たしてジャックはどうするつもりなのか……。ま、俺がそんなアドバイスをした所で聞くような奴でもないし、お前は待つしか無いのだろうな」
「どっちをですか? 自然に耳に入る方? ジャックが説明してくれる方?」
「どっちかだ」
「……何ですか、ソレ」
叶子は肩を落とすと、手にしたジョッキをグイッと一気に飲み干した。「お代わり下さいっ!」と威勢良くカウンターにジョッキをドンッと置くと、あっという間に持ってきた生ビールにそのままの勢いで口に含めようと顔を近づけるが、何かを思い出したかのようにピタリと止まった。
「――? でも、彼がブランドンさんの事を怨んでるからって、なんで健人が“ジャックの犬”呼ばわりされるんですか?」
どちらかと言うと、健人は彼の事を嫌っている。嫌いな相手を守るような事を自ら進んでするのだろうか?
(一体全体、何から守ると言うの?)
と、頭を捻った。
「お前の頭の回転の鈍さに吐き気がする」
恐る恐る横を見ると、絶対零度の冷たい眼差しで射抜かれて、一気に辺りの空気が冷たくなった気がした。
「えっ?」
もう一度聞く勇気が持てなくて、とりあえず目の前にあるビールに口を付けてみるが、真横から感じる視線が痛くて気が気でない。
ブランドンは仕方ないとばかりに溜め息を吐くと、そんな頭の鈍い叶子にわかるように渋々説明をしてくれた。
「あいつは、今まで俺に恋人を寝取られているだろ? カナコは? お前はジャックの何だ?」
「え、と。こいび、と?」
急に振られて思わず口篭り、目を泳がせてしまう。口に出して、「自分はジャックの恋人だ!」などと宣言した事がなかったからか、こんな場面だと言うのに妙に照れてしまった。
「――うぜぇ……」
「ええっ!?」
ブランドンにはそれが余計に鼻についたようで、大きな目が一気に細くなった。
「まぁ、いい。で、だ。ジャックは――」
「あー! わかりましたっ! ジャックは私がブランドンさんにふらふらーっと行っちゃうんじゃないか? って心配してたんですね!」
にやけ顔で勢い良く挙手して言う程のものでも無かったが、照れ隠しのつもりが少し痛い状況に自ら嵌ってしまったようだ。引き続き、冷たい視線をじんわりと感じた。
「あれ? でも……すみません、やっぱりわかっていません。続きをお願いします」
「お前な……」
頭を下げているところにペシッと後頭部をはたかれ、その勢いでカウンターにゴツンっと額を直撃してしまった。額をさすりながら顔を上げると、端正な顔をくしゃくしゃにして笑っていたブランドンに、珍しさの余り思わず見とれてしまった。
「――」
「だからっ!」
「……。――あ! は、はい」
「俺とカナコを会わせない様に、あいつがアメリカに行く時に健人やうちの社員達にお前の存在を教えないように緘口令を敷いたんじゃないのか? って事だよ!」
「ああー!」
手のひらにポンッと握りこぶしを叩き、叶子はやっと納得した。だが、今度はブランドンが納得していない様子で、いつの間にやら笑顔も消え端正な顔に皺を刻んでいる。
「ただ、何で健人があいつの言いなりになるのかがわからん。あいつと話していると、どうもジャックの事を毛嫌いしている節が見て取れるからな」
顎に手を置いて、「うーん」とブランドンが唸っていると、すぐに何やらわかったのかニヤリと口元を緩めた。
「健人、あいつもしかして、カナコの事が好きなのか?」
「え!? ……い、いやぁー、さぁー?」
ブランドンの読みの深さに驚きを隠せない。正直、今の叶子の頭の中も全部見透かされているような気がして、一気に酔いが冷めていった。




