第3話~牽制~
結局、彼が嫌がった事によって真実を知らされることは無かった。車中での会話により彼の方が辛いんだと思い改め、これ以上詮索するのはよそうと自ら身を引いた。
身を引いたものの決して納得しているというわけではなく心の中ではまだわだかまりがあって、時間が経つにつれてそれがどんどん大きくなっていた。
彼等とは住んでいる世界が違いすぎるという事は、彼と出会った時点でちゃんと弁えているつもりだ。「迷惑を掛けたく無いから関わらなくていい」なんて、ごもっともな理由ではあるが、知る権利すら与えて貰えないとなると単なる駒の一つとして使い捨てされた上にブランドンにいいように弄ばれただけなのではないかと、ネガティブ思考に拍車がかかった。
ジャックにとって、叶子の存在は一体何なのだろうか。そして、これからも今回の様に何の説明も無く、同様の事をさせられたりするのだろうか。
「っ、」
考えただけで身の毛がよだつのを感じ、叶子は自身の体を抱き締めるようにして腕をさすった。
「でね、そしたらさ――? ……」
そんなことばかりが頭の中をぐるぐる駆け巡る。当然、話に集中できず、適当に笑顔を作り相槌を打っていた。「へー」「そうなんだ」「凄いね」の、この三つの言葉だけで構成された会話をジャックが何とも思わないはずも無く、彼の言葉はプツリと遮断された。
突然無くなった会話にも、ジャックが叶子をじっと見つめているのにも気付かず、ボーっとしながらティーカップの縁を何度も指でなぞっている。
「……」
そんな叶子に対し、ジャックは何も問い質すということもせず、ただ、そうやってしばらく二人は無言の時を過ごしていた。
「――」
「ねぇ、カナ! 今日のプティフールどう? 味のバランス悪くない?」
二人の会話が途切れたのを見計らってか、絵里香がキッチンから出てきた。彼女の親友が登場した事で、少しは場の空気が変わるだろうとジャックはホッと小さく息を吐いた。
「あ、うーん、どうだろう? いいと思うけど、メインのデザートがエスプレッソのケーキだから甘さ控えめにしてあるんだろうけど、私なんかはもうちょっとさっぱりしたのが欲しかったかな?」
「あ、やっぱり? そうよねー、この組み合わせじゃあ妙齢のあんたには胃にもたれて辛いよね」
「もう! 一言余計!」
「あはははは」と、二人は楽しそうに談笑を始めた。いつもの叶子に戻り内心ほっとした様子で胸を撫で下ろすと、ジャックはおもむろに席を立った。
「あはは――、……?」
「あ、ちょっと一本電話しないといけなかったの思い出したから、ゆっくり話してていいよ」
「うん、いってらっしゃい」
手にした携帯電話を二人に見せるように揺らすと、ジャックは店の外へと出て行った。
◇◆◇
「?」
思った以上に電話に時間がかかってしまい、ジャックは急いで店内に戻った。店の入り口で叶子が座る席へ目をやると、案内された時に挨拶したギャルソンの“正博”が何やら叶子と話している様子だった。
彼女の顔を見ると、絵里香に見せていた様な楽しげな表情は跡形も無く消え、心なしか口元をわずかに引きつらせている様にも見える。彼女の様子がおかしい事に一瞬で気付いたジャックは、すぐ様席へと戻った。
「……、……、――! だろ!?」
近づく事によって聞こえた正博の語気は少し荒く、尋常では無い事がおこっているのだとすぐにわかるものであった。叶子は叶子で正博にそっぽを向きながらも何か話しをしている様子だ。
「いや、だから、それは! ……? ――あ、ジャックさん、お帰りなさい」
ジャックが戻ってきた気配に気付いた正博は、それまでの表情とは一変して満面の笑みで彼を迎える。そんな正博の切り替えの早さに、流石、一流レストランのギャルソンだなと、思わず感心してしまうほどであった。
「ごめんね、電話が長引いちゃって」
正博が引いた椅子に腰掛けながら叶子に向かってそう言うと、笑顔はおろか、先程よりも表情が硬くなってしまっていた。
(おいおい、君は一体彼女に何を吹き込んだんだ?)
今すぐ問い詰めたい衝動に駆られるが、彼にも触れられたく無い事が有る分、余り強く出る事が出来ない。直接、言葉には出せなくても釘を打っておかなければ。
「ありがとう」
勝者の余裕の如く、正博に向かってニッコリと笑みを浮かべた。
「どうぞごゆっくり」
そう言ってその場を離れようとする正博に、わざと聞こえる様な声で叶子に話しかけた。
「カナ、そろそろ行こうか。君が前見たいって言ってたDVDちゃんと用意してあるからね。明日は君は休みなんでしょ? 僕も明日は午後からだから、今夜は久しぶりに一緒にゆっくり出来るね」
大人気なく、牽制するつもりで言った。
正博は背を向けていたが、聞こえない振りをしているのだろう。チラッと見えた彼の横顔はそれはそれは無表情なもので、先程まで見せていた“意識して作られた笑顔”は完全に消え失せていた。




